そもそもこの神田橋語録を知ったのは、躁鬱大学(坂口恭平・著)という本を読んだからです。躁鬱性については、近親者が悩まされていたことがあった関係で以前からひとかたならぬ関心を抱いています。
この躁うつ病、今は病名が双極性障害(英語の Bipolar disorder の訳)と変更されていますが、わかりやすさの点では旧名の方を支持します。
なぜなら双極性障害は聞いただけでは何の病気か想像もつきませんが、躁うつ病だと読んで字のごとしで、躁とうつに関わる心の病であることが容易に理解できるからです。
したがってここでの表記は双極性障害は用いず、躁うつ病で統一することとしました。
その躁うつ病と今回のテーマである「神田橋語録」との関係ですが、実は先に取り上げた「躁鬱大学」という本は、この神田橋語録を解説する形で書かれた本なのです。
「躁うつ病が治らないのは体質だから」という説
躁うつ病はその名のごとく、名前に「病」の文字がついていますから誰もがこれを病気だと思っているはずです。
しかし神田橋語録では上のタイトルで見るように、病気ではなく体質と捉え、だから治らないのだ、と主張しています。
この「躁うつ病は体質である」という点がこの語録の最も注目すべきポイントです。なぜなら従来は病気として捉えられていたものが、そうではなく体質である、として通説を覆しているからです。
これまで躁うつ病に関わってきた多くの患者と治療者がこの新しい考え方に共鳴するのは、これによって躁うつの症状が理解しやすくなっただけでなく、対処法に新たな光明がさしてきたからに違いありません。
この語録には執筆者の人間性がよく現れている
医者には温かさと優しさに満ちた人間性が期待されます。それは弱い立場である患者に寄り添って接して行きべき職務だからです。
人間性として第一に求められるのが、温かさと優しさなのです。
この語録を読んでいると、著者の病気に対する知識はもちろんですが、温かさと優しさを基調とした著者に人間性の素晴らしさが随所に現れています。
その一端がこの語録にある次の文章によく出ています。
神田橋語録より
懐かしい物を見て、体と脳を休ませる。昔のアルバムを見るのも良い。脳に対する癒しだ。
コミュニケーションは言葉のやり取りではなくて、気持ちが分かりあうことだ。
ストレスは人間関係の中にあるので、人間でないものの中でストレス解消すのが良い。
何が売りなんですか?その店は。その店の熱意というものが人をひきつける。
人間は頼られると、どうしても大言壮語したくなる性質がある(のが危険だ)。
子供が怒るからと合わせていると、その子は、合わせる人としかやっていけない人間にな ってしまう。そう仕立て上げているようなものだ。
自分勝手で、かつ周囲とトラブルにならない抜け道には、学者と芸術家がある。
病気の苦しさが下がると、人生のつらさがアップする。だから病気が良くなっても苦痛が 減る事はない。これは本当に良くなった人が必ず言うセリフ。
人に褒められるようになったら、それこそ不幸の始まりだ。
世の中はチト歪んでおりますから、あまり協調してばかりいると、こちらが痛みます。
人間は健康なときに残酷になる。思いやりが無くなってね。
寂しさは執着心と 関係していると。去っていくのを引きとめようとしているのが寂しい。すがろうとしてい るのが寂しさになる。過ぎ行くがままにしている時には寂しさが無い。昔は寂しかったが、 今は無い。それが面白い。
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