海外で働こうと思っているなら
英会話だけでなく英語文書の読解力もつけておこう
人口減少や長期間景気低迷など、今の日本は若者にとって閉塞感に満ちた住みづらい国になっているが、これに見切りをつけて、日本を飛び出して海外で職場を見つけようと考えている若者も少なくないはずだ。
その志は大いに結構であるが、どうか軽はずみにならず、慎重に計画を進めてほしい。
というのも、周りを見渡して見ると、せっかく計画を立てたのに、杜撰で不十分な立案のせいで、現地へ赴いたものの、初期の目的を果たすことがかなわず、中途挫折で撃沈して帰国を余儀なくされる人たちがあまりにも多いからだ。
長い期間と多額の予算をかけて臨む計画だけに、こうしたことだけは絶対に避けなければならない。そのためには計画策定はできるだけ時間をかけて慎重に行わないといけない。
それに対する対策のひとつとして、成功した経験者からのアドバイスを参考にすることをお勧めする
海外就職を目指す人の特徴としてありがちなのが学習面の準備における不備ではないだろうか。
学習面とは海外就職で必要になる知識の習得を言うが、問題なのは、学習がとかく英会話習得だけに集中し他のことへ気が回っていないことである。
他のことで代表的なのが読む力である。読む力というのは英語の読解力のことで海外の職場で出てくるビジネス文書への対応力(理解力)のことをいう。
現地職場の社内文書などに対する理解力(読解力)を高めておく
海外の職場では日本に比べて会議やミーティングは少なく、連絡事項はinteroffice corresponndenceと呼ばれる社内文書で流されることが多いようだ。
もちろん現地語によるものであるが、たとえ英語圏でなくても国際語である英語で表記される場合が多い。
したがって少なくとも実際の英語による社内文書には目を通して理解力を確かめておくことが大切である。実際には以下のような書類がある。
・NYのホテルから照会に対する返事の手紙
海外で就職を目指しているなら就職希望先などに対して事前に照会活動などで何らかアクションを起こすことが必要だが、その手段としては手紙そ使うのが多いと思われるが、そのために必要なのが英語によるコミュニケーションの能力である。
下は筆者が渡米前にNYのホテル(照会先)から受け取った文書だが、最低限、この程度の文書に対する知識をつけておくことが必要。
・ヒルトン社内業務連連絡文書
海外の職場では日本と比べて会議やミーティングが少なく、その代わりに伝達手段として使われるのが社内文書(inter office correspondence)である。
・ヒルトンの社員就業規則
・勤務シフト表
・ヒルトンの給与明細
・身分証明書(職場のIDカード)
・SSNカード
ソーシャルセキュリティカード(SSNカード)とは、アメリカで個人に割り当てられる9桁の社会保障番号(SSN)が記載されたカードです。日本におけるマイナンバーのようなものです
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《コラム》私とNYのホテル 50年前の小さな日米関係
紳士的だったニューヨークのホテルマネージャー
50年前といえば忘れもしないあの世紀の大イベントExpo ’70 大阪万博があった頃だ。その万博が終わった年に私はニューヨーク渡航を計画していたのだ。
その頃の私は大阪のシティホテルでフロントスタッフとして働いており、12年間の間に市内3つのホテルを転籍して3つ目の職場ではアシスタントマネージャーの地位を得ていた。
だが、ホテルマンとして更にステータスを上げるためにはもっと勉強が必要だと感じ、ホテル先進国の米国行きを決意したのだ。
そのために訓練生として雇ってくれる職場探しを始め、その目的で私が送った手紙に返信されてきたのが2通の手紙なのである。
見知らぬ東洋人のぶしつけな手紙に親切に応答してくれたNYの名門ホテル
それにしても当時のアメリカのホテルのマネジャーは思いやりがあふれてとても親切だった。
というのも、見ず知らずの東洋の一ホテルマンからいきなり送られてきたリクエストの書状に対して好意あふれる丁寧な返信を送ってくれたからだ。
場合によっては「紹介者もなしに、失礼にもほどがある!」と、無視されてノーアンサーという結果に終わったかもしれないのだ。
でも、これは後で気づいたことなのだが、手紙を送った時節的タイミングが非常に良かったのかもしれない。
それは当時のニューヨークは日本人観光客ラッシュで、名だたるホテルはどこも連日日本人団体客であふれたいたのだ。
そこで必要になるのが言葉の心配のない日本人スタッフだ。二のニーズにぴったり当てはまったのが私が送った求職打診の手紙だったのだ。
Mr.Parkerから始まったNYのホテル4か所の面接連鎖
4名のマネージャーはみな親切だった
いずれにしても、私はその手紙を持参して意気揚々とニューヨークへ向かったのだ。そしてまず訪ねたのがホテルバークレイのミスターパーカーであった。
彼は手紙に書いていた通りのことを、さも申し訳なさそうに言って、代わりにいい人を紹介してあげる、と連絡してくれたのがホテルアメリカーナのセールスマネジャー、ギルフォイル氏であった。
ホテルアメリカーナはパーカー氏のバークレイに比べると歴史や伝統はそれほど感じられないが、いかにも近代的でしゃれた感じの高層の建物であった。
で、ここで働けるのかと喜んでいたら、ギルフォイル氏はさらに次のホテルを推薦してくれたのだ。
私のところよりもっと日本人客が多いところの方が良いのでは、という理由で紹介してくれたのがニューヨークヒルトンなのである。
そこまでことが進んで、私は最終的にNYの職場は有名なヒルトンホテルになったか、とすっかり満足してしていた。
もっとも、配属されたのはさらに日本人客が多い系列のスタットラーヒルトンというホテルであった。
そこで出会ったのが直属上司となるフロントマネージャーのスレイター氏であった。
かくして
バークレイ⇒アメリカーナ⇒ニューヨークヒルトン⇒スタットラーヒルトン
と経由して、やっと4つ目でNYでの勤務先のテルが決まったわけだ。
それにしてもニューヨークのホテルのマネージャーは4人ともみんな親切な人ばかりだった。
(Hotel BarclayとHotel Taft 写真)
手紙をくれたHotelBarcley,とHotelTaft(現ミケランジェロ)は今も健在
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