2024年7月27日土曜日

新「おひとりさま」考(シリーズ1~4)その4


 (その4)

おひとりさまのメリットとデメリット




おひとりさまのメリットとは

・誰にも気を遣わずのんきに暮らせる

人はどんな時に疲れやストレスを感じるかと言うと、いろいろある中で人と接触するときがいちばん大きいのではないでしょうか。人との接触はとにかく気を使います。

それは相手を喜ばしたい、相手に嫌われたくない、という気持ちが働くからです。接触している間中、どんなことを言えば喜ばれるか、こんなことをしたら楽しんでもらえるか、などなど、相手と一緒の時はずっと気を使いっぱなしです。

これで疲れないはずがありません。それが証拠に、相手と別れた瞬間のホッとした気持ちは何と心地よいことでしょう。

そうなのです。疲れやストレスと無縁の生活を送りたいがゆえに、人は「おひとりさま」を選択するのです。


・生活費がかからず貯金ができる

おひとりさまは概して物欲があまりありません。それゆえのモノの購買が少なくそのぶん出費も減ります。

もちろん食費をはじめ生活費はかかりますが、大勢の家族と暮らす時と比べると、その額は微々たるものです。したがって年金がそれほど多くなくても、しぜんにお金が貯まります。

貯まったお金も若い時のようにレジャーに費やすことも少ないため大きく減ることもありません。

お金があると精神的なゆとりができ、それがおひとりさまの大きな安心感につながるのです。


・何をするにも自分だけで決められる

何かするとき面倒なのは人に相談することです。自分ひとりで決めたら家人が気を悪くするのではと思って、自分だけでは決められないのです。

ひとりで決められないことへの葛藤と、相談することへのプレッシャーからストレスを感じます。

でもおひとりさまなら相談する相手がいないので、そんな心配は無用です。何をするにも、どこへ行くにも、自分ひとりで決められますから、面倒さがなく、プレッシャーもストレスも感じません。

これもおひとりさまの大きなメリットです。


おひとりさまのデメリットとは

・孤独死に対する恐れがある

高齢化社会では死者が多くなるのですが、一般の人の老齢での死亡は有名人でない限り話題になりません。でも例外があります。それは孤独死という死に方をした場合です。

この死に方に限っては新聞などメディアで報道されることがよくあります。

例えば「団地で85歳の女性死亡、1か月間誰も気づかず」というふうなセンセーショナルな見出しで報道されることが多いのです。

こうした死亡はおひとりさま(ひとり暮らし)に多いのですが、独り暮らしの悲惨さをクローズアップするための報道に違いありません

。それ故に読者に関心を持たれるのでメディアは報道するのです。


・身元保証が受けにくい

いま問題になっていることのひとつにおひとりさま、つまり一人暮らしの高齢者が賃貸住宅を借りにくいことがあります。理由は身元保証人がいないことです。

おひとりさまが一人の生活に踏み切るのは、わずらわしさを避けるため、ということがあります。それ故に家族と疎遠になり、何かの時にものを頼みにくくなるのです。

身元保証人がいなくなるのもそれが大きな理由です。でもこの問題それほど大きくないのでは。というのも最近のおひとりさまは経済的に豊かな人が多く、自己所有の住宅を所有している人が多いからです。


いろいろある「おひとりさま」に関する本



おひとりさまの老後 上野千鶴子 (文春文庫)

担当編集者より

結婚していてもしていなくても、長生きすれば、最後はみんなひとりになる。社会学者で、自らもおひとりさまである著者が、数多くのケーススタディをふまえ、ひとりで安心して老い、心おきなく死ぬためのノウハウを、住まいやお金などの現実的な問題から心構えや覚悟にいたるまで考察。75万部のベストセラー。解説・角田光代    出典:文藝春秋



おひとりさま日和  (双葉文庫 ) 


「ひとりの生活」をテーマにした6名の女性作家によるオール書き下ろし競作集。物騒なので番犬のレンタルサービスを始めた女性。

一方で見守りペンダントを身につけ、頼りにする女性。遠距離恋愛をしながら山暮らしを愛おしむ草木染め作家。週末に一人で映画館に行く趣味にお仲間ができた教師。

郊外に戸建てを買ってすぐに夫に先立たれた妻。マンションの大家さんとの交流が人生の転機となる住人――笑わせられたり、ほっこりしたりしみじみしたり。

味わい違ってどれもが面白い。時々引っ張り出して読み返したくなること請け合いの本棚本

出典:Amazon

おひとりさまで逝こう  日本尊厳死協会 (弓立社)



「パラサイト・シングル」「負け犬」「おひとりさま」――。ここ数年、あるいは十数年における社会現象やベストセラー書のキーワードから、「贅沢を楽しみ、家庭に束縛されない自由な生活」をめざす独身女性が増えてきたことがうかがえます。そもそも「家」というのは個人を束縛するものです。戦後日本が「家」制度を解体して核家族化を進めてきた背景には、それまでの封建的な家父長制から、いかに個人を解放するか、という課題があった。そういう世の中にあって、私たち一家は、ある時期より三世帯・三世代同居というライフスタイルをあえて選択しました。その模様を私は、平成15年に出版した『三家族11人で暮らしてみたら』(扶桑社)の中で描きました。「おひとりさま」のライフスタイルが様々に論じられ、また家族とは何かがあらためて問われる今日、何かの参考になればと思い、改題のうえ復刊いたしました。(金美齢・「新版へのまえがき」より抜粋


その他の本


・男おひとりさま道 上野千鶴子 (文春文庫)

・ひとりで老いる  (SB新書)

・おひとりさまで幸せになる人、ならない人  (幻冬舎)

・おひとしまなの後始末  (小学館)

・おひとりさまのはじめまして (幻冬舎)


2024年7月23日火曜日

ヒトラーは「アウトバーン」と「フォルクスワーゲン」を残したが、東条英機は何を残した?

 



タイトルは鉄腕アトムの手塚治虫がエッセイ集を参考にしています。

このエッセイは、手塚治虫エッセイ集成の「村の名所」(202ページ)にあり、もとは朝日新聞夕刊に載せられたものです。

内容は、あの悪名高いヒトラーでさえ、「アウトバーン」や「フォルクスワーゲンという立派な資産を後世に残しているがそれに比べて日本の東条英機はどうだろうかと、読者に問いかけるものです。

これは、読んだ人が思わず「ウーン」と唸って、深く考えさせられるほどの、示唆に富んだ問いかけではありませんか。

ここではネットに掲載されている記事から、ヒトラーの「フォルクスワーゲン」及び「アウトバーン」との関係性を見ていくことにします。

 

ヒトラーとフォルクスワーゲン

ヒトラーは大の車マニアで、メルセデスやアウトウニオンなどに「最高速チャレンジカー」などを作らせ、車の性能を競わせていました。
その背景にはドイツに「自動車産業」というものを作り出して、ヒトラー以前の不況にあえいでいたドイツ人の生活を向上させよう、という狙いがありました。

かの有名なアウトバーンの建設も「不況対策」としての理由が大きいです。

そのメルセデス製レーシングカーの設計をしていたのが、
かのポルシェ博士(ドイツの自動車メーカーのエンジニアは博士号を持ってる人がやたらに多い)。
そしてヒトラーの「国民車構想」にこたえる形で設計されたのが、
ポルシェタイプ1こと「ビートル」です。


(注)「Volks;国民。Wagen;車。国民車=VolksWagen」

出典:CarView

 

ヒトラーとアウトバーン

 アウトバーンは、しばしばナチス=ドイツの指導者ヒトラーの「唯一の功績」として、あるいはその先見性ある判断、失業者対策の公共事業などとして称賛されている。

高校用教科書にも、例えば山川出版社詳説世界史では「ナチスは四カ年計画によって軍需工業を拡張し、アウトバーン(自動車専用道路)建設など大規模な土木工事を起こして失業者を急速に減らし・・・」とある。

東京書籍世界史Bは「ナチスはアウトバーン(自動車専用道路)の建設や軍需生産によって失業を克服し、36年からは「四カ年計画」により戦争に向けた経済体制づくりに乗り出した。」としている。そして、2008年度の東大入試にもヒトラーが進めた高速自動車道路の名称を問うている

出典:世界史の窓

 

 


2024年7月19日金曜日

新「おひとりさま」考(シリーズ1~4)その3

 


(その3)

おひとりさまのふところは豊かで生活に余裕がある

おひとりさまといえば、その多くは高齢者で、それだけに若年層に比べて経済的には余裕がある人が多いようです。

特殊詐欺などの詐欺師が高齢者をターゲットにするのも金を持ってると見ているからに違いありません。

統計によると人は死ぬときがいちばんお金をたくさん持っている時、となっています。

これはあまりお金を使わない「おひとりさま」の期間が長くなってきているからではないでしょうか。

こうした「死に金」を増やすのは無駄なことです。

どうか「老後必要なお金は2000万円」とかいう生命保険会社や投資会社の宣伝文句の惑わされないで、生きているうちに生活をエンジョイするためにどんどんお金を使っていきましょう。


おひとりさま向けのマーケティング

お金を持っていて裕福だと目されている高齢者は、いま様々な経済分野で消費のターゲットになっているようです。

要するに裕福な高齢者にもっとお金を使わそうというマーケティング活動が展開されているのです。

でもいくらお金を持っているかと言って、高齢者はモノに対してはあまり欲望がありません。

なぜなら死にゆく身にとってモノは邪魔になるからです。それ故に高齢者終活の一環として断捨離が行われているのです。

断捨離でモノを手放しているのに物欲があるわけがありません。したがってお金を使う分野はサービス産業に限ります。

例えば、観劇、旅行、習いごとなどがマーケティングが盛んな分野になっているのではないでしょうか。


おひとりさまの外食事情

いろいろあるおひとりさまの外食(屋外活動)パターン

外食とか屋外活動のパターンはいろいろありますが、どちらかといえば人々が複数で行うものというイメージを抱いている行動パターンが多いようです。

これをあえて「ひとりなんとか」と命名して、おひとりさまが参入しやすくするもので、いわばおひとりさま層に向けた新たなマーケティングの手法ではないでしょうか。

下にあげるものはネットなどで話題になり、良く取り上げられているパターンの一部です。


・ひとり焼肉

焼肉屋へは家族や仲間など、なるべくグループで行って、皆でにぎやかに楽しむのが望ましいと考える人が多いのではないでしょうか。

多分これは焼肉を食べると精がつき元気になるので、そうした点から、にぎやかさを歓迎するからなのでしょう。

そうしたイメージゆえにおひとりさまには若干敷居が高くて入るのに気後れを感じさせるのです。

でも「ひとり焼肉」というフレーズが人々の目によく触れるようになると、そうした入りづらさは解消されるのではないでしょうか。


・ひとり居酒屋

飲み屋はいろいろありますが、騒がしい雰囲気が歓迎されるのは居酒屋が第一ではないでしょうか。

「酒はひとりで静かに飲むもの」という人もいますが、居酒屋にはこれはなじみません。

でも女性にも飲んべえが増えている昨今、ひとりで静かに飲みたい女性のために、カウンター席を増設する居酒屋も少なくないようです。

つまり増えつつある女性のおひとりさま対策として、「ひとり居酒屋」というフレーズが使われ始めたのです。


・ひとりファミレス

ファミレスはその名前のとおり、「家族そろってお越しください」というのが店側の願望に命名されたに違いありません。

それ故におひとりさまは「ひとりで入るのは店に気の毒」と思って、つい入るのを躊躇します。

でも最近はここでテレワークをする人も増えてきました。

おひとりさまがファミレスに行くときは、モバイルパソコンを持参するに限ります。


・ひとりカラオケ

最近では完全施錠のカラオケルームを設置する店が増えいます。

これがおひとりさま獲得対策とは限りませんが、こうした店が増えることはおひとりさまには大歓迎です。


・ひとり(ソロ)キャンプ

これぞおひとりさまにはうってつけの野外行動に違いありません。なぜなら今やネットやテレビなどで、メディアが盛んに「ソロキャンプ」というワードを使用しているからです。

ソロキャンプとは言わすとしれた「ソロ(ひとり)」のこと。ソロキャンプとはそのものズバリ、「おひとりさまのキャンプ」そのものなのです。

キャンプには体力が要り、高齢者には不向きなのでは、と考える向きもあるかもしれませんが、市街地からあまり離れていない家族向けキャンプ場なら、そんな心配は不要です。


・ひとり旅行

一人旅行という旅行パターンは若い人ほど多いようですが、高齢者はどうなのでしょうか。はっきり言って若年層に比べるとそれほど多いとは言えません。

でもお金に余裕がある高齢者には、お金を上手に消費する方法として旅行は、手段として適しているのではないでしょうか。

高齢者がひとり旅行をしないとしたら、それは健康面での不安があるからではないでしょうか。

要するに何かあったとき助けてくれる人がいない、という不安なのです。そこで考えられるのは次のようなプランです。


高齢者のひとり旅行を促進するための新サービスを立ち上げる

高齢者のひとり旅行をサポートする事業を立ち上げるというアイデアはどうでしょうか。

これはおひとりさまの旅行に「サポーターが行動を共にする」プランなのですが、サポーターに対しては、例えば旅館の客室、食事などは日常生活と同程度に、できるだけリーズナブルな費用に抑えます。

もちろん移動の時などを除いて、サポーターがおひとりさまを邪魔しないように、「行動は別」とすることは、言うまでもありません。

旅館などの宿泊施設も、この企画が育てば市場を大きく伸ばすものと期待して、きっと協力してくれるところは少なくないと思われます。

手前みそかも知れませんが、この企画はヒットする可能性大です。


2024年7月14日日曜日

読んで書く 「読むこと」と「書くこと」

 



書く人は読む人

作家やライターなどと呼ばれる人たちはものを書くのが仕事ですからたいていは毎日絶え間なく何かを書いています。

でも書くことがすべてかというと決してそうではなく、半分ぐらいは「読むこと」に時間を費やしています。なぜそうするかといえば、読むことなしには書くことができないからです。

そうなのです。読むことによって書くことを生み出していて、両者はいわばインプットとアウトプットの相関関係にあるのです。

こうしたことが、書く人は読む人とも言われる所以なのではないでしょうか。

 

インプットとアウトプットの関係

読むことと書くことがなぜインプットとアウトプットの関係にあるのかというと、インプットがあってこそアウトプットが可能になるのであり、読むことがあってこそ書くことができるからです。

これは商店が卸市場でモノを仕入れて、それを売るように、書く人は多くのものを読むことで情報や知識を仕入れ(インプット)しておき、それによって書くこと(アウトプット)ができるのです。

 

比率は3対7ぐらいが理想的と言われるが

インプットがあってアウトプットがあるとはいえ、これら二者の量は決して同等ではなくかなりの差があるようです。

理想的な比率はインプット(3)に対してアウトプット(7)と言われています。でもこれはなぜなのでしょう。

3対7という二社の差は確かに大きいのですが、でもこれは学習時における限定的なもので、学習で記憶率を上げるための効果的な比率を言っているのであって、あらゆる場面に通じるものではありません。

 

インプットとアウトプットは「3:7」を意識せよ

勉強には、大まかに分けて2つの種類があります。1つが、読書や暗記、講義を受けるなどの「インプット型」の勉強。そしてもう1つが、知識を人に紹介したり、読書内容をレポートにまとめたり、問題集を解いたりするなどの「アウトプット型」の勉強です。

私たちは、本を読んだり、講義を聞いたりするインプット型の勉強だけでは、学んだ内容を記憶できないと言われています。というのも、脳はインプットした情報のうち「使う情報」のみを記憶としてとどめる性質があるからです。しっかり記憶するためには、話したり書いたりして「情報を使う=アウトプットする」ことが必要。勉強はインプットとアウトプットの両方を行うべきなのです。

では、インプット型とアウトプット型の勉強を、具体的にどれくらいの割合で行えばよいのでしょうか?

ここで押さえておきたい比率は「3:7」です。脳科学にも詳しい精神科医の樺沢紫苑(かばさわ・しおん)先生は、以前StudyHackerが行ったインタビューの中で次のように解説していました。

「インプットが3に対してアウトプットが7」。これが記憶をもっとも効率化する比率。

(引用元:Study Hacker|インプットとアウトプットには黄金比あり! 脳科学で「勉強」「記憶」の効率を劇的に上げる。

例えば、文章の書き方について3時間読書したら、7時間はブログを書いてみるといった形にすればよいのです。インプットよりもアウトプットに重きを置くのがポイント。単純ですが、時間で比を作るのが簡単なので、試してみてはいかがでしょう

 

出典:study hacker

 

モノを書くのが仕事の小説家はインプットの方が圧倒的に多い

上で挙げたように、インプットとアウトプットの比率は3:7が理想的と言われていますが、これはあくまで学習上の記憶に当てはめて言われることで、作家のようなモノを書く人のインプット、アウトプットは対象になりません。

それを証明するように、例えば小説家の浅田次郎は1日1冊の本を読むのを日課にしています。これだと一週間に7冊、一か月だと30冊にも及ぶ凄い量です。


浅田次郎だけではなく、今は故人になった井上ひさしは、本屋への支払いが毎月30万円を下らなかったといいますから、読書量は浅田次郎を上回るかもしれません。


このようにプロの作家ともなると、これだけたくさんの本を読んで情報や知識をインプットしているのです。


ではアウトプットの方はどうでしょうか。浅田次郎は人気作家で、複数の雑誌に連載小説を書いており、どちらかといえば多作であるだけに、作家の中ではアウトプットが多い方ではないでしょうか。


小説家(作家)にインプットとアウトプット(3:7)の比率は当てはまらない


とはいえ、一日一冊というインプットの量に及ぶものではありません。


仮にインプットとアウトプットを五分五分としても、一日一冊の本を書くことは不可能で、もっとも速くて1週間はかかるでしょう。


だとするとこの場合のインプット、アウトプットの比率は1:7になりますから、小説執筆に限って言えば、アウトプットはインプットの7分の1に過ぎないないのです。


(仮にブログなどの執筆があったとしても、アウトプットは1ぐらい増えるだけ)。


したがって小説家に対しては前述の3対7というインプットとアウトプットの比率はあてはまらないのです。


2024年7月9日火曜日

「外見で人を判断してはいけない」は正しいのか

 


近頃ルッキズム(注)
という言葉をよく聴く。つい最近も週刊誌AERAでルッキズムに走る近頃の若者の生態を追った記事を読んだ。ルッキズム、見た目至上主義のことだ。

つまり、人は見た目が第一で、それが悪ければ、人生での成功はない、とまで言い切っている。

だが一方、子どものころ「見かけだけで人を判断したらいけませんよ」と、学校の先生や親などからいわれた経験がある人は多いのではなかろうか。

こうしたことを言われた人が西洋の偉人が言った「外見で人を判断しないのは愚か者である(オスカーワイルド)」という格言を知ると、いったいどちらが正しいの?と混乱してしまうに違いない。

でもよく考えてみると「外見で人を判断してはいけない」は言葉として不十分な表現ではないだろうか。

これってたぶん外見が良くない人を指して言っているのだろうから、正しくは「外見が良くないからと言って、それだけで人を判断してはいけませんよ」となるのではあるまいか。


(注)ルッキズムとは

ルッキズムとは、外見を最も重要な要素として人間の価値を測る考え方、またはその考え方によって他人や自分自身を判断したり差別したりすることです。日本語では「外見至上主義」とも呼ばれます。google (AI)


人は日常的に外見から人を判断している

人はよく「あの人はやさしそうだ」「あの人は怖そうだ」「あの人はサラリーマン風だ」「あの人は力仕事関係のようだ」などというが、これはつまり人を外見から判断しているのではないだろうか.。

いうまでもなく目先で人を判別しているのであるが、このようなことは誰もが日常的にやっているごく普通のことなのではないだろうか。

なのに「人を外見で判断してはいけませんよ」などと、今さらながら大人が子供に対して言うのは口先だけのきれいごとに過ぎないと思えてくる。


かのオスカーワイルドは

「外見で人を判断しないのは愚か者である」と言っているが

オスカーワイルドの言うこの言葉について考えていると、なぜか「性善説を信じる日本人」というテーマが頭に浮かんできて、二つは同質の問題ではないか、と思えてくるのだ。

つまりこれら二つは、どちらも「お人好し」と言われている日本人特有の、錯覚からくる「思いこみ」なのではないだろうか。

それはお人好し人間が抱きやすい「人のことを悪く思ってはいけない」という、気の弱さが元になった「思いこみ」である。

人はよく「人を見る目がある」とか、その逆の「見る目がない」ともいう。では「見る目がある、ない」とはどのようなことを指すのだろうか。

いうまでもないことだが、「見る目がある」は、外見だけで相手の本質を判断する力があることであり、逆の「見る目がない」はそうした能力が劣ることを指しているのだ。

オスカーワイルドが言っているのは、まさにこのことに違いない。

 

オスカーワイルド

オスカー・ワイルドは、アイルランド出身の詩人、作家、劇作家。 耽美的・退廃的・懐疑的だった19世紀末文学の旗手のように語られる。多彩な文筆活動を行ったが、男色を咎められて収監され、出獄後、失意から回復しないままに没した。

ウィキペディア

 

『ルッキズム」に関する記事

「整形に向かう中高生、入学時と卒業時まるで違う顔も 広がる過剰なルッキズム」

AERA 2024年6月10日号


2024年7月3日水曜日

読書とインターネットが切り離せないのはなぜ?

 


上の写真ではパソコンの上に文庫本が乗っています。

本は読みさしのもので、パソコンはいうまでもなく、いつでも使用可能なスイッチオンの状態になっています。

これはつまり、本を読むときはパソコンが不可欠だということを表しているのです。

でも一昔前なら、本と一緒に並ぶのは紙の辞書だったのではないでしょうか。

しかし、ペーパー辞書とパソコンのスピードは比べようもなく、おそらく1:5ぐらいの差があるのではないだろうか。

 

エッセイ集に知らない漢字熟語が四つも出てきた

こんなことをブログに書くのも、つい最近酒井順子の「家族終了」というエッセイ集を読んでいると、知らない漢字熟語が多く出てきて、しばしばパソコンにお世話になったからなのです。

ちなみのそれらを挙げてみると、慰撫(いぶ)、膾炙(かいしゃ)。紐帯(ちゅうたい)、泉下(せんか)などです。

上で辞書とパソコンの調べるスピードは1対5と書きましたが、だとすると、これら四つをパソコンで調べるのは、一つを辞書で調べるのより速いことになります。それも4倍以上速いのです。

余談ですが、わたしが本の良し悪しを決める尺度の一つにしているのは「おもしろくてためになる」ということですです。

この尺度から考えると、今回のエッセイ集は、知らない漢字の読み方も、知らない意味も、いくつも教えてくれたので、「ためになる」良い本ということになります。

 

本を読まなくなったのはインターネットのせい、というのは本当か

話は変わりますが、いま巷間では「インターネットのせいで人が本を読まなくなった」と言われています。この意見に対して、個人的には半分賛成、半分反対というのが本音です。

確かに電車内でもカフェでもスマホとにらめっこしている人は多くても、本を開いている人はごく僅かにすぎないようです。

というか、車両全体を見渡しても1〜2人しかいない時もあります。

こうした状況を考えると、本を読まなくなったのはインターネットのせい、という意見を認めざるを得ない気がしてきます。

しかし自分自身のことを考えると、この意見に対して素直にYesと言い難いところがあるのです。

それは今から14年も前の2010年のこのブログに載せたネット利用時間数と読書量の意外な関係」htps://tuneoo.blogspot.com/2010/06/blog-post_24.html に書いたように、個人的には読書量がインターネット出現前より後の方が読書量が増えているからです。

 

インターネットとの相乗効果で本を多く読むようになった

上で紹介した2010年の記事のように、私自身はインターネットのせいで読書量が減るようなことはなく、ネットとの相乗効果で逆に増えています。


ネットとの相乗効果というのは、ネット検索の多用で情報や知識が増え、それらに刺激を受けて、関連する書籍へ関心が高まるからにほかなりません。


わたし自身のこうした傾向は、決して個人だけのことに終わらず、ネットとの相乗効果で人々の読書欲は再び高まってくるのではないでしょうか。


そうでなければ、日本が本を読まない国に成り下がり、国力がますます衰えてくるばかりです


本を読むと疑問や問題提起が起るがインターネットでそれらを解決


ネットと読書の相乗効果についての論理をさらに展開させると、両者の関係は、読書がもたらす疑問や問題提起をインターネットが解決するという相関関係が成り立ちます。


もちろんこの逆もあり、ネットで得た情報が読書につながることも少なくありません。


ということは読書をするほどインターネット利用が多くなり、それにつれてますます読書が増えていく、という相乗効果が生まれるのではないでしょうか。