2010年12月5日日曜日

本当に低いのか?・日本人の精神年齢

精神年齢測定
マッカーサーが終戦当時の日本人を指して精神年齢は「12歳」と言ったそうだが、あれから60年以上たった現在でもはたしてそうした傾向はあるのだろうか。

残念ながら今でも一般的に日本人の精神年齢は欧米諸国に比べてかなり遅れているのは事実だと言われている。

例えばアメリカと比較してみるとその遅れは、なんと10歳から15歳に及ぶという説さえある。

これはまさに「大人と子供の差」と言ってもいいくらいの差ではないか。

こんなふうに言うと、「そんな馬鹿なことはない、昔ならいざ知らず諸外国に比べて教育水準も高く、ましてやて経済大国になって欧米の大国と肩を並べ「先進七カ国」にも入っている日本が、今では決してそうであるはずはない。

もし差があるにしてもそれは微々たるもので、一昔に比べてかなり縮まっているはずである」

などと言う声がどこかから聞こえてきそうである。

しかしそんな声には申し訳ないが、今でもかなり遅れているのは事実であるようなのである。

20代終わりから30代はじめにかけてアメリカ在住を経験して、一年以上の間外国人ばかりの職場で働いたことのある私には、現地で体験した生活の実感からもよく分かるのである。

折に触れて例に挙げているが、21歳の女性である職場の同僚ミス・スーザンが朝の挨拶で「How is your sexlife?」と、臆面もなく当時かなり歳上の私に問い掛けてきたことなども、欧米人の精神年齢の進んでいる一つのいい例である。

その彼女、当時29歳の私などよりむしろ精神年齢においてはうんと上位にいたのではないだろうか。

もっとも私の方にも問題があったのかもしれないが。

もちろん日本人も終戦当時などに比べると大きく成長してきているには違いない。

でも、最も進んでいると言われるフランス人やアメリカ人の精神年齢に追いついて、もはやその差はほとんどなくなったというような状態では決してないのではあるまいか。

それはなぜなのだろうか?

教育レベルは他の先進国と比べても遜色ないし、生活水準にしてもこのところ随分上がってきているはずなのに・・・と首を傾げたくなる気持ちもよくわかる。

でも疑問を解くためにはこうした観点に立って考えてみるだけでは答えは出ないようである。

これに関してインターネットなどを眺めててみるといろいろな意見があるようだ。

・ 宗教心がないから道徳観や倫理観を育めない。宗教心を持たない者を欧米人は遅れていると見なす傾向がある。

・ 親頼みの期間が長く、自立するのが遅いため世間にもまれていない。この点も親離れが早い欧米とはうんと差がある

・ 島国で他民族とのかかわりが少なく、もまれていないせいか、ものの考え方が幼稚で独善的。

こうしたは意見はいずれもなるほどと思わせるものであり、部分的には当たっているところもあると思う。

しかし今一歩説得力に欠けるようでもある。

ここで少し角度を変えて、物理的な理由で分かりやすくこれを説明した意見があるので、最後にそれについて触れてみよう。

この意見は長期間アメリカ滞在して日本語と英語の違いについて研究したある女性研究者が自分の著書で発表しているものである。

それによると、日本の子供とアメリカの子供の言語習得のプロセスの違いは、日本の子供が小学校1年くらいでひらがなを習い始めるのに比べて、一般的にアメリカの子供が文字を読み始めるのは2〜3年遅いそうだ。

しかし、いったん文字の読みを覚えると、平均で11歳くらいになると、新聞とか大人が読む本がすらすら読めるようになるという。

これにくらべて日本の子供は、ひらがなやカタカナの読み始めは確かに早いのだが、それ以後の進歩に時間がかかり、アメリカの11歳の子供のように新聞や大人の本がすらすら読めるようになるには中学3年くらいまで勉強を続けなければいけない。

これは頭脳の差でなく、単に言語構造(量的な問題もあるが)の差がもたらす結果なのだ。

およそ、人間の精神年齢を形成する要素として活字ほど大きな役目を果たすものは他にない。

その活字(大人の読みもの)に接する時期および通算期間の差が大きいのだ。

小学校3〜4年で、もう普通の新聞が読めるアメリカの子供、中学3年くらいにならないと大人の読物には歯が立たない日本の子供、この点を無視して日米の精神年齢の差について論ずることは困難なのである。

では、こうしたプロセスに沿って形成された決定的な差に対して、この先少しでもそれを縮めていく方法を見つけることなど、不可能なのではないだろうか。

でも、まったくお手上げというもとでもない。

それは、日本の子供たちにできるだけ早く英語を習得させ、話し言葉としてそれを使って、精神年齢の進んだアメリカ人(アメリカ人だけに限らないが)にどんどん接することにより、できるだけ彼らのものの見方、考え方を知り、その長所を学び取ることだと思う。

これこそが当方にとっては屈辱的とも思える二者間の精神年齢の差を、少しでも縮めるための早道ではないだろうか。

以上がこの方の意見である。

今後この問題を考える上での大きなヒントになりそうだ。


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2010年12月4日土曜日

「モノ書き」は2台のパソコンを駆使してスピーディーに

私がブログ記事を書くに際してまわりに辞書などを置いておくことはまったくない。

そのかわり記事執筆用のパソコンのすぐ横にもう一台別のパソコンを備えている。

もちろんスイッチオンの状態で画面には「google検索」を出しておく。

1台でも間に合わないことはないのだがスピードのことを考えて、画面切り替えの手間が
かからないようにと2台使用しているのである。

そういう状態でブログ記事の執筆に及ぶのであるが、執筆途上での言葉の意味や英語のスペル、その他に記事に必要な調べ事はすべて「google検索」ですませている。

日常何げなく使っているような、どうっていうことのない言葉でも確認の意味で「検索窓」に入れてみる。

すると「google」はどんな言葉であろうとすぐにその答えを出してくれる。

これまで答えの出なかったことは一度もない。

これが従来のペーパー辞書だとどうであろう。

必ずしもすぐに答えを出してくれるということばかりではないのではなかろうか。

例えば以前経験したことだが、普通の国語辞典を使って「無機質」という言葉を調べてみた。
ところがである。

どう探してもその言葉は見つからないのである。

仕方なくもう一冊別の辞書を当たってみると、なんとか意味に対する説明は出ているのだが、それは化学用語としてのその言葉の解説で、一般的用語として使われる際の説明ではなかった。

もちろん「広辞苑」あたりだとちゃんと出ているに違いない。

でもそのとき手元には広辞苑はなかった。

では、これを「google検索」で調べてみるとどうだろう。

すると先ほどの辞書のような化学的用語としての説明以外に次のような説明も付け加えられているのである。

「生命や感情が感じられない冷淡な印象を無機質と例えることもある」

これでやっとこちらが知りたかった意味がはっきり分かったのである。

このように一般的な辞書では間に合わない場合も、「google」だと一発で解決してくれるのである。

そういう意味で今や私は「紙の辞書には一切頼っておらず、すべて「google」頼みなのである。

それに紙の辞書で調べるのに比べて、スピードが全然違う。

一台のパソコンだと画面を切り替える手間がかかるが、もう一台の別のものを使えばその手間は省ける。

二台のパソコンを使っている私の場合だとわずか数秒で答えを見つけることができるのである。
このスピードの違いは実に大きい。

したがって「スピードを旨」とする「ライター」などのように書くことを日課にする者にとって、その利便性はペーパー辞書の比ではない。

今後私はもう二度と紙の辞書に戻ることはないだろう。

ほとんどの場合は「google」だけで間にあうが、それで万一不足なら「ウィキペディア」を使うだけである。

一抹の寂しさは残るが、どう考えても今や紙の辞書とは「おさらば」なのである。

2010年12月3日金曜日

MOZART is wonderful・モーツアルトはすばらしい!

「天才は夭折する」とよく言われるが、多くの芸術家の中でクラシック音楽の作曲家ほど沢山の人が早世している分野もめずらしい。

偉大な作曲家モーツアルトもその一人で、35歳という若さでこの世を去っている。

しかし、この人は「1756年から1791年」までの短い人生の中で、数え切れないくらいの多くの名曲を残している。

その数はなんと700曲にも及んでいて、全作曲家を見ても短期間にこれほどの数を残した人は他にいない。

でも数が多ければその中にはいわゆる「駄作」というものもある程度含まれているのが世の常なのだが、モーツアルトの作品にはほとんどそれがなくて、ことごとく作品が聴いてすばらしい名曲ばかりなのである。

別の言葉でいえば彼の作品には「ハズレ」がなく、すべて「当たり」ばかりなのである。

いくら名作曲家といえども、例えば「ショパン」などだと決してそうはいかず、途中で旋律が乱れたりする音程の一貫性に乏しいいわゆる「ハズレの作品」も少なからずあるのだ。

よくモーツアルトの作品が「癒しの音楽」などと呼ばれることがあるが、それはどういう理由からなのだろうか。

第一の理由はその「旋律の美しさ」ではないだろうか。

そして第二の理由は万人が理解し易い、その「大衆性」(通俗性)ではないだろうか。

なぜなら大衆性の乏しい一部のクラシック音楽にありがちな「難解な曲」だと、鑑賞するどころか聴きつづけることさえ困難で決して「癒し」どころの話ではないと思われるからである。

「大衆性」とか「通俗性」だとか言えば何だか安っぽく聞こえるかも知れないが彼に関しては決してそんなことはない。

いわばいい意味での日本の歌謡曲のような「親しみやすさ」がモーツアルトの曲にはあるのではないだろうか。

一説によればモーツアルトの母国オーストリアでも、この通俗性を嫌って、評論家の中には彼の曲を認めない人もいたそうだ。

しかし一部の作曲家に見られるような「難解」で決して万人が理解できないような曲がどうしてすばらしい曲だと言えようか。

要するに音楽とは聞いて耳障りがよく気持よければそれでいいのではないのだろうか。

それ故に音楽においては、例えば絵画で言えば「ピカソ」の作品などのような「難解で抽象的」なものは聴かなくてもいいのではなかろうか。

もしクラッシク音楽を「とっつきにくい」ものだと考える人がいるとすれば、そうした難解で抽象的な音楽をあえて聞こうとするからではないだろうか。

モーツアルトを聞くかぎりでは決してそうした感想を抱くことはないはずである。

さて、このへんで下手な解説などはやめにして、このブログの終りに一部ではあるが万人に認められた18世紀最高の作曲家モーツアルトのすばらしい曲の名前を挙げておくことにしよう。

                 ♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪

・協奏曲

(ピアノ協奏曲)    9番・21番・23番・24番・26番
(バイオリン協奏曲)5番・1番・2番・3番
 (クラリネット協奏曲) KV622「アダージョ」
 (フルート協奏曲) 1番
 (ホルン協奏曲)  1番

・ピアノソナタ       11番・12番・13番・14番

・交響曲          25番・37番・39番・40番

・その他          アイネクライネナハトムジーク
                               フルートとハープのための協奏曲
                
              ♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪

2010年12月2日木曜日

1970 NewYork City「西97丁目」の思い出(8)・思いがけない下宿人

この日仕事を終えて96丁目で地下鉄を降りたときは、まだ5時を少しまわったばかりであったが、初冬の日の沈むのは早く、あたりにはすっかり夜のとばりが降りていて所々のネオンサインだけが微かに闇を照らしていた。

チャーリーのカフェの前を通ったがこの日は素通りした。

エセルのアパートへ着き、ダブルロックを開けて中へ入ったとき、あたりには何かいつもとは違う雰囲気が漂っていた。

普通は締まっているキッチンの隣の部屋のドアがなぜか開け放たれており、奥のほうからはエセル以外の別の女の人の声が聞こえている。

少し怪訝に思いながらリビングルームは入っていくと、エセルの前に見知らぬ女性が腰かけていた。

誰だろう?と思いながら私はその人に向かって「ハロー」と挨拶した。

「トミー、この人がこのまえ話した新しい下宿人のバーマ・フォスターさんよ」

(エセルはこの頃、職場の副支配人マッコイさんがつけた「トミー」というニックネームで私のことをを呼んでいた。何のことはない私の名前TuneoのTをとってつけただけの単純なものである)

エセルが言ったことを聞いて私はビックリした。

初雪の降った朝、12月から新しい下宿人がやって来るとは聞いていたが、まさかそれが女性だとは思ってもみなかった。

「二十七歳のカナダ人」エセルからそう聞いたとき、私は頭の中で「背の高い金髪の青い目をした男の人」とその姿を想像しながら勝手に相手のことをそう決め込んでいた。

エセルからは過去の多くの下宿人の話を聞いたが、その中に女性の下宿人の話など一度も出てこなかった。

「背の高い金髪の男」と想像したことも、それまでの話のいきさつからして自然なことなのである。
その新しい下宿人ミス・バーマ・フォスターは立ち上がって自己紹介し、私に向かって右手を差し出した。

あわてて私も手を差し出し握手には応じたものの、ドキマギしたせいか、自分の紹介が随分ぎこちないものになってしまった。

立ち上がったバーマはどう見ても私より3〜4センチは背が高い。

それに気づいた私は「身長171センチの自分の体格も欧米人に比べれば、まだまだ貧弱なのだ」と少し嘆かわしい気持ちになった。

その後もまだリビングで話し続けるエセルとバーマの二人に別れを告げて、自分の部屋に戻ったときの私はなんとなくソワソワして落ちつかなかった。

「さっきの女性『バーマ・フォスター』というのか、とびきり若いとは言えないが、これからは金髪の白人女性と同じ屋根の下で暮らすことになるのだ」。

そう思うと、先ほどのドギマギした気持が次第にワクワクしたものへ変わっていた。

部屋に戻ってからのしばらくの間はそんな浮ついた気分ややもてあまし気味であった。

でもしばらくして落ち着きを取り戻した私は、ふと一ヶ月に一度の東京のオーシマホテルへ送るレポートの提出時期が迫っていることに気がついた。

「今日は早く帰ったのでまだ時間はじゅうぶんある。ちょうどいいこれから書いてしまおう」

そう思ってベッドの側の机の引き出しからレポート用紙とボールペンと取り出した。

そしておもむろにぺんをにぎってレポート用紙に向かった。

書いている最中フッと一息ついたとき、さっき会ったばかりの「バーマ」のとびきり胸の盛り上がった姿が突然目に浮かんできて、再び私の気持を落ち着かなくさせていた。

                                                                                                   to be continued

これまでが高すぎたのか?・「100円」が多くなってきた自動販売機「飲物の値段」

「100円」の自動販売機、実は前々からあるにはあった。

でもそれがある場所はどちらかと言えば人通りの少ない場末などが多くて、駅前とか繁華街にあることはまずなかった。

ところがどうであろう。

いまや繁華街はおろか、街のいたるところでこの「100円」の自動販売機が目立ってきているのである。

考えてみれば、スーパーなどでは以前からダース単位で随分安い値段で売られているが、これらのペットボトルや缶入りの飲料だが、大量生産ということもあり原価は随分安いものではないのだろうか。

したがって「120円」という価格自体がいわゆる「リーズナブルプライス」からは大きくかけ離れているのではないだろうか。

悪く言えば「暴利をむさぼっている」のである。

本来、人手のかからない自販機での販売は店舗での価格よりむしろ安くていいはずなのだが、実はその逆なのがこれまでの実態である。

それが今では自販機の設置台数が増えきて以前のように売れなくなっってきたのだ。

それゆえの「100円」への値下げではないのだろうか。

「120円」から「100円」の値下げと言えば、率としては2割弱になるのであって値上げ幅としては実に大きなものだ。

それがいま多くの自販機に見られるということは、やはりこれまでが高すぎて、やっと「適正価格」?に修正されようとしているのである。

これまではテレビなどでの大量広告と「いつでも、どこでも」という便利さをいいことに高値止まりであった値段もやっと正常価格になりつつある。

この分野にもおいてもようやく競争原理が働きはじめてきたのである。

でもまだまだ「120円」で売っている自販機が圧倒的に多い。

特に駅構内のものなどは、「競争がない」ことをいいことに、同じものでも120円以上の高価格を設定しているところさえある。

まずそれらのすべてが「100円」になり、その後今度は「90円」とか「80円」という新価格が登場してきて、価格競争によって真の「リーズナブルプライス」が設定されてくることを諸費者としては強く望む次第である。

2010年12月1日水曜日

「♪トイレの神様♪」ではないが・近頃すっかりきれいになってきた「街の公衆トイレ」

姫路市にある「一億円トイレ」
家を出たあとでの「外の公衆トイレ」にはたいてい一日に一度は入る。

通勤途上での駅構内とか地下街のトイレ、休日によく行く図書館のトイレや、たまに行くデパートのトイレなどがある。

そのトイレであるが近ごろは清掃もよく行き届いていていつ入ってもたいていはきれいで気持がいい。

しかも何かと気になるトイレットペーバーだが、その「品切れ」などもなく、それどころかほとんどの所では予備のものまでストックされていて、いつでも心配なく安心して入れるのである。

これも数年前だと、入ったとたん「ペーバー切れ」に気がついて、自分で所持していない時などはあわてて別な場所へ移ったりしたものだ。

また最初からペーパー自体を置いておらず、入り口に「トイレットペーパー自動販売機」が設置されている所もあった。

お金を入れた後レバーを「ガチャン」と下げるあの販売機である。

そうしたものも今ではほとんど目にすることがなくなってきた。

こうした公衆トイレだが、以前と比べて格段に進化してきたところと言えばなんと言ってもその設備である。

私が比較的よく利用する三宮や神戸駅の地下街のトイレでは今では「ウオッシュレット」も設置された最新の設備になっていて、そのこと自体さえはや珍しいことでもなくなってきている。

家にまだこの設備のない人にとっては、むしろこちらを利用した方が快適に過ごせるとも言えるのである。

さて話しの方向は少し変わるが、公衆トイレのことになると是非とも取り上げておきたい話がある。

実は私の住んでいる姫路市には他の都市では絶対にないと思える通称「一億円のトイレ」と呼ばれる公衆トイレがあるのである。

これは今は懐かしい、かつての「竹下内閣」のとき「ふるさと創生資金」という名目で、日本のすべての町に「一億円」づつのお金が配られたことがあったが、その資金で姫路市がお城の近くの公園内に作ったものがその「一億円トイレ」と呼ばれるものなのである。

写真を見ていただければお分かりだと思うが、自動ドアと冷暖房のついた一言でトイレとも言ってすますことのできないほど実に立派な建物なのである。

この建物も作られた当初は「なんと馬鹿げたことを!」と多くの批判を受けたものだが、そうしたことも既に忘れられ、今では堂々とその威容を誇っている。

姫路と言えばとかく何かと「お城」ばかりが注目されるが、隠れた穴場的な名所として、姫路を訪れた方には是非とも一度見て欲しい場所なのである。

ここを訪れた「女性の方々」におかれましては一度こちらで豪華な?「ウオッシュルームミーティング」でもされてはいかがでしょうか。

本日のテーマは今年大ヒットして紅白歌合戦にも出場が決まった「植村花菜」の「トイレの神様」にちなんだ「街の公衆トイレ」についての話であった。

1970、NewYork「スタットラーヒルトンホテル」の給与明細・「西97丁目の思い出」番外編(その1)



1970年、日本のホテルからニューヨークの「スタットラーヒルトンホテル」にやってきた私の立場は「エキスチェンジビジター」(職場研修生)というものであった。

Visaの種別は「J-1」と呼ばれるもので滞在期限は2年であった。

一応日本の職場にも席はあってそこは休職扱いになっている。

そしてこちらでは「トレイニ—」という「仕事を教えてもらう立場」であるのだが、ちゃんとした一人前の給料も出るのであった。

かねてよりアメリカは日本の月給制と違って「週給制」であると聞いていたが、その「週給」の意味はわかっても、一ヶ月に一回給料をもらうのでなく一週間つづそれを貰うということがどうも実感としてはっきりつかめなかった。

しかしそのことは間もなく現実となって証明された。

働き始めて10日後ぐらいの日に最初の一週間分の給料が小切手でちゃんと支給されたのである。

その小切手に付随している明細書を見ると、支給額の他にいろいろと記されていて内容的には日本のものと比べても大きな違いはない。

もちろん記載されている単位は「アメリカドル」なのだが、1970年当時は対円の為替レートは「1ドル360円」で、いまの倍近くもあったのだ。

その分、日本円に換算しても当時としてはそこそこの金額であったのではないだろうか。

明細には所得税の他に州税、市税などもちゃんと引かれており、おまけに「ソーシャルスキュリティ」と呼ばれる社会保障費まで控除されているではないか。

入社したての「外国人トレイに—」と言えども、早々に現地社員と同等に扱われているのである。

「アメリカとはしっかりした国である」とあらためて思った。

入社早々週給がきっちり支払われたことは私の訓練生としての仕事へのモチベーションをうんと高めてくれた。

翌日支給された小切手をかねてより口座を開設していた銀行へ持ち込んだのだが、当面の生活費はあったので換金はせずそのまま預金口座へ入金した。

まああと3ヶ月ぐらいはこういった状態が続くだろうと預金残高を見て胸算用していた。
実際来てしばらくの間はあまりお金は使わなかった。

エセルのところの下宿の家賃は180ドルだったが、それは最初に入ったとき3か月分前払いしてあるし、食事もヒルトンの社員食堂で安く食べれる。

一日一食は外食となるが、でもニューヨークの食べものは日本よりうんと安く、それほど大きな負担にはならなかった。

それに地下鉄の交通費が1日50セントぐらいだったが、これも日本より安かった。

したがって遊びの出費を控えさえすれば、今後ヒルトンの給料で十分まかなっていけると、その頃の私は考えていた。

でも、後々事情は大きく一変していったのであるが・・・・。