adobe stock
13
進次が気がついたのは外が白み始めた次の朝の六時前だった。和子が皮をむいてくれたミカンがとても美味しくて、続けて三つも食べ、それから二人で横になってどちらからともなく抱き合って、唇が痛くなるほど長い間キスをして、セーター越しに伝わる和子の柔らかな乳房の感触に思い切り下半身に血をたぎらせたた進次だったが、やっとの思いで我慢して、それ以上は何もしなかった。
男として願ってもないチャンスを逃したと言えば言えなくもなかったが、ここで彼女を興奮させたりすると、せっかく治まった悪酔いが、またぶり返すのではと心配したからで、必死の思いで襲いくる衝動を抑えたのだ。
覚えていたのはそこまでで、二人ともいつの間にか寝てしまっていたのだ。
窓から入る光はまだ弱々しく、表情こそよく見えなかったが、すぐ隣で寝ている和子の心地良さそうな寝息の音だけが微かに聞こえていた。
―六時か、どうしよう、このままそっと帰ろうか。こんなに早く起こすのもかわいそうだし―
そう思って、進次が起き上がろうと身体を動かしたとき、足が当たったのかコタツが音を立てて揺れ、そのせいでか和子が寝返りを打ったが、さいわい目は覚まさなかった。
昨夜和子が言ってたように、隣の部屋からほんの微かだが、ラジオの音が聞こえていた。
―のりちゃんて言ったな、隣の友達。あの後帰ってきたんだ―
つい今しがた、このまま帰ろうかと思った進次だが、ふと鍵のことに気がついて、女性の部屋を開けっ放しにするのはまずいだろう、と思い、やはり和子が起きるまで待っていることにした。
でもそんなことを考えていたのもつかの間で、いつの間にかまた寝てしまい、次に目を開けたのは和子に肩を揺すられたときだった。
耳元で、「進次さん。進次さん」という声が聞こえ、顔に甘い香りの息がふわっとかかるのを感じて、パッと目を開くと、すぐ上に和子の顔があった。
昨夜とは打って変わったすっきりとした爽やかな顔色で、もう随分前から起きていた様子で、口紅さえつけていた。
「あれっ、ぼくさっき起きていたはずなのに、どうしたんだろう。起こされたりして」
「いま七時少し過ぎたところよ進次さん。学校が始まるまで時間はまだ充分あるわ。起きてコーヒー飲まない?」隣の部屋への気遣いからか、少し声を殺しながら和子が笑顔で言った。
進次はすぐ「うん」と返事はしたものの、なぜだかさっき目覚めたとき以上に頭がぼんやりしていて、今の状況がはっきり分からなかった。
少したって、ようやく昨夜からのことについて記憶が戻ってきたとき、「できたわ。進次さん」と言って、和子がコタツのテーブルの上にハムエッグと野菜サラダとロールパンを運んできた。
それまで気がつかなかったが、和子は花柄のプリント模様のエプロン姿で、昨夜とは打って変わったいでたちであった。朝早くから起きて、口紅つけて、エプロンして、こうして朝食まで作ってくれている。そんな和子が進次にはとても健気に思えた。
起き上がった進次を見て、和子はコーヒーをカップに注いで、「はいどうぞ」とすぐ前に置いた。
学校へ行く前に喫茶店のモーニングサービス以外は、まともな朝食など、このところずっととったことのない進次にとって、これはまさに感激ものであった。
時計を見て、時間はまだ充分ある、と確認すると、ハムエッグとサラダはもちろん、ロールパン三個も平らげてしまい、おまけにコーヒーのお変わりをして、三十分くらいたった八時近くになって、やっと立ち上がって帰り支度にとりかかった。
昨夜和子の悪酔いがあったため、こうして彼女の下宿までやってくることができて、思いがけず一晩一緒に過ごすことができたうえ、おまけにこんなに美味しい朝食までごちそうになった。、ほんの少しだけ、心残りのことがあったとはいえ、進次にとってはまさにばら色とも言ってもいいようなすばらしい一日であったのだ。
木戸の内側で手を振って和子と別れ、外へ出ると、このところ見せたことがなかったほどの、すこぶる力強い足とりで、進次は駅のほうへ向かってスタスタと歩いて行った。
つづく
次回10月15日(木)