昨日のヤフーニュース180件余のうち東京オリンピックに関する記事は一つもなかった
例えば4月26日のネットのヤフーニュースですが、180件以上ある記事タイトルの中に東京オリンピックに関する文字は一つもありません。目を皿のようにして探しても一文字もないのです。
少なくても2ヶ月ほど前のコロナ騒動が始まるまでは連日華々しく紙面を飾っていた東京オリンピックに関する記事がまったくなくなってしまっているのです。
他のことならともかく、長い間国民が待ち望んでいた何十年に一度という大イベントの東京オリンピックに関する記事がないのです。
もし延期がなければわずか3ヶ月先に迫っているはずなのにニュースメディアは一切取り上げなくなっているのです。
人々の気持ちを先導するはずのメディアさえ、オリンピックへの関心を失ってしまっている、というのが今の現実の姿なのです。
いま世の中で起こっているコロナ禍は、メディアをはじめとして人々の気持ちを根底から覆してしまったのです。
連日200件近くあるヤフーニュースにこのところ記事としてまったく取り上げられないのが何よりの証拠です。
コロナ禍は人心をすっかり変化させたてしまった
人の心は移ろいやすいと言われますが、わずか2ヶ月ほど前まではあれほど人々を捉えていた東京オリンピックに対する期待が、ここへきて一気に失われてしまったのです。
言うまでもなくその原因はコロナ禍です。
人々は新たな出来事によって少しづつ過去の出来事を忘れていきます。少しづつというように、一気に忘れてしまうことがないのが普通です。
しかし今回は例外で、人々は短期間に急速に忘れてしまいつつあるのです。
それは新たな出来事であるコロナ禍のインパクトがあまりにも強すぎたからです。
人々は新しい出来事の衝撃が強ければ強いほど、過去に心を取られたいた事を取り去ってしまうのが早いのです。
今回のコロナ禍はまさにそれに相違ありません。
人心がメディアをつくるのかメディアが人心を先導するのか
テレビにしろネットにしろ、ニュースとして提供される情報は、人々の気持ちを忖度して(おもんばかって)流されるのが普通です。
要するにメディアは人々が関心をもつだろう、という事柄を記事にして流すのです。
ということはメディアをつくるのは人心なのでしょうか。
いまメディアが東京オリンピックのことを報道しなくなったのは、これに対する人々の心が冷めている、と忖度してのことなのです。
いまメディアが東京オリンピックのことを報道しなくなったのは、これに対する人々の心が冷めている、と忖度してのことなのです。
でもそうだと断言することはできません。世の中にはメディアが伝えることをそのまま鵜呑みにして信じる人が少なくないからです。
この点から考えると、メディアが人心を先導する、とも言えるのです。昨今話題になっているフェイクニュースもその例かもしれません。
この問題もまた「ニワトリが先かタマゴが先か」の範疇に違いありません。
失ってしまった東京オリンピックへの関心を再び取り戻すことはできるのか?
それにしても1年後に延期されたことは事実としてもコロナ禍が終息したら、はたして人々の東京オリンピックへの関心は再び戻ってくるのでしょうか。
はっきり言ってこの問に答えられる人は少ないのではないでしょうか。なぜなら未来の人の気持ちの変化を予測することは難しいからです。
でもあえて言えば、元のような強い関心を取り戻すことは困難なのではないでしょうか。
人にとって一度失った気持を取り戻すことはとても難しい問題であるからです。恋愛の破局で冷めてしまった相手に対する気持ちが取り戻せないように。
とはいえ国にとって大切な大イベントですから、なんとしてももう一度人々の関心を取り戻さなければなりません。
そのためには再び労力とお金を使った啓蒙と宣伝のための一大キャンペーンを展開することが必要になるのではないでしょうか。