「天才は夭折する」とよく言われるが、多くの芸術家の中でクラシック音楽の作曲家ほど沢山の人が早世している分野もめずらしい。
偉大な作曲家モーツアルトもその一人で、35歳という若さでこの世を去っている。
しかし、この人は「1756年から1791年」までの短い人生の中で、数え切れないくらいの多くの名曲を残している。
その数はなんと700曲にも及んでいて、全作曲家を見ても短期間にこれほどの数を残した人は他にいない。
でも数が多ければその中にはいわゆる「駄作」というものもある程度含まれているのが世の常なのだが、モーツアルトの作品にはほとんどそれがなくて、ことごとく作品が聴いてすばらしい名曲ばかりなのである。
別の言葉でいえば彼の作品には「ハズレ」がなく、すべて「当たり」ばかりなのである。
いくら名作曲家といえども、例えば「ショパン」などだと決してそうはいかず、途中で旋律が乱れたりする音程の一貫性に乏しいいわゆる「ハズレの作品」も少なからずあるのだ。
よくモーツアルトの作品が「癒しの音楽」などと呼ばれることがあるが、それはどういう理由からなのだろうか。
第一の理由はその「旋律の美しさ」ではないだろうか。
そして第二の理由は万人が理解し易い、その「大衆性」(通俗性)ではないだろうか。
なぜなら大衆性の乏しい一部のクラシック音楽にありがちな「難解な曲」だと、鑑賞するどころか聴きつづけることさえ困難で決して「癒し」どころの話ではないと思われるからである。
「大衆性」とか「通俗性」だとか言えば何だか安っぽく聞こえるかも知れないが彼に関しては決してそんなことはない。
いわばいい意味での日本の歌謡曲のような「親しみやすさ」がモーツアルトの曲にはあるのではないだろうか。
一説によればモーツアルトの母国オーストリアでも、この通俗性を嫌って、評論家の中には彼の曲を認めない人もいたそうだ。
しかし一部の作曲家に見られるような「難解」で決して万人が理解できないような曲がどうしてすばらしい曲だと言えようか。
要するに音楽とは聞いて耳障りがよく気持よければそれでいいのではないのだろうか。
それ故に音楽においては、例えば絵画で言えば「ピカソ」の作品などのような「難解で抽象的」なものは聴かなくてもいいのではなかろうか。
もしクラッシク音楽を「とっつきにくい」ものだと考える人がいるとすれば、そうした難解で抽象的な音楽をあえて聞こうとするからではないだろうか。
モーツアルトを聞くかぎりでは決してそうした感想を抱くことはないはずである。
さて、このへんで下手な解説などはやめにして、このブログの終りに一部ではあるが万人に認められた18世紀最高の作曲家モーツアルトのすばらしい曲の名前を挙げておくことにしよう。
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・協奏曲
(ピアノ協奏曲) 9番・21番・23番・24番・26番
(バイオリン協奏曲)5番・1番・2番・3番
(クラリネット協奏曲) KV622「アダージョ」
(フルート協奏曲) 1番
(ホルン協奏曲) 1番
・ピアノソナタ 11番・12番・13番・14番
・交響曲 25番・37番・39番・40番
・その他 アイネクライネナハトムジーク
フルートとハープのための協奏曲
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