2021年2月3日水曜日

JR上野駅公園口・全米図書賞の効果がすごい!


柳美里「
JR上野駅公園口」の売上 一気に30万部突破! 

文学賞受賞の効果が大きいのは、普段あまり本を読まない人にも「この本読んでみたい」という気を起こさせることです。

その良い例が今回の柳美里「JR上野駅公園口」です。

全米図書賞受賞が発表されるやいなや売れに売れ、一気に30万部を突破したのです。

 

全米図書賞とは


全米図書賞は、アメリカで最も権威のある文学賞の一つ。1950315日に、複数の出版社グループによって創設され、現在は全米図書協会によって運営されている。2004年時点で、小説・ノンフィクション・詩・児童文学の4部門があり、受賞者には副賞として賞金10,000ドルとクリスタルの彫像が贈られる。  ウィキペディアより

 

 

柳美里 どんな作家なの?

 

柳美里(ゆう・みり)

1968年生まれ。高校中退後「東京キッドブラザース」に入団。役者、演出助手を経て、86年演劇ユニット「青春五月党」を結成。93年『魚の祭』で岸田戯曲賞、97年『家族シネマ』で芥川賞を受賞。著書多数。2020年『JR上野駅公園口』(モーガン・ジャイルズ訳『TOKYO UENO STATION』)が全米図書賞(National Book Award 翻訳文学部門)を受賞。 

 

JR上野駅公園口」はどんな小説なのか

 

JR上野駅公園口』

あとがき」より

 

 この小説を構想しはじめたのは、十二年前のことです。
 二〇〇六年に、ホームレスの方々の間で「山狩り」と呼ばれる、行幸啓直前に行われる「特別清掃」の取材を行いました。


「山狩り」実施の日時の告知は、ホームレスの方々のブルーシートの「コヤ」に直接貼り紙を貼るという方法のみで、早くても実施一週間前、二日前の時もあるということで、東京在住の友人に頼んで上野公園に通ってもらい、貼り紙の情報を送ってもらいました。


 上野恩賜公園近くのビジネスホテルに宿泊し、ホームレスの方々が「コヤ」を畳みはじめる午前七時から、公園に戻る五時までのあいだ、彼らの足跡を追いました。


 真冬の激しい雨の日で、想像の何倍も辛い一日でした。


「山狩り」の取材は、三回行いました。


 彼らと話をして歩き、集団就職や出稼ぎで上京してきた東北出身者が多い、ということを知りました。彼らの話に相槌を打ったり質問をしたりしていると──、七十代の男性が、わたしとのあいだの空間に、両手で三角と直線を描きました。


「あんたには在る。おれたちには無い。在るひとに、無いひとの気持ちは解らないよ」と言われました。


 彼が描いたのは、屋根と壁──、家でした。


 その後、八年の歳月が過ぎ、わたしはこの作品のことを気に掛けながら、五冊の小説と二冊のノンフィクションと二冊の対談集を出版しました。


 二〇一一年三月十一日に東日本大震災が起きました。


 三月十二日に東京電力福島第一原子力発電所一号機が水素爆発、十四日に三号機が水素爆発、十五日に四号機が爆発しました。


 わたしは、原発から半径二十キロ圏内の地域が「警戒区域」として閉ざされた四月二十二日の前日から原発周辺地域に通いはじめました。


 二〇一二年三月十六日からは、福島県南相馬市役所内にある臨時災害放送局「南相馬ひばりエフエム」で、毎週金曜日「ふたりとひとり」という三十分番組のパーソナリティを務めています。


 南相馬在住・南相馬出身・南相馬に縁がある「ふたり」と話をするという内容です。


 二月七日現在で、第九十四回まで放送されたので、二百人以上(ゲストが三人以上の時もあるので)の方々とお話をしたことになります。


 放送とは別に、南相馬市内(主に鹿島区)にある仮設住宅の集会所を訪ね、お年寄りのお話を聞きに行くこともあります。


 この地に原発を誘致する以前は、一家の父親や息子たちが出稼ぎに行かなければ生計が成り立たない貧しい家庭が多かった、という話を何度も耳にしました。


 家を津波で流されたり、「警戒区域」内に家があるために避難生活を余儀なくされている方々の痛苦と、出稼ぎで郷里を離れているうちに帰るべき家を失くしてしまったホームレスの方々の痛苦がわたしの中で相対し、二者の痛苦を繫げる蝶番のような小説を書きたい──、と思いました。


 それから、南相馬と鎌倉の自宅を往き来するあいだに、上野公園近くのホテルに泊まるようになりました。


 上野公園は、わたしが最初に「山狩り」の取材をした二〇〇六年から比べると、劇的にきれいになり、ホームレスの方々は限られたエリアに追いやられていました。


 昨年、二〇二〇年の東京オリンピック・パラリンピック開催が決定しました。


 先日、東京五輪の経済効果が二十兆円、百二十万人の雇用を生むと発表されました。

宿泊・体育施設の建設や、道路などの基盤整備の前倒しが挙げられ、ハイビジョンテレビなどの高性能電気機器の購入や、スポーツ用品の購入などで国民の貯蓄が消費に回され景気が上向きになるとも予想されています。


 一方で、五輪特需が首都圏に集中し、資材高騰や人手不足で東北沿岸部の復旧・復興の遅れが深刻化するのではないかという懸念も報じられています。


 オリンピック関連の土木工事には、震災と原発事故で家や職を失った一家の父親や息子たちも従事するのではないかと思います。


 多くの人々が、希望のレンズを通して六年後の東京オリンピックを見ているからこそ、わたしはそのレンズではピントが合わないものを見てしまいます。
「感動」や「熱狂」の後先を──。


 最後に本書を出版するに際して──、
 一九六四年に開催された東京五輪の体育施設の建設工事の出稼ぎの詳細をお話しいただいた、南相馬市鹿島区にある角川原仮設住宅にお住まいの島定巳さん、ありがとうございました。


 原発を誘致する以前の相双(相馬・双葉)地区の様子を教えてくださった、小学校の教員をなさっていた菅野清二さん、ありがとうごさいました。


 相双地区における真宗移民の歴史を教えてくださった南相馬市鹿島区・勝縁寺のご住職・湯澤義秀さん、同市原町区・常福寺のご住職・廣橋敬之さん、ありがとうございました。


 細かい方言指導と時代考証をしてくださった鹿島区の佐藤和哉さん、ありがとうございました。


 そして、この小説の完成を粘り強く待ってくださった『文藝』の高木れい子編集長と、わたしと主人公と共に物語の時間を歩んでくださった担当編集者の尾形龍太郎さん、ありがとうございました。

 

 二〇一四年二月七日

柳美里

 

 

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