(Part 5)
応募作品ががすべて1回で予選通過が果たせたのは
これは決して自慢ではないのですが、私の小説新人賞応募に関しては、胸を張って人に話せる自信があります。
というのも、人生で初めて応募した1回目から連続3回予選通過を果たすことができたからです。
しかも3回の応募とも、《小説新人賞ビッグ3》ともいえる、日本を代表するメジャーな新人賞ばかりを通過できたからです。
それも一次予選通過率が10%と、競争率の厳しいものばかりですから余計に誇らしいのです。
はっきり言って、こうしたメジャーな新人賞応募において、異なる賞に連続3回の予選通過は稀にしかないことではないかと思います。
たとえ新人賞の応募歴の多い人でも、なかなか達成できないような稀なケースだけに、余計に誇れることではないかと自負しているのです。
でもなぜこうした好結果を得ることができたのでしょうか。その原因を探ってみると、次のようなことが言えると思います。
・小説執筆の機が熟していた
これは別の章でも書いたことですが、私が最初に小説執筆を目指したのは20歳代半ばのことです。
本好きな者の通例で、いつか自分も小説を書いてみたいと思っていたのですが、それを実行に移したのがその頃だったのです。
しかし、その道はすこぶる厳しく、何度挑戦しても、途中で筆を折るばかりで、小説を完成させることはできませんでした。
それで結果的に、小説を書くには知識も経験も不足していることに気づき、一時中断して、機が熟すのを待とうと、しばらくブランクを置くことにしたのです。
とはいえ、そのブランクは極めて長く、気がつくと50歳代が目の前に迫っていたのです。
そして50代に入ってすぐ、再び小説執筆にかかわったのですが、大量の本で得た知識と色々な人生経験を経てきて機が熟していたのか、今回は執筆がすこぶるスムーズに運びました。
この間約2年ぐらいで、220枚の中編小説1本、100枚前後の短編小説8本を書き終えることができたのです。小説新人賞に応募したのは、これらの中の3本の小説なのです
・気力が充実していた
スムースに運べたのは機が熟していたからだけではありません。理由として同時にあげたいのは《気力が充実していた》ことです。
そのころ私はフランチャイズ英語塾を経営していましたが事業は思いのほかうまく運んで、心配事が少なく、何事に対しても気分よくできた頃でした。
それ故に気力が充実していたのです。それに比較的時間的余裕も出てきて、小説執筆ための時間が十分とれたのです。
こうした背景が小説新人賞応募に吉と出たのではないかと思っています。
・応募戦略が功を奏した
《機が熟していた》ことと《気力が充実していた》ことが小説執筆がうまくいったことの理由ですが、でもそれだけでは3回連続で小説新人賞予選を通過することができません。
それが達成できたのは上の二つの理由にプラスして、丹念に応募戦略を練ったことも大きな要因です。
その戦略で最も大事にしたのは、落選対策です。つまり予選で落選して執筆のモチベーションが下がったときのことを考えたのです。
予選で落ちれば気落ちして次作の執筆意欲が失われるかもしれないと予想し、新人賞応募の結果発表前に3回目までの応募作品を完成させていたのです。
《まとめ》(1)エンタメ小説の鉄則は、おもしろくて読み応えがあること
いまさら言うまでもなくエンタメ小説のエンタメは、エンターテイメント(entertainmennt)のことです。
エンターテイメントの目的は人を楽しませることにあります。したがってエンターテイメント小説は、何が何でも人(読み手)を楽しませなければいけません。
つまりおもしろさだ人をひきつけ読みごたえのあるものでないといけないのですいけないのです。
(2)確率10の1 小説新人賞の厳しい予選を突破するために
〈押さえておくべきこと〉
・応募作品点数
・予選通過数
・審査員(作家)の顔ぶれ
・応募作品はどのように審査されるのか
(3)3編の応募作品 人には言えないエピソード
実は今だから言えることなのですが、運よく3作品とも1回目の応募で厳しいと言われているメジャーな小説新人賞予選を突破できたのですが,いま抱くのは、よくもあんな原稿の状態で予選を通過できたものだ]という思いなのです。
よくもあんな原稿の状態というのは、応募原稿の誤字脱字の多さのことです。
その脱字の数はというと、並外れて数で、1編400文字原稿用紙100枚の中で、なんと50か所((3編平均)に及んでいたのです。
これは2枚に一か所は必ず誤字脱字があったことになり、度を超えた数なのです。にもかかわらず審査員はこれを見逃してくれたのです。
これでわかったのは、「作品の質が良ければ、多少のミスは見逃してくれる」と言うことです。
以前、このブログに「小説新人賞応募者に是非とも伝えたいこと伝えたいこと」という記事を載せましたが、その中で誤字脱字はそれほど気にしなくてもいい、と書きましたが、それは私自身にこうした体験があったからなのです。
予選通過作品発表号
(第3回目応募作品)*オール読物新人賞(文藝春秋)・1700点強の応募作品の中から
一次予選通過。応募作品タイトル「ナイトボーイの愉楽」400字原稿用紙100枚
(作品冒頭2000字)
ナイトボーイの愉楽 いつもなら道夫は梅田のガード下でバスを降りて、そこから職場のある中島まで歩いて行く。でもその夜は阪神百貨店の前で南へ向かう路面電車に乗ることにした。 始業まであと十二~三分しかなく、歩いてではとうてい間に合わないと思ったからだ。
商都大阪にもその頃ではまだトロリーバスとかチンチン電車が走っており、今と比べて高層ビルもうんと少なく、街にはまだいくばくかの、のどけさが残っていた。 これは道夫がちょうど二十になった時の昭和三十七年頃の話である。
電車は時々ギイギイと車輪をきしませながら夜の街を随分ゆっくりと走っているようであったが、それでも五分足らずで大江橋の停留所へ着いており、歩くより三倍位は速かった。
電車を降りて、暗いオフィス街を少し北に戻って最初の角を右に曲がると二つ目のビルに地下ガレージ用の通路があって、それを通るとNホテルの社員通用口には近道だ。
始業まであと三分しかない。ロッカールームで制服に着替える時間を考えると、どのみち間に合わないとは思ったものの、この際たとえ一分でもと、そのガレージの斜面を小走りに下って行った。そのせいか、タイムカードに打たれて時間は九時五十九分であやうくセーフ。
でも地下二階のロッカールームで制服に着替えて職場のある一階ロビーまで上がって来た時は、十時を七分も過ぎていて、ちょうど昼間のボーイとの引継ぎを終え、まるで高校野球の試合開始前の挨拶よろしく、向かい合った二組のボーイ達が背を丸めて挨拶している時だった。
まずいなこりゃあ 引継ぎにも間に合わなくて。今月はこれで三度目か。リーダーの森下さん怒るだろうな。 道夫はそう思ってびくびくしながら森下が向かったフロアの隅にあるクロークの方へ急いだ。
森下はクロークの棚に向かって、その日預かったままになっている荷物をチェックしていた。 「浜田です。すみません、また遅刻して」 道夫は森下の背後からおそるおそる切り出した」
「浜田か。おまえ今日で何度目か分かっているのだろうな」 「はい。確か三度目だと思いますが」 「そうか。じゃあこれもわかっているだろうな。約束どおり明朝から一週間の新聞くばり」 「ええ、でも一週間もですか? そりゃあちょっと」 「この場になってつべこべ言わないの。約束なのだから」
道夫はつい一週間前も二日連続で遅刻して、罰として三日間、朝の新聞くばりをさせられたばかりだ。そしてもし今月もう一回遅刻したら翌朝から一週間それをやらせると、この森下に言われていたのだ。
あーあ、また一週間新聞くばりか。 想像するだけで気持ちがめいり、そう呟くと森下の背後でおおきなため息をついた。
夜の十時から朝の八時まで勤務するナイトボーイ達にとって、早朝のこの新聞くばりほどキツイ職務はない。オフシーズンで客室がすいている時ならまだしも、今のような四月の半ばだと、三百室ほどあるこのホテルの客室は毎日ほとんどが詰まっている。
その客室のすべてに新聞を配って歩くのだ。森下リーダーを除く八名のボーイが毎日二名づつ当番で当たっており、普通だと三~四日に一回の割でまわってくる。
まだ半月しかたっていないというのに、遅刻の罰の分も含めて道夫は今月もう六回も当たっていたのだ。それをさらに明朝から一週間もやらねばならないのだ。 でも仕方ないか。それを承知で遅刻したのだから。そう思いながら立ち去ろうとした時、森下が言った。 「浜田、まあそんなにくさるな。もしお前が明日からしばらく遅刻しなければ最後の二日ぐらいはまけてやってもいいから」 「えっ本当ですか。しませんよ絶対に。じゃ五日間でいいのですね」 少しだけ気持ちが軽くなった思いで、さっきより明るい声で答えた。
「まあそれでいいけど。ただしお前が明日から連続五日間一分たりとも遅刻せず出勤した時に限ってだよ。いいね。 おいそれより仕事、仕事、ほらチェックインのベルが鳴っているじゃないか」
森下のその声に促されて、振り返ってロビー手前のフロントカウンターの方を見ると、フロント係の上村さんがボーイを呼ぶベルをせわしげに押していた。 「あれっ、誰もいないのだな。行かなくちゃ」 いつもならチェックイン担当として、ロビーには四~五人のボーイが待機しているのに、この時はみな出はらっていて、道夫以外は誰もロビーにいなかった。 「森下さん、じゃあ僕行きます。どうもすみませんでした」
森下に向かってピョコンと頭を下げた道夫は、フロントカウンターの方へと小走りに進んでいった。カウンターの前で待っていたのは新婚らしい若いカップルとビジネスマン風の中年白人の外国人男性だった。上村さんは先客カップルの方のルームキーを道夫に渡した。
「お待たせしました。お部屋の方へご案内いたします」 そう言ってそのカップルに向かって深々とお辞儀をした後、両手に荷物を持ちエレベーターへと向かっていった。 背後に二人を従えて歩きながら思った。 しめしめ、最初のチェックインの客が新婚カップルとは、今日はついているぞ。この二人だとチップも千円は下ることはないだろう。 頭の中に過去のデータを思い浮かべながら、そんな皮算用してほくそ笑んだ。
こうした都市ホテルの客の中で、日本人の新婚カップルほで気前のいい人種はない。旅慣れたビジネスマンだと五百円までがいいとこのチェックインのチップだが、新婚客だと、部屋に荷物を持って案内するだけのこの簡単な仕事に、千円や二千円はざらに奮発してくれるのだ。それどころか、先月などは三千円というのが三回もあった。
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このシリーズ今後の掲載予定
12月5日 シリーズ(Part1~Part5)全16000文字 一挙掲載
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