(その3)
2人でベットにいた深夜 ドンドンとドアを叩く激しい音とともに「おい、いるんだろう、開けろよ」という男のだみ声が暗闇に響いた
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道夫とマッサージ師11番さん (とある夜の話)
「もう起きてたの。ねえ今何時ごろ?」
「ええっと、九時二十五分です」 「あら、もう九時過ぎてるの。よく寝たわ。ああ気持ちよかった。あなたいつ起きたの?」 「ほんのすこし前です。ちょうど今、寝覚めの煙草をすおうとしたところです」 「九時半か、そろそろ起きなくちゃ。ねえ朝ごはん食べるでしょう」
「はいできたら、少しおなかへったみたいだし」 道夫はやや遠慮がちに答えた。
「よしと、じゃあ起きて支度するわ」 彼女はそう言いながら、ゆっくりと体を回転させ、うつ伏せになり枕の上にあごを乗せた。
「でもそんなに急がなくてもいいですよ。僕、今日は学校休みました、夜の仕事までたっぷり時間ありますから」 「あらそうなの。じゃあ私もっと寝ようかしら」
「えっ、まだ寝るんですか?」 「じょうだんよ。睡眠はもうじゅうぶん足りたわ。でも何かまだベッドを抜け出したくない気持ち」 そう言った彼女は道夫の方をふり向き、なんとなく意味ありげな流し目をおくっていた。すっかり化粧を落としたすべすべしたほっぺたが微かに光っており、目尻のしわもいつもより鮮明に見えて、この顔もまたいいもんだ。と、うっとりして眺めていた。 それよりさっき彼女が言った「まだベッド抜け出したくない気持ち」というセリフが妙に気になって、また下半身にただならぬけはいを感じていた。 これをどう処理しようかと考えながら、また横向きになって彼女の顔をじっと見た。 それにつられて十一番さんも視線を合わせてきた。
道夫はそっと肩に手をかけると彼女をぐっと手元に引き寄せ、顔を重ねてキスしようとしたちょうどその時だった。 辺りの静寂を一気に破るように、入り口のドアがドン、ドンと激しくノックされたのは。 その音に驚いて、道夫は引き寄せた彼女の体から手を離した。 「誰か来たようですよ」 それには答えず、十一番さんは人差指を縦にして口にあて、て、「シー」と、息で言った。
またさっきより激しくドアがノックされた。
十一番さんはそれでも立とうとせず、前より少し表情を曇らせると、掛け布団を大きく持ち上げ、道夫をその中にもぐらせると自分も体を縮めて中に入ってきた。
「ねえ返事をしちゃだめよ。ぜったいに」 急にそう言われて、何がなんだかよくわからなかったが、少し怖いような気もしてきて、言われるまま黙って息を殺していた。
それから激しいノックは数回続いて、なん回めかのその後には、男のだみ声が響いた。
「おい、いるんだろう。開けろよ。開けないとドアを破って入るぞ」
その声を聞いて、道夫はさっきよりもっと恐ろしくなってきた。 十一番さんはそれでも黙って声を殺しており、ただ一言も発しなかった。
十分くらいたったであろうか。 やっと激しいノックの音も、男のだみ声も聞こえなくなった。 でも十一番さんは 「まだよ」と囁くようと言いながら、掛け布団はまだはがそうとしなかった。
二人がはいた熱い息が中にこもり、暑苦しくなって息がつまりそうな気がした。
「もういいわ」 彼女がやっとそう言って、掛け布団をはがしたのはそれからさらに十五分ほどもたってからだった。
ようやく息苦しさから開放された道夫に十一番さんが「まだ声は出さないように」と、そっと耳打ちした。 それからもう五分ぐらいたって、やっと彼女はベッドを抜け出し、忍び足でドアの方へ歩いていった。 ドアスコープを覗いて、辺りを入念に観察した後、やっと声を出して言った。
「もうだいじょうぶ。どうやら行ったみたいだわ」
でも、この出来事に対して彼女が言ったことはたったそれだけで、昼前に道夫と別れるまで、何故だか、その後一言も触れなかった。
道夫としては、突然のその異様な出来事に対して、たずねてみたい気持ちはじゅうぶんあったが、でもあえて質問はしなかった。
ふとんにもぐらされた時、道夫は考えていた。
ひょっとして外の人、彼女の情夫かも。もしそうだとすれば、この場面を目撃されるとただではすまないだろう。殺されるか、いや殺されはしまい。たぶんうんと殴られるだろう。
それともお金をゆすられるだろうか? そんなふうに考えていて、二度目のだみ声が響いたときには体が小刻みに震えるのがわかった。
小説「ナイトボーイの愉楽」より、危機の部分抜粋
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