一流作家なのにつまらないエッセイがある・その理由とは?
一流と言われる作家の作品なのに、どうしてこんなにつまらないなのだろうか?
作家のエッセイ集を読んでいるとき、よくこんなふうに思うことがあります。
でも一流と呼ばれるのだから、これまでに良い作品をたくさん書いたはずです。なのになぜ読者を失望させるつまらないエッセイを出すようになったのでしょうか。
その原因について考えてみました。
締め切り時間に急かされ思考不足、あるいはテーマのストック不足?
一流と呼ばれる作家なのにエッセイなどでつまらない作品を書く原因は色々あるでしょうが、具体的には次のような理由が考えられます。
・気の乗らないまま無理やり書いた
書くことのプロである作家とはいえ、いつもスラスラと文章が出てくるわけではありません。日によっては机の前に座っても一向に気が乗らず長い間一行も書けないこともあります。
とはいえ仕事である以上何もせずに過ごすことは許されません。それで気の向かないまま無理やり書くことになります。でも良いものは書けず、結果としてつまらない作品ができあがるのです。
これがストーリーのある小説の場合なら、ある程度まで進行していると、展開に応じて主人公をはじめ、登場人物が独り歩きして進行を助けてくれますから、たとえ気が向かなくて無理やり始めても時間の経過とともに自然に興がのってきます。
ところがエッセイの場合はそうは行きません。主人公がいるわけではなく、別にストーリーと呼ばれるものもありませんから展開が独り歩きして進んでくれることはありません。
あくまで執筆者の考えのまましか文章は進行しないのです。それ故に気の向かないまま書いたエッセイはできの悪い作品になりがちなのです。
・〆切に迫られて急いで書いた
エッセイでものを言うのはなんといっても文章力です。一つのことを書くにしても思いついたまま書き留めて終わるのではなく、できるだけ練りに練った文章で表現してこそ良いエッセイと言えるのです。
しかし〆切に迫られているときはなにぶん余裕がありません。それ故に時間に追われ文章をじゅうぶん錬ることができないのです。
言い換えれば良い文章をつくるための必須条件である推敲の時間が取れないのです。
・良いテーマが見つからず、適当に間に合わせた
良いエッセイは文章力だけではできません。文章力を活かすためには良いテーマが必要です。良いテーマで執筆に臨めばモチベーションが上がります。
どんな仕事で成果を上げるためには何をやるかというテーマが大事なのです。良いエッセイのためには良いテーマが欠かせません。
とは言え良いテーマはどこにでも転がっているものではありません。見つけるためには懸命に努力しなければならないのです。
エッセイに注文が多いプロの作家なら普段からテーマの蓄積に務めるべきです。
それを怠らずに行っていれば、たとえ〆切に迫られて書いた作品でも駄作に終わる恐れはないのです。
つまらな作品になる理由はいろいろあるが最大の理由は書き過ぎ
上で書いてきたように、せっかく書いた作品が読者につまらないと評価される原因はいろいろですが最大の理由は書きすぎです。これまで出版社の依頼に任せて書き過ぎてきたからです。
作家といえども書くためには題材(テーマ)をインプットしなければなりません。そのため普段から観察力をフル動員して題材の収集しストックに努めます。
そしてクライアントから原稿の注文に応じてストックしたものからアウトプットして執筆するのです。
そうして書かれた作品なら読者からつまらないとは思われないでしょう。なぜならストックされた選りすぐりのテーマの中から選ばれたものだからです。
でも注文のまま原稿の依頼を受け過ぎると、アウトプットにインプットが追いつかず、ストックが尽きていきます。
そうした状態のときに書いたものがつまらない作品になるのです。
作品を依頼されても良いテーマがないときは執筆を断っては
文壇で長く活躍しているベテラン作家ほど執筆を依頼されるエッセイの数は多くなります。それ故に蓄積してきたエッセイ執筆のためのテーマは次第に枯渇してくるのは当然のことです。
にもかかわらず出版社をはじめ、いろいろなメディアなどからの原稿依頼は一向にとどまることはありません。
蓄えたエッセイのテーマが少なくなっているのに注文が一向に減らないのです。
でも依頼を断ることができないので、その場しのぎの適当なテーマで無理をして書くことになります。
結果は自明の理で、間に合せのテーマではいかに一流作家の腕でも決して良い作品は生まれないのです。
一流作家なら注文が多いのは仕方がありませんが、良いテーマが無いときはたとえ心苦しくても執筆を断ることも必要ではないでしょうか。
無理して引き受けるとやっつけ仕事に終わってしまい、結果として読者に失望を与えるだけです。
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