小説家とインターネット
小説家は書くのが仕事ですからたいていは朝から晩までパソコンをたたいています。では書くこと以外何もしないかといえばそれは違っていて、同程度の時間かそれ以上を読むことを始めとした取材活動に費やします。
つまり書くための材料と情報を仕入れるのです。読むのは書物をはじめ、インターネット検索で得る様々な情報、取材活動は足を使って屋外に出向き、小説の舞台や登場する人物について調べるのです。
こうした一連の活動の中で最も時間を費やすのがインターネット検索です。おそらく半分ぐらいの時間をこれに使っているのではないでしょうか。
当然とはいえば当然なことですが、昨今の小説家にとって、インターネットは取材のために無くてはならない便利なツールとなっているのです。
いまアマチュアの小説家志願が増えているのは インターネットのせい?
プロ小説家の話はさておいて、いまアマチュアの小説家志願者が急増しているようですが、その理由や背景を探ってみると、どうやら原因はインターネットにあるようです。
どういうことかというと、ネットには小説家になるためのハウツーが溢れていて、まるで誰でも小説家になれるような、人々を煽る情報が氾濫しているのです。
こうした情報に煽動させられた人たちが、僕も私もと、作家への道に踏み入ろうとしているのではないでしょうか。
小説家志願者が増えた 有力なエビデンス
小説新人賞に関するわたしのブログ記事がバズった
上で書いたように、いまアマチュア小説家志願が急増しているようですが、その原因を示す有力なエビデンスが身近にあります。
それは私が2020年にプログに取り上げたある記事がヒットして人気になり、検索ページ上位にランクされたことです。
記事のタイトルは「小説新人賞の応募者に是非とも伝えたいこと」という全5回(11、000文字)のシリーズです。
この記事は掲載から最初の2年間はそれほどでもなかったのですが、2022年ごろから急にアクセスが増え始め、最近のページビューは6,000近くまで達しており、今も毎月300件ぐらいコンスタントに増え続けています。
記事が人気になったのは、小説新人賞に関する検索が増えたから
でも素人が自分の趣味でブログに書いた記事が思いがけずヒットして多くの読者に注目されるのはなぜなのでしょうか。
もちろんこの記事が幾多の小説新人賞に応募した経験の上に立って書かれたものゆえに、記事の信ぴょう性が評価されたのかもしれませんが、それに加えて見逃せないのは今という時代背景です。
つまりインターネットの影響でアマチュアの小説家志願者が急増し、「小説新人賞」に関する検索が急増したからに違いありません。
その検索で私のブログ記事「小説新人賞応募者に・・・」というタイトルがヒットしたのです。
これこそアマチュアの小説家志願者が増えている何よりの証拠ではないでしょうか。
小説家にとってインターネットのメリットは計り知れないほど大きい
ここでまた話をプロの小説家へ戻しますが、上で書いたように、素人が何気なくブログに載せた小説新人賞に関するブログ記事がヒットして多くの人々に読まれたのは紛れもなくインターネットの力です。
このことが示すように、アマチュアの小説家志願者にさえインターネットが大きな影響を与えている今、プロ小説家がインターネットから受ける恩恵がどれほど大きいか、容易に想像できます。
それもそうでしょう。インターネットこそ、小説を書くことを生業にしている者に、よりスピーディに、より多くの小説を書く力を与えた究極のツールなのですから。
でもデメリットも小さくない
アマチュア小説家に対してはもちろんのこと、プロの小説家にとってインターネットの恩恵は計り知れないものがあります。
その恩恵のおかげで、仕事の効率が上がり、作品の量が大幅に増えたに違いないからです。
とはいえ、メリットがあればデメリットもあるのが世の常で、こうした大きなメリットの半面、一部の小説家が被るデメリットに触れないわけには行けません。
インターネットが一部の小説家に与える大きなデメリットとは
インターネットが小説家に与えるメリットは計り知れないものがある半面、デメリットも小さくない、と言われていますが、このデメリットはすべての小説家が対象でにはなりません。
ではどんな小説家が対象になるかといえば、それはズバリ容姿に恵まれていない方々です。
その理由を言いますと、例えば私たちがある事件についてネット検索するとき、事件の概要、詳細などはもちろんのこと、同時に事件に関わった人について調べます。
いったいこの事件の犯人はどんな人なのだろうか、年齢は、性格は、生活状況は、などなどですが、同時に、どんな顔で、どんな姿の人物なのかと、その容姿(風貌)も知りたくなるのです。
小説を読むと、作者のことが知りたくなるが
私たちは小説を読むと、その作品を書いた小説家のことを知りたくなりますが、この気持ちは作品が良かった時も、そうでなかったときも同じです。
つまり良い作品だと「こんな素晴らしい作品を書いたのはいったいどんな人なのか」と、また期待が外れて失望した時だと「こんなつまらない作品を書くのはいったいどんなやつ?」というふうに、どちらの場合であっても作者について知りたくなるのです。
その結果ネット検索になるのですが、まずはその小説家についての一般情報を知ります。
それで終われば問題は大きくならず、インターネットのデメリットにはつながりません。しかし・・・。
インターネットの何がデメリットにつながるのか
対象の小説家についての一般的な情報検索が終わると、次は当然のごとく画像検索に移って、小説家の風貌を調べるのですが、それが良ければ問題は大きくなりません。
インターネットが小説家の大きなデメリットを与えるのは、その風貌が良くなかったときです。つまり見た目が悪かったり、好みに合わなかったりする場合です。
いうまでもなく、人には誰にでも好き嫌いがありますが、見た目が悪ければ、当然のごとく「きらい」と判定されるのです。
となると、作品が良かった場合でも、今後は「どうしよう?」と疑問がわき、悪かった場合は「二度と読みたくない!」という心境になるのは間違いないでしょう。
これでお分かりになったことでしょう。インターネットの画像検索で知った小説家の容姿の悪さは読者を失う大きな原因になるのです。
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