紳士的だったニューヨークのホテルマネージャー
上にあるのは今から約50年前に米国ニューヨーク市の2つのホテルから大坂の私に送られてきた手紙である。
50年前の大阪といえば忘れもしないあの世紀の大イベントExpo ’70 大阪万博があった頃だ。その万博が終わった年に私はニューヨーク渡航を計画していたのだ。
その頃の私は大阪のシティホテルでフロントスタッフとして働いており、12年間の間に市内3つのホテルを転籍して3つ目の職場ではアシスタントマネージャーの地位を得ていた。
が、ホテルマンとして更にステータスを上げるためにはもっと勉強が必要だと感じ、ホテル先進国の米国行きを決意したのだ。
そのために訓練生として雇ってくれる職場探しを始め、その目的で私が送った手紙に返信されてきたのがこれら2通の手紙なのである。
見知らぬ東洋人のぶしつけな手紙に親切に応答してくれたNYの名門ホテル
それにしても当時のアメリカのホテルのマネジャーは思いやりがあふれてとても親切だった。
というのも、見ず知らずの東洋の一ホテルマンからいきなり送られてきたリクエストの書状に対して好意あふれる丁寧な返信を送ってくれたからだ。
場合によっては「紹介者もなしに、失礼にもほどがある!」と、無視されてノーアンサーという結果に終わったかもしれないのだ。
でも、これは後で気づいたことなのだが、手紙を送った時節的タイミングが非常に良かったのかもしれない。
それは当時のニューヨークは日本人観光客ラッシュで、名だたるホテルはどこも連日日本人団体客であふれたいたのだ。
そこで必要になるのが言葉の心配のない日本人スタッフだ。二のニーズにぴったり当てはまったのが私が送った求職打診の手紙だったのだ。
Mr.Parkerから始まったNYのホテル4か所の面接連鎖
4名のマネージャーはみな親切だった
いずれにしても、私はその手紙を持参して意気揚々とニューヨークへ向かったのだ。そしてまず訪ねたのがホテルバークレイのミスターパーカーであった。
彼は手紙に書いていた通りのことを、さも申し訳なさそうに言って、代わりにいい人を紹介してあげる、と連絡してくれたのがホテルアメリカーナのセールスマネジャー、ギルフォイル氏であった。
ホテルアメリカーナはパーカー氏のバークレイに比べると歴史や伝統はそれほど感じられないが、いかにも近代的でしゃれた感じの高層の建物であった。
で、ここで働けるのかと喜んでいたら、ギルフォイル氏はさらに次のホテルを推薦してくれたのだ。
私のところよりもっと日本人客が多いところの方が良いのでは、という理由で紹介してくれたのがニューヨークヒルトンなのである。
そこまでことが進んで、私は最終的にNYの職場は有名なヒルトンホテルになったか、とすっかり満足してしていた。
もっとも、配属されたのはさらに日本人客が多い系列のスタットラーヒルトンというホテルであった。
そこで出会ったのが直属上司となるフロントマネージャーのスレイター氏であった。
かくして
バークレイ⇒アメリカーナ⇒ニューヨークヒルトン⇒スタットラーヒルトン
と経由して、やっと4つ目でNYでの勤務先のテルが決まったわけだ。
それにしてもニューヨークのホテルのマネージャーは4人ともみんな親切な人ばかりだった。
手紙をくれたHotelBarcley,とHotelTaft(現ミケランジェロ)は今も健在
私に手紙をくれたニューヨークの二つのホテルは半世紀が過ぎた今も健在である。
上に載せたのはHotel Barclayの現在の写真と、Hotel Taftの建物の過去の写真である。
Hotel Barclayは当時も歴史のある立派なホテルだったが、50年を経た今もインターコンチネンタルホテル傘下でニューヨークの名門ホテルとして君臨している
一方のHotelTaftは経営者が代わりホテル「ザ・ミケランジェロ」として今も健在だ
50年を経た今もあの2つのホテルが健在であることは、私にとっては限りなく喜ばしいことである。
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