2018年2月13日火曜日

嘘つきでなければ小説家になれないのか ・ 小説家はみな嘘つきなのか


君は嘘つきだから小説家にでもなればいい


上の見出しは作家・浅田次郎のエッセイ集(写真右)のタイトルです。

嘘つきといえば人々が真っ先に連想するのは詐欺師なのでしょうが、ここでは小説家と言っているところが味噌です。

つまり嘘つきイコール小説家と言っていることになります。

浅田氏は数々のエッセイを書いていますが、作品の中で自分のことを嘘つき呼ばわりしていることが幾度となくあります。

まるで嘘つきであることを誇らしく思っているようにも感じます。

でも氏が言わんとする事はよくわかります。つまり、嘘つきだからこそ、次々とテーマを見つけ新しい小説を生み出すことができるのであって

そうでなければこれほど多くの作品を書くことができない、と暗に言っているのです。


小説は嘘と想像力によるフィクション


小説はフィクションです。したがって書いている内容のほとんどは作りごとです。この作りごとのために嘘が必要になるのです。

なぜなら小説家が自分の体験を元にした小説しか書けないとしたら、生み出せる作品はたかが知れているからです。

恐らく、多くても数冊書いたら終りになるでしょう。

でもこれでは小説家として生計を立てていくことはできません。

もちろん売り上げ何十万冊というべストセラーでも出せば一挙に数千万円ぐらいは稼ぐことができますが、そんなことは万に一つもありません。

たいていは1刷りだけの2~3万冊で終わりになります。

これだと印税は200300万円程度ですからサラリーマンの1年間の年収にも満たないほどです。

したがってサラリーマン並みの普通の生活を送るためには、少なくても1年に2冊以上をコンスタントに書いていかなければならないのです。

これを達成するためには自分の体験だけを題材にしていてはとうてい無理です。

そこで必要になるのが嘘つきの才能なのです。つまり虚構による小説のテーマを創り出す力です。

良くも悪くも小説とは嘘と想像力の産物の他の何物でもないのです。

自分の体験だけでは継続して小説を生み出すことはできない


小説家と登竜門としてよく知られているのが芥川賞と直木賞です。

いま活躍している小説家の多くがこのどちらかの受賞者です。

ではこの賞を取った作家の数はどれぐらいなのでしょうか。

これまでの芥川、直木賞の受賞者は優に300名を超えます。これほど数が多いと名前も覚えきれません。

もちろん受賞後に人気作品を多く出している人なら、その限りではありませんが、そうした人はごく一握りしかいません。

残りはどうなのかと言えば、受賞後の作品が続かず、名前すら忘れられてしまう人たちが大半を占めるのです。

でも栄えある芥川、直木賞を受賞した才能ある小説家なのに、何故作品が続かないのでしょうか。

小説を書く才能があっても、嘘がつく才能がなければ長続きしない


大方の作家は処女作とも言われる最初の作品では自分の体験をテーマにしています。なぜならそれが最も小説が書きやすい方法だからです。

でも作家も人の子ですから体験が無尽蔵にあるわけではありません。

ということは小説にするテーマは遅かれ早かれ尽きてしまいます。となると他でテーマを見つけなければなりません。

このとき必要になるのが嘘つきの才能です。

しかし、いかに芥川、直木賞を受賞した有能な作家だとはいえ、皆が嘘つきの才能を持っているわけではありません。

というより、持っているのは少数派と言った方が良いでしょう。

ということは作家と言えども、この才能を持っている人は少ないのです。

せっかく立派な賞を受賞したのに、後の作品が続かない小説家が多いのはのはそのためなのです。

そのせいでせっかくの受賞を生かせず、あえなく小説家からの脱落を余儀なくされるのです。

嘘つきの上手な小説家だけが生き残ることができる


嘘つきを自認する浅田次郎は超売れっ子作家です。

こうなれたのはストーリーテラーとして優秀であるだけでなく、無類の嘘つきだからです。

浅田氏だけではありません。はるか昔に芥川賞か直木賞を受賞して、今も売れる作品を書き続けている作家は、皆、嘘つき上手な人ばかりなのです。

これから作家を目指す人は、この点を深く心に刻んでおく必要があります。

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