2019年5月7日火曜日

日本をこれ以上劣化させないために


令和に入ってやるべきことは、まず日本の現状認識から
 
3月22日のこのブログに
 
日本がどんどん劣化していく
という記事を掲載しました。
 
この記事はこのところどんどん劣化を続け、国際関係での立場を弱くしたり、競争力を失って様々な分野で遅れを取っている平成時代の日本の一面を書いたものです。
 

平成は日本という国が大きく減速した時代ということができます。こんな時代のことを、一部では「20世紀以降で最悪の時代」とまで言い切る人もいます。 

その平成もいつの間にか終わり、気がつけば新しい令和の時代は始まりました。何事も新しいものには期待が集まりますが、人々が新時代令和に期待するのはいったい何でしょうか。 

人それぞれいろいろあるでしょうが、なんといってももっとも期待が寄せられているのは平成の時代に失ったものを取り戻すことではないでしょうか。 

平成の時代に失ったもの、それが何かといえば、なんといってももっとも大きなものは先進国から引きずり落とされたと思えるほどの様々な分野での国際競争力の低下です。

 
令和に入ってわたしたち日本人が最初にやるべきことは現状認識
 
平成時代に日本が失ってしまったもの、その第一に挙げられるのが国際競争力の低下です。新時代令和に入った今、なんとしてもこれを取り戻さなければなりません。
 
そのために必要なのは現状を見つめ直して現在の日本の状況を正確に知ることです。
 
どのように見つめなおすかというと、例えば日本の企業の国際競争力は今どの位置にあるのか、ライバル国(例えば中国や韓国)と比べて実際の順位はどうなのか?などについて知るのです。
 
ではそれについてのデータの一例を具体的に上げてみましょう。 
 
 
日本企業の国際競争力の現状 
 
 世界大企業ランキング

 
上の表は最近の国際競争力をあらわすものとしてよく取り上げられる図表です。
 
これを見てもわかるように日本を代表する企業であるトヨタは国際的に見れば世界第  35位でしかありません。
 
しかも驚くべきは、その順位は中国や韓国のトップ企業よりはるか低い位置にあるのです。
 
要するにトヨタは平成の時代にライバル国の企業に抜かれた大きく差をつけられてしまったのです。
 
この現状はまことに憂いべきであり、いま日本のメディアでも大きく取り上げられています。
 
その代表的なものとして、最近ネットの有力メディアであるZUUオンラインが取り上げた特集記事をご紹介します。
 
 
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★ ZUUオンライン特集記事 2019430

 
 平成に劣化した日本企業の国際競争力は復活するのか 
 
「日本が生産性、国際競争力を回復するためには」

 

いよいよ令和時代が始まる。歴史的に見ると、戦前の日本の産業界は、弱肉強食、大きな貧富の格差、活発なM&A、直接金融主体、柔軟な労働システムなど、米国に近い資本主義モデルであった。しかし、戦後、これらが大きく変化し、良くも悪くも現在の日本的経営が定着した。そこで、歴史的な視点から、日本の産業界を振り返り、新時代の日本の経営の在り方を検討する。
日本では、明治時代以降、本格的な近代化が始まった。明治時代前半は日本が富国強兵に乗り出し、近代的な産業が勃興した時代であった。その後、明治時代後半と大正時代は、三菱、三井、住友などの財閥が拡大を続け、戦前の昭和は産業全体が軍国主義に巻き込まれる時代であった。戦後の昭和は復興と高度成長があり、最後はバブルを迎えた。
一方で、平成の日本経済はバブル崩壊で始まり、長期低迷の時代でもあった。特に、日本企業の国際競争力低下が顕著であった。平成12(2000)年末には世界の時価総額ランキング15位のトヨタ自動車を筆頭に6社が100位以内にランクインした。しかし、先月末で世界ランキング100位以内に入っているのはトヨタ自動車(42位)とソフトバンクグループ(91位)のみである。利益の規模も、米国や中国企業と比較すると著しく小さい。
(画像=出所:ブルームバーグ)
日本企業低迷の原因の多くは、経済や社会に深く根付いている日本的経営に起因すると考えられる(もちろん、他の要因も数多く存在する)。今でも、多くの日本企業は年功序列や終身雇用制を採用する。若者がいくら優秀でも年配者よりも給料が高くなることがないといった非合理なシステムでは、グローバル時代に通用するのは難しい。
昭和の高度成長時代に、日本的経営が大きな役割を果たしたことは事実である。しかし、日露戦争で効果を発揮した大艦巨砲主義が、約40年後の太平洋戦争で通用しなくなったように、時代が変われば、経営方針も変化させなければ生きていけない。
日本的経営の代表的な要素は、年功序列、終身雇用制、系列・下請、メインバンク、株式持ち合い、企業別労働組合などである。これらの背景に、中央集権体制、官僚支配(統制)、行政指導、産業政策、天下りなどが加わることによって、広義の日本的経営がつくられた。
終身雇用制は、労働の流動性を低下させ、結果として、衰退産業から成長産業への人材の移動を遅らせる。系列・下請、メインバンク、政策保有株式(株式持ち合い)などは、閉鎖的な企業取引につながりやすく、ビジネスモデルの転換を遅らせる要因となる。天下りや行政指導、官僚支配は、自由な市場競争を妨げ、官業が民業を圧迫することがある。
 

 

令和時代に変化する日本的経営

日本的経営の特徴は「安定的、長期的、協調的」であるが、同時に、「閉鎖的、競争抑制的、同質的」という要素を持つ。こうした体質が変わらない限り、今後も、日本から世界的なベンチャー企業が生まれるとは考えにくい。よって、日本的経営を改革することが、日本企業復活の第一歩であろう。
平成時代は日本的経営の負の側面が表面化し、日本企業の国際競争力は大きく低下した。それでは、昭和の戦時中に生まれ、戦後、日本に根付いた日本的経営は変わらないのであろうか。徐々にではあるが、変化の兆しが見え始めている。
第一に、日本企業のグローバル化である。日本企業は大型の外国企業を買収することによって、急速にグローバル化しつつある。代表例は、ソフトバンクグループ、ソニー、武田薬品、三菱UFJフィナンシャル・グループ、JT(日本たばこ産業)などがある。多くのグローバル企業では、外国人が全体の従業員数の過半を占める。
第二に、日本の少子高齢化と労働力不足である。これまでは定年は60歳であった。しかし、人生100年時代には、定年は65歳に延長されつつあり、さらには70歳以上に延長する企業もある。人口減少と外国人労働者増は、必然的に終身雇用制や年功序列を変えることになろう。
第三に、金融システムの変化である。日銀による低金利政策は長期化している。さらに、フィンテック時代の到来で、銀行経営はたいへん厳しい状況になる。したがって、メインバンク制は消えつつある。外国人の株式保有構成比上昇と株式の持ち合い減少により、企業のガバナンスも変わらざるを得ない。
 
出典・ZUUオンライン2019430
 

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