学校嫌いだが無類の本好き少年だった
小学生の頃にはこんな本を読んでいた
小説家は言うまでもなく、ものを書く人ですが、それ以前にものを読む人です。もちろん小説家でない普通の人でも本は読みます。でも費やす時間と読む量を比べるととうてい比較には及びません。
その違いはまさに月とスッポンと言ってもいいでしょう。それに読み始める時期も早く、小説家は幼少の頃から大量の本を読み続けているのです。
国民的作家とも言われる時代劇の名手藤沢周平も例外ではありません。
氏は小学生の頃、なにかのきっかけで吃音症(どもり)になってしまい、授業で指名されても、一言も発する事ができないほど重症の状態になり、そのせいですっかり学校嫌いになっていました。
その反動もあってか、本に対する執着はすごく、身の回りで目にする本は種別を問わず手当たりしだいに読破してしまうという、まさに本の虫そのもので、小学生にしてすでに活字中毒にかかっていたのです。
下に掲げたのは自伝「半生の記」の一文で、小学校五~六年時の読書傾向について書かれたものですが、この一文を読むだけでも、氏のすさまじい読書欲をじゅうぶん観察することできます。
藤沢周平 半生の記 40~41頁宮崎先生は、午後の一時間をつぶして、V・ユーゴーの「レ・ミゼラブル」を読んでくれるような教師だった。また作文を書かせそれを一人一人に返すときは必ず末尾に朱筆で感想と指導の要点を記して返した。私はふつうの授業時間はほとほといやだったけれども、作文(綴り方)の時間は好きだった。声を出さずに済み、また末尾の感想でほめられることが多かったからである。
宮崎先生のこうした教育は、それまでの私のとりとめもない活字好きを、明確に小説好きに変える鍵の役割をしたような気がする。私は家の中の本を手当たりしだいに読むようになった。家には姉たちが子供の頃に読んだと思われる少女雑誌や、丘の向こうの温泉旅館で働いている長姉が休日のときに持ち帰るキングとか富士とかの小説雑誌、菊池寛、吉屋信子、久米正雄、牧逸馬の文庫本などがあった。読んだのはそういうものである。
もちろん姉の持ち物である大人の雑誌や本ばかりでなく、私は少年倶楽部や譚海(たんかい)、立川文庫、それに高垣眸、南洋一郎、海野十三、佐藤紅緑、山中峯太郎の野少年小説の単行本も読み、とくに高垣眸の「まぼろし城」、「怪傑黒頭巾」、山中峯太郎の軍事探偵本郷義昭物、少年倶楽部に連載された吉川英治の「天兵童子」などを夢中で読み耽った。
私は家で読み、学校の休み時間に読み、下校のときに歩きながら読み、授業中に机の中に頭を突っ込んで、そこにひろげてある本を読んだ。完全な教室のはみだしものの図である。
そういう私の状態は、級友たちの目にも異様に映ったに違いない。六年生になってからだろうか、私が例によって教室にたった一人残って本を読んでいると、廊下に十人ほどの級友がやってきて、変な調子をつけて、「ヒマアレバ、ヒマアレバ」とはやし立てた。ひまさえあれば本を読んでいるという意味だった。
いまで言えばいじめにかかったということだろうが、私はそのころは背丈がのびて男子の列の中ほどにいたし、勉強した覚えがないのに成績もそんなにわるくなかったので。級友のいじめは全然気にならなかった。しかしあまりうるさいので、二度目か三度目にやってきたときに、本から顔を上げてそっちを見ると、連中はわっと逃げてそれっきりになった。
小学校五年、六年ごろの私は、子供ながらほとんど活字中毒という有様になっていた。
出典:半生の記 文春文庫
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