1970年、日本のホテルからニューヨークの「スタットラーヒルトンホテル」にやってきた私の立場は「エキスチェンジビジター」(職場研修生)というものであった。
Visaの種別は「J-1」と呼ばれるもので滞在期限は2年であった。
一応日本の職場にも席はあってそこは休職扱いになっている。
そしてこちらでは「トレイニ—」という「仕事を教えてもらう立場」であるのだが、ちゃんとした一人前の給料も出るのであった。
かねてよりアメリカは日本の月給制と違って「週給制」であると聞いていたが、その「週給」の意味はわかっても、一ヶ月に一回給料をもらうのでなく一週間つづそれを貰うということがどうも実感としてはっきりつかめなかった。
しかしそのことは間もなく現実となって証明された。
働き始めて10日後ぐらいの日に最初の一週間分の給料が小切手でちゃんと支給されたのである。
その小切手に付随している明細書を見ると、支給額の他にいろいろと記されていて内容的には日本のものと比べても大きな違いはない。
もちろん記載されている単位は「アメリカドル」なのだが、1970年当時は対円の為替レートは「1ドル360円」で、いまの倍近くもあったのだ。
その分、日本円に換算しても当時としてはそこそこの金額であったのではないだろうか。
明細には所得税の他に州税、市税などもちゃんと引かれており、おまけに「ソーシャルスキュリティ」と呼ばれる社会保障費まで控除されているではないか。
入社したての「外国人トレイに—」と言えども、早々に現地社員と同等に扱われているのである。
「アメリカとはしっかりした国である」とあらためて思った。
入社早々週給がきっちり支払われたことは私の訓練生としての仕事へのモチベーションをうんと高めてくれた。
翌日支給された小切手をかねてより口座を開設していた銀行へ持ち込んだのだが、当面の生活費はあったので換金はせずそのまま預金口座へ入金した。
まああと3ヶ月ぐらいはこういった状態が続くだろうと預金残高を見て胸算用していた。
実際来てしばらくの間はあまりお金は使わなかった。
エセルのところの下宿の家賃は180ドルだったが、それは最初に入ったとき3か月分前払いしてあるし、食事もヒルトンの社員食堂で安く食べれる。
一日一食は外食となるが、でもニューヨークの食べものは日本よりうんと安く、それほど大きな負担にはならなかった。
それに地下鉄の交通費が1日50セントぐらいだったが、これも日本より安かった。
したがって遊びの出費を控えさえすれば、今後ヒルトンの給料で十分まかなっていけると、その頃の私は考えていた。
でも、後々事情は大きく一変していったのであるが・・・・。
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