村上春樹が小説のつくられ方や構造について本気で語っている
村上春樹の作品で、エッセイでは小説ほど評判になったものはこれまで見ていないが
この「職業としての小説家」は小説以外の分野でもなみなみならぬ力量が発揮されていることを認めざるを得ないクオリティの高いエッセイある。
この作品では氏が35年以上作家活動を続けてきた経験をもとに、小説創作技法に関わる様々な点が注意深く語られている。
中でも注目すべきは、小説の思いがけない展開について書かれた部分である。
それは「短編小説のつもりで書き始めたものが、その作品の登場人物の作中での予期せぬ発言一言で、長編小説に変わってしまった」という興味深い話である。
また、小説は作者が展開についてあれこれ悩む前に、作中の登場人物が勝手に動いてストーリーをどんどん前に進ませてくれるので、作者はそれにしたがって文字を並べていくだけでいい、とも書いている。
こうした話は小説を書こう思いながら、いろいろ悩んで一歩を前に踏み出せないでいる未来の小説家たちには心強い身方になってくれるに違いない。
下に掲げるのがその一文である。
村上春樹『職業としての小説家」(232~234頁)
小説のキャラクターにとって重要だと僕が考えるのは。「その人物がどれくらい話を前に導いてくれるか」ということです。その登場人物をこしらえたのはもちろん作者ですが、本当の意味で生きた登場人物は、ある時点から作者の手を離れ、自律的に行動し始めます。これは僕だけではなく、多くのフィクション作家が進んで認めていることです。実際そういう現象が起きなければ、小説を書き続けるのはかなりぎすぎすした、つらく苦しい作業になってしまうはずです。小説がうまく軌道に乗ってくると、登場人物たちがひとりでに動き出し、ストーリーが勝手に進行し、その結果、小説家はただ目の前で進行していることをそのまま文章に書き写せばいいという、きわめて幸福な状況が現出します。そしてある場合には、そのキャラクターが小説家の手を取って、彼をあるいは彼女を、前もって予想もしなかったような意外な場所に導くことになります。
具体例として、最近の僕の小説を引き合いにださせていただきます。僕の書いた長編小説『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』の中に、木元沙羅というなかなか素敵な女性が登場します。実を言いますと、僕はもともと短編小説にするつもりでこの小説を書き出しました。原稿用紙にすればだいたい六十枚ぐらいのものになるだろうと予想して。
筋を簡単に説明しますと、主人公の多崎つくるは名古屋の出身で、高校時代にとても親しくしていた四人のクラスメイトから「もうあまえとは会いたくない。口もききたくない」と言われます。その理由は説明されません。彼もあえて質問しません。彼は東京の大学に入って、東京の鉄道会社に就職し、今では三十六歳になっています。高校時代に友人から理由も告げられず絶交されたことは、心に深い傷を残しています。でも彼はそれを奥に隠し、現実的には穏やかな人生を送っています。仕事も順調だし、まわりの人々には好意を持たれているし、恋人も何人か作りました。でも誰かと深い精神的な関係を結ぶことができません。そして彼は二つ年上の沙羅と出会い、恋人の関係になります。
彼はふとしたきっかけで、高校時代に親しくしていた四人の親友から拒絶された体験を、沙羅に語ります。沙羅はしばらく考えてから、あなたはすぐ名古屋に帰って、十八年前にいったいそこで何があったのかを調べなくてはならないとつくるに言います。「(あなたは)自分が見たいものを見るのではなく、見なくてはならないものを見るのよ」と。
実を言うと僕は、沙羅がそう言うまで、多崎つくるがその四人に会いに行くことになるなんて、考えもしませんでした。僕としては、自分の存在が否定された理由もわからないまま、多崎つくるがその人生を静かに、ミステリアスに生きていかなくてはならないという、比較的短い話を書くつもりだったのです。でも沙羅がそう言ったことで(彼女がつくるに向かって口にしたことを僕はそのまま文章にしただけです)、僕は彼を名古屋に行かせないわけにはいかなかったしそして果てはフィンランドにまで送り込むことになりました。そして四人がいかなる人々であるのか、それぞれのキャラクターをl新たに立ち上げなくてはなりませんでした。その結果として、当然のことながら、物語は長編小説という体裁をとることになりました。
つまり沙羅の口にした一言がほとんど一瞬にして、この小説の方向や性格や規模や構造を一変させてしまったのです。それは僕自身のとって大きな驚きでした。考えてみれば彼女は、主人公である多崎つくるに向かってではなく、実は作者である僕に向かって語りかけていたのです。「あなたはここから先を書かなくてないけない。あなたはそういう領域に足を踏み入れているし、それだけの力をすでに身につけているんだから」と。つまり沙羅もまた、僕の分身の投影であったということになるかもしれません。
彼女は僕の意識のひとつのアスペクトとして、僕が今ある地点で留まってはいけないということを、僕自身に教えていたわけです。「もっと先まで突っ込んで書きなさい」と。そういう意味ではこの『色彩を持たない多先つくると。彼の巡礼の年』は、僕にとって決して小さくない意味を持つ作品となっているかもしれません。形式的に言えばいわゆる「リアリズム小説」ですが、水面下ではいろんなものごとを複合的に、またメタフォリカルに進行している小説だと僕自身は考えています。
僕自身が意識している以上に、僕の小説の中のキャラクターたちは、作者である僕をせき立て、励まし、背中を押して前に進めてくれているのかもしれません。それは『IQ84』を書いているときに、青豆の行動を描きながらひしひしと感じたことでもありました。彼女は僕の中の何かを強引に押し広げて(くれて)いるみたいだな、と。でも振り返ってみれば、僕は男性のキャラクターよりは女性のキャラクターに導かれたり、駆り立てられたりする場合の方がむしろ多いみたいですね。自分でもどうしてかわかりませんが。
僕が言いたいのは、ある意味においては、小説家は小説を創作しているのと同時に、小説によって自らをある部分、創作されているのだということです。
出典:「職業としての小説家」スイッチ・パブリッシング
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この本の紹介文より
「村上春樹」は小説家としてどう歩んで来たか――作家デビューから現在までの軌跡、長編小説の書き方や文章を書き続ける姿勢などを、著者自身が豊富な具体例とエピソードを交えて語り尽くす。文学賞について、オリジナリティーとは何か、学校について、海外で翻訳されること、河合隼雄氏との出会い……読者の心の壁に新しい窓を開け、新鮮な空気を吹き込んできた作家の稀有な一冊。
(この本のもくじ)
第一回 小説家は寛容な人種なのか
第二回 小説家になった頃
第三回 文学賞について
第四回 オリジナリティーについて
第五回 さて、何を書けばいいのか?
第六回 時間を味方につける——長編小説を書くこと
第七回 どこまでも個人的でフィジカルな営み
第八回 学校について
第九回 どんな人物を登場させようか?
第十回 誰のために書くのか?
第十一回 海外へ出て行く。新しいフロンティア
第十二回 物語のあるところ――河合隼雄先生の思い出
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