2018年2月16日金曜日

あのホテルが懐かしい ! ・ 今は無き大阪の3つの名ホテル


私が勤務した内外5つのホテルとは


これまでにもこのブログに何度か書いてきましたが、わたしは20代から40代にかけて約25年間ホテルマンとして仕事をしてきました。

その間転勤や転職もあって、関わったホテルは海外も含めて全部で5つあります。

しかし成長期にあったホテル業界の変化は激しく、5つのうち現在残っているのは2つだけで、3つのホテルは消滅してしまいました。

消えた3つのホテルは、いずれも関西では評判の高い屈指の名ホテルで、今でも往時を懐かしむ気持ちが強いのは決してわたしだけではないでしょう。

勤務したホテル5つを順番に並べてみますと、新大阪ホテル、大阪グランホテル、大阪ロイヤルホテル(現リーガロイヤルホテル)、ホテルプラザ、スタットラーヒルトンホテル(NY)となります。

これらのホテルのうち前3つはホテルマン時代の前半に、後の二つは後半に勤務しました。

五つのうち現在残っているのは、リーガロイヤルホテルとスタットラーヒルトンから名前が変わったホテルペンシルバニアの2つだけです。

前述のように新大阪ホテル、大阪グランドホテル、ホテルプラザの3つは廃業し建物も解体され今では姿を消しています。

3つのホテルはなぜ消えてしまったのか


勤務した5つのホテルのうち3つのホテルが消えてしまったのは何としても残念なことです。

いずれも当時は名実とも大阪を代表する高級ホテルでしたが、ホテル急成長期にあったことで、新旧ホテルの競争は激しく、新しくできたホテルにその座を奪われ撤退を余儀なくされたのです。

ここではそれら3つがどんなホテルであったかをご紹介することにします。

新大阪ホテルは日本屈指の歴史を持つ大阪の名門ホテル


新大阪ホテルは「大阪に賓客のための近代的ホテルを」という関西財界のスローガンをもとに昭和10年(1935年)大阪中之島に誕生しました。

開業以来、国賓・皇室をはじめ国内外のお客様をお迎えする、西日本一のホテルとしての地位を固めました。

このホテルは米国の建築家ライト氏が設計した帝国ホテル(旧館)の外観や様式をまねて建てられたものです。

営業終了に当たっては、その格調ある建物を保存するか、それとも取り壊すかが、有識者も交えて議論されましたが、結局取り壊すことになり、その後できた系列の大阪ロイヤルホテル(現リーガロイヤルホテル)がその伝統を引き継ぎました。

私は研修で数ヶ月間このホテルで働いたことのありますが、天井の高い建物内部の格調ある雰囲気や、まるで迷路のように入り組んだ地下スペースなどを今でもよく覚えています。

大阪グランドホテルには若かりし頃の作家・森村誠一が勤め
ていた


大阪グランドホテルは、新大阪ホテル傘下のホテルとして1958年(昭和33年)に同じく大阪中之島に開業しました。

大阪グランドホテルがあった場所は、水の都大阪を象徴する土佐堀川にかかる渡辺橋のたもとです。

大阪のビジネス街の中心に位置するだけに、近隣には朝日新聞社、電通、三井物産など有名企業がひしめいていました。

また同じビル内にフェスティバルホールが併設されており、公演がある時は出演者や観客にも親しまれたホテルでした。

また大阪で最も外国人客の多いホテルとして知られていました。

このホテルでは20代の半分以上の期間勤務しました。勤務期間が長かったことと、ホテルマンとして最初に働いた職場であることもあって、5つのホテルの中で最も印象深いホテルです。

このホテルにはもう一つ特筆しておきたいことがあります。それは、かの有名な推理小説作家である森村誠一氏が、若かりし頃このホテルに勤めていたことです。

まだ作家になる前でしたが、氏はこのホテルのフロントオフィスに勤務していたのです。

大阪グランドホテルを退職してからは東京へ移り、都市センターホテルやホテルニューオータニで勤務しています。

その後ホテルマンの職を辞し、作家になってからはホテルでの経験を生かし、「高層の死角」という江戸川乱歩賞を受賞した小説を生み出しています。

大阪グランドホテルは建物、設備とも老朽化したこともあって、2009年に 同地に新たな朝日新聞社のビルが建設されるのを機に50年以上の営業にピリオドを打ち閉館になりました。

ホテルプラザは異業種の朝日放送がつくったハイランクなホテル


ホテルプラザの特質は、なんといっても朝日放送という異業種の会社がホテル業界に進出して造ったという点です。

しかも並みのホテルではなく、大阪の迎賓館と言われるほどの最高級ホテルとして、当時大阪ナンバーワンであった大阪ロイヤルホテル(現リーガロイヤルホテル)をライバルとして強く意識して運営されました。

このホテルの経営陣がまたすばらしく、最初の社長には元住友銀行頭取の鈴木剛氏が就任しています。

しかし親会社の朝日放送の影響を受け、同業他社に比べ人件費が高く、それが経営の足を大きく引っ張り、経営の重荷になって、1999年に惜しまれつつ廃業となりました。

私は大阪万博開業1年前の1969年に大阪ロイヤルホテルからこのホテルの転職し、その後研修のためにNYのスタットラーヒルトンへ向かいましたが、帰国後に復職し、その後10年ほど勤務しています。



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