「小説は無理でもエッセイなら誰でも書ける」という文章教室の講師
まず下の文章を読んでください。
あなたもエッセイストになれます。小説を書くには、やっぱり才能が必要です。シナリオを書くのも、同様でしょう。ところが、エッセイを書くのに才能は不要です。ふつうに日本語を話し、読み書きできれば、誰にでもエッセイを書くことができます。強いて必要なことを挙げれば、「観察眼」でしょう。エッセイを書くことを念頭に日々、観察眼を磨いていけば、必ず上達します。さあ、あなたも「夜のエッセイ塾」へ、どうぞ。
い
かがでしょうかこの文章は。ちなみにこれを書いた方は、このエッセイ塾の講師で、かつてはメジャー週刊誌で編集長をされていた人です。
元週刊誌編集長で、今はエッセイ塾講師と聞けば、もうバリバリの文章のプロです。間違ってもおかしな文章は書けません。
ところがどうでしょう。上の文章がおかしくないと言えるでしょうか。私にはとうていそう思えません。
どう読んでもおかしな文章だからです。まず挙げられるのば次の文節です。「小説やシナリオを書くには才能がいるが、エッセイにはそれはいらない」
そして次は結論として書いている「才能がいらないから誰にでも書ける」です。
どう考えても立派な経歴の持ち主である文書のプロが本気でこう思っているとは考えられません。多分この方はエッセイ教室の生徒集めのためにしかたなく書いた宣伝のためのものに違いありません。
エッセイの目的とは?
作家など文筆を主業とする方がよく書くのがエッセイです。なぜなら小説とともに人々に最もよく読まれるのがエッセイだからです。でもなぜエッセイはよく読まれるのでしょうか。わたしが考えるのに、おそらく読者には次のような目的があるからではないでしょうか
・文章の手本にしたい
良い文章を書きたいがなかなかうまくいかない。良い手本はないだろうかと作家の書いたエッセイからを見つけようとする
・心の栄養剤がほしい
仕事や日常生活からのストレスで心が荒んで来ている。健全な状態に戻すためには心の栄養剤が必要だ。良いエッセイでも読んでみよう。
・あたらしい知識を得たい
インプットがないとアウトプットは続かない。会議での発言やレポートのためにも新鮮で魅力的な言葉を覚えなければいけない。
人々のエッセイを読む目的が上のような点にあるとすれば、書き手としては当然のごとくこうした点を踏まえて執筆に臨まなければいけません。
つまり
・手本になるようや良い文章を書く
・読者の心に栄養剤になるような話を書く
・新しい知識で人々を啓蒙する
の3点にあるに違いありません。
したがってこれを踏まえて書かれたものが良いエッセイであり、そうでないのがつまらないエッセイということになります。
ということは、上の文章にあるような、「エッセイは誰にでも書ける」というような
易しいものでは決してないのです。
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