この名作を今まで読んでいなかったのが恥ずかしい
まことにお恥ずかしいことですが、日本の敗戦後、満州から日本への引揚者の苦闘を描いたノンフィクション「流れる星は生きている」を知ったのはつい最近のことです。
作家の小川洋子さん、エッセイスト平松洋子さんの共著による「洋子さんの本棚」という本で小川洋子さんが学生時代の愛読書として紹介していたのです。
この本が出版されたのは終戦から4年過ぎた1949年で、私が小学校3年生の頃です。したがって年齢的に出版された当時に読んでいないのは理解できます。
でも出版されて以来長年ベストセラーを続け、さらに偕成社、中央公論社の2社で文庫にされた後も発行部数を拡大し続け、初出版から70年を過ぎた今でもどんどん新しい読者を生み出しているのです。
このように他に例を見ないほど長年に渡り人々から支持され続けた本だけに、これまで読んでなかったのがことさら残念に思えるのです。理由はそれだけではありません。
私にはこの本を読まなければいけない絶対的理由がある
私がこれまでにこの本を知らなかったことを非常に残念に思うのは、単にこの本が空前のベストセラーであったからだけではありません。
それとは別にわたし個人として非常に大切なお理由があるのです。それは私の家族も満州から日本に戻ってきた引揚者だからです。
私の父は満州に渡って「酪農合作社」という日本の組織で働いていました。現地で母と結婚して敗戦当時は5人の子供がいました。
母は父を戦地に残し、5人の子供を連れて満州から日本への引き上げの強行軍に加わったのです。
5人の子どもの年齢はそれぞれ11才、8才、6才、4才、3才です。4歳が私で、男子は私だけで他の子供4人は全て女でした。
この本の著者の子供3人と比べると、10才以上の年長者が1人いるとはいえ数は2人多いのです。
したがって母が味わった労苦は著者と同程度の厳しさがあったのではないでしょうか。
そうした厳しい境遇に遭遇した引揚者であるがゆえに、この本はなんとしても読むべきで、知らなかったで済ますわけにはいかないのです。
著者の藤原ていさんは98歳まで存命でしたが、私の母もなくなったのは99才です。この生命力の強さこそ、多くの子供を連れた厳しい引き上げの労苦を耐え抜いたことの証左ではないでしょうか。
「流れる星は生きている」 藤原てい・著
昭和二十年八月九日、ソ連参戦の夜、満州新京の観象台官舎―
夫と引き裂かれた妻と愛児三人の、言語に絶する脱出行がここから始まった。
敗戦下の悲運に耐えて生き抜いた一人の女性の、苦難と愛情の厳粛な記録。
戦後空前のベストセラーとなり、夫・新田次郎氏に作家として立つことを
決心させた壮絶なノンフィクション。
目次
第1部 涙の丘(駅までの四キロ;別離;無蓋貨車 ほか)
第2部 教会のある町(丘の下へ;墓場から来た男;歯型のついたお芋 ほか)
第3部 魔王の声(親書の秘密;赤土の泥の中をもがく;凍死の前 ほか)
著者等紹介
藤原てい[フジワラテイ]
1918年、長野県生まれ。県立諏訪高女卒業。1939年、のちに作家となる故・新田次郎氏と結婚。43年に新京(現在の長春)の観象台に赴任する夫とともに満州に渡る。敗戦後の45年、新京から愛児を連れた決死の引き揚げを敢行、辛うじて帰国に成功する。その体験を記した『流れる星は生きている』は、敗戦下の苦難の脱出行を活写したすぐれた記録として、戦後空前の大ベストセラーとなった
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
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70年も前に出た本なのに新しいレビューがいっぱい
(読書メーター レビューより)
昭和20年8月9日、ソ連参戦の夜。新京(長春)で夫(藤原寛人33歳)と引き裂かれた妻(藤原てい27歳)が、愛児三人(正弘6歳・正彦3歳・咲子1ヶ月)を引き連れ、敗戦下の満州からの引き揚げを綴った壮絶かつ慟哭の記録です。母子四人が帰国(21年9月)から三ヵ月後、著者の夫(筆名:新田次郎)はシベリア抑留から解放され帰還、親子の再会が叶いました。艱難辛苦に耐え、幼い子どもたちの成長を見守り続けた母・藤原てい(1918-2016)さんの生涯に敬服し、戦争がもたらす罪過を語り継ぐべしの思いを新たにしました。
ナイス★27
幼い子供3人連れて、引き揚げの記録。過酷な環境では子供は邪魔になる、周りは誰も労ってくれない。必死で守り抜いた母親。母は強しとはこの事。 普段自分の子育て、良くも悪くもこどもを大事にし過ぎていると思う。以前に自分の親に言われた、子供は家庭の主ではない、という言葉がなんとなく理解できた。良し悪しはともかく時代は本当に変わった。
ナイス★9
これは独り身でも壮絶な出来事であるが、著者には3人の子供と一緒ということで、更に肉体的、精神的にも壮絶な出来事であったと思う。また子供が一緒にいたことで、同じ日本人であるにも関わらず他人からひどい仕打ちを受けたりと、如何に皆が自分だけはの思いが強かった、そうせざるを、そう思わざるを得なかったのかがわかる。私は戦争を知らない、平和な時代(今のコロナに対する国の対応は置いといて)に生まれて来たので、著者たちの先人の戦争経験者へ頭が下がる思いでいっぱいである。著書はこの先にも語り伝えて行かなければならない。
ナイス★8
夫がシベリア抑留され、旧満州から乳幼児3人を抱えて、朝鮮半島を逃げるように南下し、日本へ引き揚げるまでの壮絶な体験を描いたノンフィクション。子連れの女ということで、同じように逃げる家族からも軽んじられたり、下痢、飢え、渇きに苦しみ、裸足で山を越え、子を1人ずつ抱えて川を渡ったりと過酷な記録の連続でしたが、伝えていかなければならない歴史だと思いました。76年目の終戦記念日に読了。
ナイス★24
6歳、3歳、生後1ヶ月の子をたった1人で守り叱咤しながら、なんとか満州新京からの引き揚げを果たしたノンフィクション。なんと新田次郎氏の奥様です。列車を使いながらも3人の子を抱えながらの逼迫する生活、途中徒歩の行程も山越え川越(川は子供を1人ずつ抱えて往復…もういくつ越えたかわからないとのこと)「日本政府は悪かったけどあなたには罪はない」と接してくれる朝鮮の方や気前のいいソ連兵もいれば、同じ日本人なのに、自分さえよければという人も多く、また引き揚げ船の最後まで嫌な思いをさせられ本当に壮絶な話だった。
ナイス★36
6歳、3歳、生後1ヶ月の子をたった1人で守り叱咤しながら、なんとか満州新京からの引き揚げを果たしたノンフィクション。なんと新田次郎氏の奥様です。列車を使いながらも3人の子を抱えながらの逼迫する生活、途中徒歩の行程も山越え川越(川は子供を1人ずつ抱えて往復…もういくつ越えたかわからないとのこと)「日本政府は悪かったけどあなたには罪はない」と接してくれる朝鮮の方や気前のいいソ連兵もいれば、同じ日本人なのに、自分さえよければという人も多く、また引き揚げ船の最後まで嫌な思いをさせられ本当に壮絶な話だった。
ナイス★36
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