2019年3月29日金曜日

夏目漱石と岩波書店看板のおはなし

 
出版界名門企業の看板は文豪の手によって
 
出版社名門である岩波書店は1914年(大正3年)創業の、わが国屈指の老舗企業です。
 
出版界の雄にふさわしく創業時に造られた看板は文豪夏目漱石の手によるものであることは知る人ぞ知るところです。
 
でもこの看板は決してスムーズに完成したものでないことについては人々にはあまり知られていません。看板が出来上がるまでには創業者岩波茂雄の並々ならぬ苦労があったのです。
 
 
 
看板完成までには紆余曲折があった
 
この看板は最初、岩波の友人であった安倍能成を通じて製作の依頼が夏目漱石に持ち込まれました。
 
世に流れている定説では、話はスムーズに進み漱石は快諾し書を書いてくれ、その文字が岩波の額になった、ということになっています。
 
でもこの説は、その後夏目漱石の長男である純一氏が語ったこととは大いに異なっているのです。純一氏の話のよれば・・・
 
 
漱石の長男純一氏が語る岩波書店看板の真実
 
『頼まれた看板の文字を書き始めた漱石だが、文字はなかなか書きあがらなかった。いろいろ書いてみたものの、おやじの気に入った字はかけない、それで渡さないままで暫くすぎたんだね。
 
せっかちな岩波茂雄は待ちきれず漱石山房へちょこちょこ顔を出して書きあがるのを待っていたが天下の文豪に催促することはできない。
 
それで、おやじが気に入った字が書けなくて渡せない理由を知らばこそ、しびれを切らして、ある日、漱石山房を訪ねると「岩波書店」と大書した書き損ないの紙が、書斎に何枚も散らばっているのを見ると、おやじがちょっと席をはずしたすき隙に無断で、その何枚かを懐に入れてしまったんだね。
 
おやじは気に入った文字以外には署名をせず、反故は焼いてしまう習慣があった・・・」
 
その後岩波はあたふたと書き損ないの文字を持ち帰り「岩はこの字」「波はこれにしよう」と気に入った字を選んで、切り張りしてしまった。
 
49歳で死去にした漱石より40年も長生きした純一は、岩波書店のそ看板のいわれを、いかにも愉快に語った上で、次のように決定的な証拠を明らかにしてくれた。
 
『岩波書店の看板に、おやじの署名も捺印もなく、よく見ると不揃いなのは切り張りのせいだよ』
 
 
(参考資料と引用)
「出版界おもしろ豆辞典」 塩澤実信著  北辰堂出版

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