村上春樹の芥川賞落選は不可解でミステリアス!
毎年のように候補に上がりながら、いまだにノーベル賞を受賞できない村上春樹だが、その理由についてはっきり語ることができる人はおそらく皆無ではないだろうか。
それ以前に芥川賞のことを忘れてはならない。それは今世紀が誇るこの偉大な作家は、なんと芥川賞の受賞歴もないのだ。
日本を代表する文学賞である芥川賞。村上春樹に与えられずして、いったい誰に与えられるというのだろうか。これほど不可解なことはない。
1979年と1980年の二度候補に上がったものの、いずれも反対の撰者に押し切られて受賞を逸しているのである。
では、その時の撰者は誰で、選評とは一体どのようなものであったのだろうか。
下に掲げたのが著書「走ることについて語るときに僕の語ること」で述べている芥川賞落選に対する思いと、ウィキペディアに掲載された芥川賞候補作品及び撰者と選評である。
芥川賞について村上春樹が語っていること
「…『風の歌を聴け』 と『1973年のピソボール』 は芥川賞の侯補になり、どちらも有力候補と言われたのだが、賞は結局とれなかった。でも僕としては正直なところ、どっちでもいいやと思っていた。とればとったで取材やら執筆依頼やらが続々舞い込んでくるだろうし、そんなことになったら店の営業に差し支えるんじゃないかと、そっちの方がむしろ心配だった。…」。
(注)「店」とは村上春樹が当時経営したいた「ジャズバー」のことである。
出典:「走ることについて語るときに僕の語ること」村上春樹著
村上春樹・芥川賞候補作品の撰者と選評
第81回芥川賞 | 『風の歌を聴け』 | 候補のみ | 丸谷才一の選評。「もしもこれが単なる模倣なら、文章の流れ方がこんなふうに淀みのない調子ではゆかないでせう。それに、作品の柄がわりあひ大きいやうに思ふ。」 瀧井孝作の選評。「外国の翻訳小説の読み過ぎで書いたような、ハイカラなバタくさい作だが……。(中略)しかし、異色のある作家のようで、わたしは長い目で見たいと思った。」 大江健三郎の選評。「今日のアメリカ小説をたくみに模倣した作品もあったが、それが作者をかれ独自の創造に向けて訓練する、そのような方向付けにないのが、作者自身にも読み手にも無益な試みのように感じられた。」 |
第83回芥川賞 | 候補のみ | 大江健三郎と吉行淳之介が支持に回ったものの、井上靖、中村光夫らは拒否した[69]。 その後村上が長編小説を仕事の中心に構えたこともあり、彼の作品が三度芥川賞の候補に選ばれることはなかった(芥川賞は中編、短編が対象のため)。 村上がのちに世界的な作家へ成長したことにより、二回にわたる取りこぼしはしばしば芥川賞に対する批判の的となる。 |
出典:ウィキペディア
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