2024年11月13日水曜日

《日記ブログ》とはいえ多くの人に読んでもらいたい ・私のブログ テーマ設定&作成プロセス


プロセスを踏まないと良いコンテンツはつくれない

私のブログ「生涯現役日記」は、いわゆる稼がないブログで、ジャンルとしては趣味ブログに入ります。

でもいかに利益の出ないブログとはいえ、力を抜いて気楽に書くわけにはいきません。たとえ趣味ブログとはいえ人に読んでもらわないとつまらないからです。

そうなのです。ブログは人に読んでもらってこそ価値があるのです。もし誰にも読んでもらえなければ、書く意味も、続ける意味もなく、早晩更新の意欲を失ってしまうでしょう。

要するに更新のためのモチベーションがなくなるのです。そうなってしまうのはやりがいが生まれないからです。

これを避けるためには、何としても人に読んでもらえる良いコンテンツを創らなければなりません。

良いコンテンツとは読者が 面白く読めて、その上ためになるもの です。おもしろくてためになるコンテンツをつくるためには入念な準備が必要になります。

日記ブログだといっても日常の出来事を綴るわけではありません。見ず知らずの庶民の日常の出来事など誰も興味がなく、そんな日記を読もうと思う人はいないでしょう。

したがっておもしろくてためになる記事を書くには、テーマを広く社会に求めなくてはなりません。

それには取材が必要になります。この取材活動こそが、人に読んでもらう記事づくりのための最も大事な活動になのです。

以下私15年間続いている私のブログ「生涯現役!!日記」における、コンテンツづくりのプロセスについて書いていきます。

 

(1)取材(読書と街の散策)

ブログにはネタが必要なことは言うまでもありません。そのネタも読者にとって魅力的で、かつ新鮮なものに限ります。でも長く続けていれば、ネタはおいそれとは見つかりません。

15年の間に2000件以上のコンテンツを載せてきましたが、良いテーマだと思っても、調べてみると、過去にすでに取り上げたことがある(バッティング)するものであることが珍しくないのです。

そうならないためには取材活動が欠かせないのです。私の場合の取材は読書(主に紙の本)と近隣都市での街の散策です。

では便利なネット検索はどうかというと、ネタ探しにはほとんど使いません。なぜなら似通った情報が多くコンテンツの独自性が失われる恐れがあるからです。

読書や街の散策などだと、対象が多岐に及ぶだけでなく、本人の個性が反映されますから、バッティングすることが少なく、独自性を保ったネタを見つけることができるのです。

これに加え自分が過去に経験(学習も含む)してきたこともテーマにしますが、これにも本人の個性が現われますから、テーマとしての独自性は保たれます。

 

(2)テーマとタイトルの決定

読書や街の散策などで得た知識や情報の中からブログのコンテンツに適したテーマを見つけます。とはいえ見つけたものがすべてテーマになるわけではなく、見直してみればどこにでもあるような平凡な事柄でしかないことが珍しくないのです。

良いテーマはオリジナル性や斬新さを保ちながら、人の心を掴むキャッチ―なものでなければなりません。そうした事柄はそれほど多くあるわけではないのです。 

 

(3)Wordでコンテンツ作成

コンテンツの下書きはWordで行います。書き方はなるべくベタ書き風に行います。それにあまり深く考え込まず、スラスラ書くことに努めます。

行間隔や体裁などを整えながら熟考して書いていると時間がかかるだけでなくペースに乗れないからです。それは推敲の段階でやることにして、この段階ではスピードを重視することにしています。

 

(4)グーグルドキュメントへ移動して推敲

Wordによる下書きが終われば、今度はそれをgoogleドキュメントに移します。

なぜこうするかといえば、ドキュメントは誤った文字や文章を修正してくれるだけでなく、読みやすいフォントのAriaiに変更してくれるからです。別のフォントがダメと言うことはないのですが、なぜだかAriaiに愛着を感じているのです。

 

(5)bloggerへ出稿

書き終わったコンテンツをすぐブログへ出稿するのではありません。なぜなら良いと思って採用したコンテンツも日を変えて読み返してみると


最初の思いとは裏腹に、ありふれたつまらないことのように感じて、果たしてこれを載せてもいいものかと、迷いが生じてくるからです。


そんなときはいったん出稿を保留にして、後日あらためて見直してみることにしています。



2024年11月9日土曜日

ポルトガル人観光客の日本人に対するクリティカルな意見に共感


日本人はスマホにばかり熱中していて、目の前の人には無関心

ネットに載る外国人観光客の日本に対する感想となると、たいてい日本を称賛することばかりだ。

つまり「日本食は何を食べてもおいしい」とか「日本人は優しくて親切」などいうように褒めることばかり載っているので、聞く側はいささか食傷気味になってくる。

そうした中で最近のYahooニュースに ポルトガル人が「悲しい気持ちになりましたと思った、日本でよく見る光景 という記事が載っていました。

上で述べたように、日本に対する海外観光客の感想といえば、日本の食とか文化についてやたら称賛する、どちらかといえば軽いものが多いのですが

このポルトガル人が指摘することは、いわば日本人の弱点と思われることを鋭く突いているだけに、読んで心に響きました。

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YahooNews  10/29(火) 6:10配信             Hint-Pot                           


    日本で「食べたものはすべておいしかったが


 ポルトガルから、2週間の滞在予定で日本へやってきたロドリゴさんたち3人組。東京や箱根、河口湖、京都、奈良、大阪をめぐる予定です。  訪日は初めてという3人。日本行きを決めたのは、アニメや日本の文化に興味があったことが理由です。日本食が好きで、すでにさまざまな料理を食べたそう。「食べたものはすべておいしかった!」というほど、日本食に満足している様子でした。  日本を楽しんでいるロドリゴさんたちですが、日本人の振る舞いには、少しカルチャーショックを覚えたといいます。

スマホ操作に夢中になっている人が多い

「日本人はみんなスマートフォンに夢中だったり、イヤホンをつけていたりして、目を合わせたり、人を見たりしようとしないですよね……。

目の前に人がいるのにどうしてなんでしょう?」  目を伏せながら、残念そうな表情を浮かべたロドリゴさん。

盗難など防犯の面から、国や地域によっては自主的に控えるところもあるでしょう。

しかし、治安の良い日本では、電車などの公共交通機関、レストランやカフェといった飲食店など、街のあらゆる場所にスマホ操作に夢中になっている人がいます。 

「ポルトガルではそんなことはありません。そこにいる人たちや対面している人たちが最優先で、目の前の人と話します。

悲しい気持ちになりました。

 現地の人たちとの交流も、旅行の醍醐味のひとつです。その土地でしかできないこと、出会えない人たちとの交流を大切にしたかったロドリゴさんたち。残りの滞在では、日本でしかできない体験ができると良いですね。



  

 


2024年11月5日火曜日

エンタメ小説新人賞応募を考えている皆さんへ 《小説新人賞応募者に是非とも伝えたいこと・第2弾》 ・シリーズ Part 1~Part 5(Part 4)

 



確実に小説家になるにはこの道しかない  !

・シリーズ Part 1~Part 5


(Part 4)

2度目は最初の応募から間を置かず講談社の小説現代新人賞に

最初の応募が予選通過したことにすっかり気をよくして、間髪を入れず、次の応募に挑戦しました。ターゲットは講談社の小説現代新人賞です。

この賞は今は「小説現代長編新人賞」に名前が変わっていますが、当時もメジャー新人賞の一つであったことは変わりません。

で、結果はといいますと、これも前回同様、1000点余の応募の中から、わずか10%の予選通過者の中へ入ることができたのです。

この回も無事に予選通過を果たすことができたのは、おそらく事前に立てた応募戦略が功を奏したのではないでしょうか。

その戦略とは、一回目の小説すばる新人賞への応募の後、もしこれが予選で落選したら、落胆から次の応募へにモチベーションが下がり、応募意欲を喪失するのでは、と考え

結果発表前に、2回目の応募作品を書き終えて、いつでも応募できる準備をしていたことが、役立ったに違いありません。





2回目応募作品)

*小説現代新人賞(講談社)・1000点以上のの応募作品の中から

約10%の一次予選通過。

応募作品タイトル「編む女」400字原稿用紙100枚


               予選通過作品発表号
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(応募作品冒頭2000字)


編 む 女


 「くそっ、あのカップルめ、うまくしけ込んだもんだ」

 前方わずか4~5メートル先を歩いていたすごく身なりのいい男女が、スッとラブホテルの入り口の高い植木の陰に隠れた時、亮介はさも羨ましそうにつぶやいて舌打ちした。

 「あーあ、こちらがこんなに苦労しているというのに、まったくいい気なもんだ」と、今度はずいぶん勝手な愚痴をこぼしながら、なおも辺りに目を凝らして歩き続けた。

 亮介は、これで三日間、この夜のの街を歩き続けていた。

 はじめの日こそ、あの女め、見てろ、その内に必ず見つけ出してやるから、と意気込んでいたものの、さすがに三日目ともなると、最初の決意もいささかぐらつき始めていた。


 時計は既に十一時をさしており、辺りの人影も数えるほどまばらになっていた。

 この夜だけでも、もう三時間近くも、この街のあちこちを歩きまわっていたのだ。

 少し疲れたし、どこかで少し休んで、それからまた始めようか、それとも今夜はこれで止めようか。 亮介は迷いながら一ブロック東へ折れて、すぐ側を流れている淀川の土手へ出た。 道路から三メートルほど階段を上がって、人気のないコンクリートの堤防に立つと、川面から吹くひんやりとした夜風が汗ばんだ両の頬を心地よくなでた。


 「山岸恵美」といったな、あの女。城南デパートに勤めていると言ってたけど、あんなこと、どうせ嘘っぱちだろう。でも待てよ、それにしてはあの女デパートのことについて、いろいろ詳しく話していた。とすると、今はもういないとしても、以前に勤めたことがあるのかもしれない。それとも、そこに知り合いがいるとか。ものは試し、無駄かもしれないけど、一度行ってみようか。そうだ、そうしてみよう。なにしろあの悔しさを晴らすためだ。これしきのことで諦めるわけにはいかないのだ。

 

川風に吹かれて、少しだけ気を取り戻した亮介は、辺りの鮮やかなネオンサインを川面に映してゆったりと流れる淀川に背を向けると、また大通りの方へと歩いて行った。


 それにしてもあの女、いい女だったなあ。少なくともあの朝までは。

 駅に向かって歩きながら、またあの夜のことを思い出していた。

 とびきり美人とは言えないが、あれほど男好きのする顔の女も珍しい。それに、やや甘え口調のしっとりとしたあの声、しかもああいう場所では珍しいあの行動。あれだと、自分に限らず男だったら誰だって信じ込むに違いない。


 すでに十一時をまわっているというのに、北の繁華街から川ひとつ隔てただけの、この十三の盛り場には人影は多く、まだかなりの賑わいを見せている。それもそうだろう。六月の終わりと言えば、官公庁や大手企業ではすでに夏のボーナスが支給されていて、みな懐が暖かいのだ。 「ボーナスか、あーあ、あの三十八万円があったらなあ」

大通りを右折して阪急電車の駅が目の前に見えてきた所で、亮介はそうつぶやくと、また大きなため息をついた。

 

一週間前のあの日の夜も、亮介はこの十三の街へ来ていた。貰ったばかりの三十八万円のボーナスを背広のポケットに入れて。

 でも、五時過ぎに職場を出て、環状線の駅に向かう時は、そうなることは露ほども予想していなかった。

 今日は梅田の行きつけのビアホールで一杯やったら、そのままアパートへ帰ろう。 歩きながら、はっきりそう考えていたのだ。それがいったいどうしたはずみで、この十三の街へ来てしまったのだろう。堺の自分のアパートとはまるで反対方向だというのに。   

 そうだ、あの人が悪いんだ。あの内田さんが。

 亮介は六時前にそのビアホールに着いて、いつものようにカウンター席に座って、揚げたてのソーセージを肴に生ビールのジョッキを傾けていた。その店のチーフ早見さんが側に来て、「ボーナス多かったですか?」と聞き、「まあね」と、亮介が答えた。

 

三日前にこの店に来た時、客が少なかったこともあって、この早見さんとは一時間位も喋っていた。 「大企業はいいですねえ。六月にボーナスが貰えて。僕のとこなんか二ヶ月も遅い八月ですからねえ。おまけに額も少ないし、それに比べりゃあ橋口さんのところはいいですねよ。大手資本系列のホテルだし。さぞたくさん貰えたんでしょうねえ」

 早見さんはそんなふうに言って、ちょっと首をかしげて、拗ねるような表情を見せていた。


 実際のところ、亮介もこの日貰ったボーナスの額にはかなりの満足感を抱いていた。前々から、夏のボーナスの支給額は二.五か月分だと聞いていたので、十五万五千円の給料だと、税引きの手取りは三十二~三万てところか、そんなふうに皮算用していた。それだけに、実際に受け取った三十八万六千円という金額は以外であり、また、うれしくもあった。 このところの仕事ぶりを認めてくれたのかな。 

そう思って、普段は口やかましいだけの、課長の南に、この日ばかりは感謝した。

 

亮介は今年二十四歳。 堂島川に沿った北区中島のSホテルの営業マンになって二年ちょっとたつ。 彼にとって、今回のボーナスは入社以来四度目のものだった。

 この調子だと冬は四十万は軽く越えるな、よし、仕事の方これからも手を緩めずにがんばろう。ジョッキを傾けながらそんなふうに考えていた時だった。



(このシリーズ 今後の掲載予定日)

(Part5) 11月15日

2024年11月3日日曜日

読書の秋にあらためて考えてみたい ・読書を趣味と捉えたら長続きしないことがあるのはなぜ?



読書は趣味か勉強か 

作家浅田次郎は「学校へ行かなくても本があれば勉強はできる」といっている

私にとってこのテーマが重要なのは、一生続けようと思っている読書に関することだからです。つまり読書を趣味とするか勉強とするかによって、その後の読書との関わりが大きく異なってくるのです。それは以下のような理由からです。


職場の面接で「趣味は読書です」と応えた応募者に最近どんな本を読んだか訊いてみたところ

40代前半ごろからフランチャイズの児童英語塾を経営していた関係で従業員採用の面接に立ち会うことがよくありました。

これは営業社員採用面接に立ち会った時の話です。応募者は確か30歳ぐらいの男性だったと思います。

履歴書に趣味読書とあったので、「最近どんな本を読みましたか」と訊いてみたのです。すると驚くかな、次にような返事が返ってきたのです。

「最近はあまり読んでいません。たしか半年ぐらい前に1冊読みましたがタイトルは忘れました」

いったいこれが趣味読書としている人の答えとしてふさわしいでしょうか。私はこのとき以来、読書を趣味とすることに対して疑念を抱くようになったのです。


読書を趣味とするか勉強とするかは重要な問題

趣味より勉強とする方が長続きする

私は読書を勉強ととらえることにしています。それは趣味とした場合は往々にして〈飽き〉や〈挫折〉によって、長続きできないことがあるからです。

それに比べ勉強とした場合は、いつまでも長続きできるのです。

世の中には読書を趣味という人はたくさんいます。でもそうした人たちの読書は果たして長続きしているでしょうか。

この問いに対して私は決してYesとは言えないのです。こうした考えは上でも書いたように、ある時経験した社員採用面接の場で芽生えたものです。


なぜ趣味としたら長続きしないのか

では読書を趣味としたら、なぜ長続きしないのでしょうか。これについて私の考えは以下のようになります。

まず趣味とはどんなものか考えてみると、それは、気が向いたときに気楽にやればよいものです。したがって継続的にやる義務感など働きませんから長い間ご無沙汰になることも珍しくないのです。

その結果趣味としたことさえ忘れてしまい、気がついたら何年もやっていなかった、と言うことも珍しくないのです。

したがって、対象が読書だとすれば、「趣味は読書」と言いながら、気がついたら1年に1冊しか読んでいなかった、ということもあり得るのです。


読書を勉強捉えたら長続きするのはなぜなのか

何事も習慣化するためには継続が必要です。継続してやっていると知らぬうちにそれを行うことが当然というように思えてくるからです。とはいえ、この習慣も簡単にできることではありません。

絶えずやり続けるためには対象に対する考え方が大事です。つまり、コンスタントに続けることに対して理由が必要になるのです。

ここで読書を趣味としてとらえると長続きしない理由を思い出してみましょう。

読書を趣味ととらえると、やることに対して義務感を感じませんから、気分次第でやったりやらなかったりするのです。

たとえ趣味の読書とはいえ、本を持って活字を追い続ける作業は時として苦痛を感じることもあります。それ故に気が向かない時は避けるようになるのです。そうしたことが多ければ、次第に読書から遠ざかっていくのです。


 勉強ととらえると読書が習慣化する

ところが、読書を趣味とせず勉強としたらどうでしょう。

趣味と違って勉強tととらえると、人々はそれに対して義務感を感じます。つまり継続してやらなければいけないように感じるのです。

これは国民の3大義務のひとつに「教育の義務」があることが影響しているのではないでしょうか。

つまり日本国憲法で定められた、日本国民に課せられた《教育の義務、勤労の義務、 納税の義務」》の3つの義務の中のひとつだからです。

人々の頭にはこの教育の義務という先入観が残っていて、それが読書は義務という考えにつながり、読書を習慣化させるのではないでしょうか。




2024年11月1日金曜日

かけうどん(かけそば)考・食堂で かけうどん(そば)だけ注文するのは恥ずかしいことか

 


東海林さだおの「かけうどん感」

東海林さだおは自著「びんぼー大好き」の中でわざわざ「かけうどん」という章を設け、5ページまるまるかけうどんのことに費やしています。

その内容は以下の通りで、食堂でかけうどんを注文することの肩身の狭さを綴ったものです。


・その食堂のメニューで一番値段が安いので遠慮しがちに注文しないといけない

・客なのに店からぞんざいにあつかわれているような気がする

・OLなど周囲の客にバカにされているような目で見られる

・なるべく早く食べ終え、早く店を出るように心がける


などというように、まるで何か悪いことでもしたかのような、気後れ感100%で注文の品が来るのを待っているのです。

  


問題は注文する場所(店)にある

東海林さだおが食堂でかけうどんを注文して肩身の狭い思いをするのは、それがメニューの豊富な大衆食堂だったからではないでしょうか。

それ故にメニューの中で一番値段が安いかけうどんをたのむことに引け目を感じるのです。

でも店によっては、こうした肩身の狭さをまったく感じないこともあります。一例をあげれば、それは立ち食いうどん(そば)の店です。

言うまでもなく、立ち食いうどんの店は、スピード感をモットーにした回転率で存在感を保っています。

立ち食いうどん店は注文の品物を出すスピードが速く、客の方も食べ終わったら即座に退出するので回転率がすこぶるよく、その分客数が伸びます。

客数が多ければたとえ1人当たりの単価が低くても十分に利益が上がるのです。


かけうどんは「立ち食いそば(うどん)店では大手を振って

それ故にたとえ値段が280円のかけうどん(そば)の注文が多くてもじゅうぶん採算がとれるのです。

したがって店側はかけうどんの注文を嫌がりません。と言うより、他のうどん(そば)類より回転の速いので注文を喜んでいるぐらいです。

かけうどん一杯の原価はせいぜい100円前後でしかありません。と言うことは粗利も200円近くあるのです。粗利がこれだけあって回転率の抜群に速いとあれば、この品物の注文が嫌なわけがありません。

 

メニューが豊富なテーブル席の食堂ではちょっと肩身が狭いか

大衆食堂など一般的な食堂でかけうどん(そば)の注文がそれほど歓迎されない理由はテーブル席にあります。

テーブル席の食堂では、客が何を注文しようが椅子1脚とそのスペースだけテーブルが占拠されます。したがって安い品物の注文で長居されると回転率が下がるので困るのです。

いうまでもなく低価格の店は回転率で勝負しているのです。それゆえに値段の高い(例えば刺身定食など)の注文客だと長居されてもいいのですが、単価の低いかけうどん(そば)の客に長くテーブルを占拠されると困るのです。

したがって忙しい時間帯には、東海林さだおの言うように、この時間帯のかけうどんの客には対応が悪くなるのです。

 

かけうどん(そば)利益率の点からは優等生

上述したようにかけうどん(そば)の利益率は決して低くはありません。材料費が安くすみ、その上スピーディにできるので、出すのも食べ終わるのも速く回転率が良いからです。

とは言えこうしたメリットも立ち食いうどん(そば)でこそ生きるのでであって、メニューの多い食堂などではそうとも言えません。

こうした店でこの注文が喜ばれないのは、メニューにある値段の高い品物の注文が奪われ機会損失が発生するうえに、他の品物の客と同様にイスとテーブルを占拠されるため回転率を下げる恐れがあるからです。


かけうどんが好きなのは立ち食いうどんの店はつゆがうまいから

個人的にはかけうどんが大好きです。それはなんといってもつゆの味が抜群に良いからです。つゆの旨さを生かすのは立ち食いうどんに限ります。

仮に天ぷらうどんやきつねうどんだと、その旨いつゆがてんぷらやあぶらけに吸い取られてしまい、つゆの旨さをじっくり味会うことができないのです。

それゆえに何にも吸い取れれずにつゆを100%味わえるかけうどん(そば)が好きなのです。


2024年10月25日金曜日

エンタメ小説新人賞応募を考えている皆さんへ 《小説新人賞応募者に是非とも伝えたいこと・第2弾》 確実に小説家になるにはこの道しかない ! ・シリーズ Part 1~Part 5の(Part 3)


  確実に小説家になるにはこの道しかない  !  ・シリーズ Part 1~Part 5


(Part 3)

わたしのエンタメ小説新人賞応募履歴

私の新人賞応募について述べますと、それは前の章に書いた三つの賞へすべて応募したことです。

いずれも初めての応募でしたが、幸いにも運も味方してくれ三つとも1回の応募で予選通過を果たしました。

三つとも応募数は1,000点を超えており、中でもオール読物新人賞は2,000件近くにも及んでいました。

でも綿密な応募戦略が功を奏したのか、三作品とも初めての応募で予選突破という僥倖に恵まれたのです。自分で言うのもなんですが

メジャーな新人賞三つに、初めての応募ですべて予選を通過したのは、ちょっとした偉業ではないかと、ひそかに自負しています。


満を持して準備万端で臨んだ小説新人賞応募

20代後半ごろより小説執筆を試みていましたが、なんど挑戦してもうまくいかず、挫折のl連続で、いっこうに小説が完成することはありませんでした。

この原因はあきらかに小説執筆の知識、経験の不足である、と判断し、しばらくブランクを置くことにしたのです。

それから20年以上の年月が経って、遅ればせながら、50代に入った早々に再び小説への挑戦を開始しました。

20代後半に失敗したのを反省し、今回は準備万端で臨みました。

準備は小説の執筆に対してだけでなく、それをどこへ、いつ、どのように応募するかについて具体的な戦略を練ったのです。



最初(一回目)のターゲットは創刊されたばかりの小説すばる新人賞

綿密に練った計画で、1回目の応募は小説すばる新人賞をターゲットにし、小説のテーマはニューヨークでの生活にしました。

20代の終りに、エキスチェンジトレイに―(交換研修生)として働いた、NYのスタットラーヒルトンホテルでの出来事と、1年間過ごしたNYの生活などを綴ったものです。

原稿用紙(400字)220枚の中編小説ですが、これを応募作品としたのです。

で、結果はどうだったかと言いますと、応募作品1000点以上の中で、見事予選通過を果たしたのです。

ちなみに、この当時の新人入賞者の中には、後に作家になって大成した篠田節子氏花村萬月氏(注)も含まれていました。


(注)篠田節子氏と花村萬月氏 

篠田節子
1955(昭和30)年、東京生まれ。東京学芸大学卒。東京都八王子市役所勤務を経て1990(平成2)年『絹の変容』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。1997年『女たちのジハード』で直木賞、『ゴサインタン』で山本周五郎賞を、2009年『仮想儀礼』で柴田錬三郎賞を受賞。2011年『スターバト・マーテル』で芸術選奨文部科学大臣賞、2015年『インドクリスタル』で中央公論文芸賞、2019年『鏡の背面』で吉川英治文学賞を受賞し、2020年紫綬褒章を受章した。他の著書に、『夏の災厄』『弥勒』『ブラックボックス』『長女たち』『肖像彫刻家』『田舎のポルシェ』『失われた岬』『セカンドチャンス』など多数。

 

花村萬月

1955(昭和30)年、東京生れ。1989(平成元)年、『ゴッド・ブレイス物語』で小説すばる新人賞を受賞し、作家デビュー。1998年、『皆月』で吉川英治文学新人賞を、『ゲルマニウムの夜』で芥川賞をそれぞれ受賞。人間の生の本質に迫る問題作を、発表し続けている。『眠り猫』『なで肩の狐』『鬱』『二進法の犬』『百万遍 青の時代』『私の庭 浅草篇』『たびを』『愛情』『錏娥哢た』『少年曲馬団』『ワルツ』など著書多数。


(1回目応募作品)

*小説すばる新人賞(集英社)・1000点以上の応募作品の中から10%の一次予選通過。

応募作品タイトル「ニューヨーク西93丁目の青春」400字原稿用紙

220枚



       新人賞予選通過作品の発表号

・・・・・・・・・・・・・・・・・

(応募作品冒頭2000字)


ニューヨーク西93丁目の青春


およそこの乗り物には似つかわしくないガタゴトという騒々しい音をたてながらドアの閉まるエレベーターを背後にして、修一はおもむろにズボンのポケットに手を突っ込み

ひやっとした感触を指先に感じながらジャラジャラと鳴るキーホルダーを取り出した。

エレベーターからほんの5~6歩も歩けばそこに入り口のドアがある。

「エセルはまだ起きているだろうか」そう考えながら色あせたドアの上の鍵穴に太い方のキーを突っ込んでせっかちに回し、続いて下の穴へもう一本の細い方を差し込んだ。

下宿人としてこの家に初めて来たとき、通りに面した一階の正面玄関にも大きくて丈夫な鍵があるのに、どうしてこの6階の入り口のドアにもさらに二つのキーがついているのだろうかと、その念のいった用心深さをいささか怪訝に思ったものだが、後になって家主のエセルにその理由を聞かされ、なるほどと思った。

ここウエストサイド97丁目はマンハッタンでも比較的アップタウンにあたるウエストサイドの一画に位置している。

この地域も今から約半世紀ほど前の1930年くらいまでは、マンハッタンの住宅地の中でも比較的高級地に属していて、住む人々も、上流階級とまではいかないが、その少し下に位置するぐらいの、まずまずのレベルの人が多かった。

しかし年が経って建物が老朽化するに従い、どこからともなく押しかけてくるペルトリコ人が大挙して移り住むようになり、それにつれて前からの古い住人はまるで追われるかのように、次第にイーストサイドの方へ引っ越していった。

そして50年たった今では、もはや上品で優雅であった昔の面影はほとんどなく、その佇まいは煤けたレンガ造りの建物が並ぶ灰色の街というイメージで、スラムとまではいかないが、喧騒と汚濁に満ちた、やたらと犯罪の多い下層階級の街と化してしまったのだ。

住人の多くをスペイン語を話すペルトリコ人が占めているということで、今ではこの地域にはスパニッシュハーレムという新しい名前さえついている。

今年71歳になり、頭髪もほとんど白くなったエセルは、口の端にいっぱい唾をためながら、いかにも昔を懐かしむというふうに、こう話してくれた。

ここまで聞けばどうしてドアに鍵が多いのか修一にも分かった。つまりこの辺りは、犯罪多発地域で、泥棒とか強盗は日常茶飯事であり、ダブルロックはそれから身を守るための住人の自衛手段なのだ。

そう言えば、つい3日前にも、ここから数ブロック先の一○三丁目のアパートで、白人の老女が三人組の黒人に襲われて、ナイフで腕を突き刺されたうえ金品を盗まれたのだ、と昨日の朝、いきつけのチャーリーのカフェで聞いたばかりだ。

 そんなことを思い出しながら、ドアを開け薄暗い通路を進み、正面右手の自分の部屋へと向かった。すぐ右手のエセルの部屋のドアからは明かりはもれていない。

 どうやら今夜はもう眠ったらしい。

今はマンハッタンのミッドナイト。昼間の喧騒が嘘みたいに、辺りは静寂に包まれている。部屋の隅にあるスチームストーブのシュルシュルという音だけが、やけに耳についた。

それにしても今夜のエセルは静かだ。

このアパートへ来てしばらくの間は彼女が喘息持ちだとは知らなかった。ましてや深夜に激しく咳き込んで下宿人を悩ますなどとは思ってもみなかった。


もしそうだと知っていたのなら、月250ドルの下宿代をもっと値切っていたはずだし、さもなくば、部屋の防音をもっとよくチェックしたはずだ。


エセルの寝室は壁ひとつ隔てたすぐ隣にある。壁はそこそこの厚みがあり、声や物音が筒抜けになるという訳でもないが、リビングルームに面して隣り合わせて並ぶドアの隙間から迂回してくるものが意外と大きい。


それでも越してきて4~5日ぐらいは何事もなかった。辺りのただならぬ気配に目を覚まさせられたのは、一週間経つか経たない日の深夜であった。


目を覚ます前、夢の中で人が咳き込んでいるのを長い間聞いていた。そしてそれ

がドアの方へ 移動して一段と大きくなったところで目を開けて起き上がった。


リビングルームの方からエセルが激しき咳き込んでいるのが聞こえた。

断続的な咳の間には、苦しそうな呻き声も入っていた。 

これはほっとけない。 そう思った修一はベッドを抜け出してリビングの方へ歩いていった。


中に入るとソファに座って激しく咳き込んでいたエセルが振り向いてチラッと見たが、またすぐうつむいてゴホンゴホンと咳き込んだ。


「どうしたのエセル、だいじょうぶかい?」そう聞きながら、とりあえずこうした場合は背中でもさすってあげるしか方法はないと思った。女性とはいえ、だらりと肉がたるみ、ぶよぶよとした老女の背中をさするのは決して心地よいものではなかった。 


ニューヨークへ着いて早々、しかもこんな深夜に、いったいなんたることだ。眠くてたまらない眼をこすりながら修一は胸の中でそうつぶやいた。



(このシリーズ 今後の掲載予定日)

(Part4) 11月 5日

(Part5) 11月15日