2023年5月1日月曜日

瑞々しく匂う文章を  書評「書くこと」瀬戸内寂静 河出文庫

 


瀬戸内寂静が書くことでこだわったのは瑞しく匂う文章

作家は書くことが仕事であるしたがって名のある作家ならたいていこれをテーマにした作品を遺している

その中で多いのが小説の書き方と題するものではないだろうか試しにネット検索に有名作家の名前小説の書き方の2項目をいれ検索してみてほしいすると間違いなくこれに関する作品がヒットするはずだ

さて作家は書く人以前に読む人でもあるだがこれに関しては書くことほど作品のテーマにされていない

つまり何をいかに読んできたかというようなテーマで書かれたエッセイ作品などが意外と少ないのである

そうした中で瀬戸内寂静の書くことというタイトルのエッセイ集にはそれ以前の読むことに関してが年を追って克明に記されており瀬戸内寂静という女流作家がどんな著者のどのような作品に影響されてきたかがよく理解できる

それらは数多くあるが作家と作品の一例をあげると

・坂口安吾堕落論

・小田仁二郎触手

コレット青い麦」「シェリ

モーリャックテレーズ・デスケイルウ

ロレンス・ダレルアレキサンドリア・カルテッド

などである

書くことに話を戻すがこの作家で言いたいのはこの分野においてもあえて小説の書き方などは選ばずそのテーマを文章に特化していることだ

下でご紹介するエッセイしく匂う文章をその代表的なものの一つである


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しく匂う文章を        瀬戸内寂静

文章は素直でわかりやすいのが極上だと思う装飾の多い美文調の文章はもはや時代遅れである書く人の体質によって息の長い文章とか短い文章とかたできてくるとは谷崎潤一郎の文章読本で読んだことだったそれを読んだ若いころ私は、むやみにセンテンスの長い文章を書いていたので自分は谷崎的体質に近いのだろうと勝手に決め込んでいたところがその後気がついたら文章の息がいつのまにか短くなっていた体質がさほど変わったとも考えられないから体質と文章との関係はあまりないのではないかと思う

また文は人なりと昔から教えられてきたけれども近ごろそれにも疑問を抱いている字の美しい人はどんなに心も美しいかと思いがちだがお習字の先生なんかに人格下劣の人があったりするしまた字のなんとも形容できないほどまずい人出も神のような心のやさしい人も知っている

文章もそれと同じで手紙の文章などでその人を推しはかっていて実際に逢ってみると全然自分の推察が見当外れだった経験も何度か持つ。・・は次第に複雑な心や神経を持つようになってきたから文章も複雑な性格を持つようになってくるのだろう

文章を書くことを仕事にするようになって以来一日として文章を綴らない日はないのでかえって改めて文章について考えてみることもなくなっている自分の表現したいことを一番表現しやすい文章を無意識にさぐりあてて書いてきたように思うそれでもここ二三年ぐらい前から自分の書くものがいやになりひとりであれこれ悩んでいたら自分の文章までいや気がさしてきた

近ごろ私は素直なもの正直なものにあまり魅力を感じなくなっている人間は今のような世の中では素直や正直や純情などとおさまりかえっては生きていかれないし自分を表現しようと思ってみても自分という人間そのものが複雑怪奇になっていて一筋縄ではいかないことを感じるのであるとはいっても私が文章について考えこむ時はたいてい職業としての文学の面から考えているのだから普通の人の場合の文章とはちがう

文學の上では私はこの節素直でない悪文の方が読んで心に入ってくるようになった素直なわかりやすい文章で読むとああそうですかと心を素通りしてしまうことが癖の強い悪文で読まされると々、ひっかかりながら読むためかいつのまにか自分もその文章の迷路で迷わされたり立ちどまされたりしていてそのことが読者の愉しみにつながってkているように思う

装飾の多い美文はもはや時代遅れだと最初にいったけれども岡本かの子や三島由紀夫くらいまで豪華な装飾に包んでくれるとそれはやはり文章にも人をよわせる魔力があることを否応なく知らされる

私が文章で最も感動を受けたのは大逆事件の死刑囚たちの獄中記であった彼らのほとんどは無実の罪で死刑にされたのだけれど獄中で最後に書き綴った彼らの文章には乱れもなく格調が高かった

彼らの中でただひとりの女だった菅野須賀子は、「死出の道くさと題して手記を残している

十二人の死刑囚の中で彼女のものが最も激烈なことばにみちていたがその文章の行間にみなぎる気迫の凄まじさには打たれる文章としては幼稚だし決いして名文でもなければいい文章でもないしかし彼女のいいたいことが彼女の語彙や文章で語りきれないもどかしさとなって行間にあふれ文章を超えて読む者の胸になだれこんでくるのであるこういうものこそが文章の命ではないかと思う

それと対照的に幸徳秋水の文章は至れる尽くせりで自分の思想を余すところなく十二分に読者にそそぎこななければやまないといった名文である漢文調の格調の高い彼の文章は磨きあげた宝石のような冷たい美しい輝きを放つ

私は幸徳秋水の文章を読むと生理的な爽快感を味わわされる中でもただ一つを選べといわれたら彼が七十近い老母にむかって自分の近況をしらせ須賀子と同棲した事情や自分の主義についてのべた手紙であるわかりやすい文章で噛んで含めるようにかいてあるけれどもこの手紙を見れば母としてどうしても秋水の立場を認めずにはいられないような説得力を持っている

原稿を書くせいで日とともに手紙の文章が無味乾燥になってきつつある私は秋水があれだけ仕事のための文章を書きながら死ぬまで情感のあふれる手紙を知友たちに書けたことにも驚嘆している

これから自分の文章がどう変わっていくか私にはわからないけれどもいくつまで生きようが決して老いて文章が枯淡になったなどと言われるような文章だけは書きたくないと思っている文章のいのちが瑞しく匂うような文章で小説を死ぬ瞬間まで書きたいと思う

出典:河出文庫



著者紹介
1922年徳島県生れ東京女子大学卒。1957(昭和32)女子大生・曲愛玲チュイアイリン)」で新潮社同人雑誌賞受賞。1961田村俊子で田村俊子賞、1963夏の終りで女流文学賞を受賞。19731114日平泉中尊寺で得度法名寂聴旧名晴美)。1992(平成4)花に問えで谷崎潤一郎賞、1996白道で芸術選奨、2001場所で野間文芸賞、2011年に風景で泉鏡花文学賞を受賞著書に比叡』『かの子撩乱』『美は乱調にあり』『青鞜』『現代語訳源氏物語』『秘花』『』『わかれ』『いのちなど多数。2002瀬戸内寂聴全集』(第一期全二十巻が完結。2006文化勲章を受章。2021119日逝去

 

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