2026年10月1日木曜日

T.Ohhira エンタメワールド〈7〉進次と和子の青春グラフィティ(12)

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          12

 電車に乗る前になって、念のためにと、売店で新聞を買ってポケットにねじ込み、二人は三宮行き急行電車に乗り込んだ。

 進次は素早くいちばん隅の席を確保し和子を座らせると、自分もすぐ横にぴたりと座った。


「大丈夫だよ。新聞紙たくさん持ってきたから。もし吐きたくなったら大きく広げて隠してあげるから」

 買ってきた二種類の新聞紙をポケットから出しながら進次が言った。

 「ありがとう、進次さん」和子はそう言うと、進次の肩に頭を持たせかけて目を閉じた。 


苦しそうな息は先ほどよりはかなり治まっているようであったが、まだ時おり大きく息を吐いていた。


 電車が発車して中間地点くらいに差し掛かったとき、「次の西宮でいったん降りようか」と、進次は念のため聞いてみた。

 「大丈夫だわ。あと十分もかからないし」


 和子は進次の肩に頭を乗せたまま薄目を開けて答えた。さいわい車内で吐き気をもよおすこともなく、それから間もなく電車は芦屋川の駅に着いた。


「わたしの下宿はここから五分ぐらいのところよ。とても静かなところなの」

 ホームへ降りてそういったときの和子の声は幾分元気を取り戻していた。

 「おぶってあげようか」改札を出たとき、進次が冗談ともつかぬ調子で言ったのを聞き、和子はクスッと声を出して笑った。

それを聞いた進次は、もう大丈夫とは思ったものの、せっかくここまで来たのだし、すぐに帰るとは言えなかった。

夜道だし、和子が下宿に入るのをちゃんと見届けたいし、それに彼女だって、「ここでいいわ」などとは言わなかった。せっかくのことだし下宿の様子だってちょっと見ておきたい。


 進次にとっては芦屋は来たことのない町だった。神戸方面に向かうとき電車では何度も通過したことはあるが、降りて町へ入るのは初めてだった。


「芦屋ってお金持ちが多くて、豪邸ばかりなんだってねえ」 

辺りの周囲をうっそうとした木々に囲まれた広々とした邸宅を目にしながら進次は言った。

 「そうなのよ。私のとこの大家さんの家も大きいわよ。私の居るところは離れだけど、玄関の前には大きな庭もあって」 


「ふーん、離れなの。だと入口はどうなっているの?」

 「裏の木戸から入るの。だから大家さんには会うことはないわ」

 それを聞いて進次は大いに安心した。誰にも会わず和子の部屋へ行けるのだと。


 駅から和子の下宿まで、犬を散歩させている1人の老婦人に会っただけで、あとは人っ子1人通っていなかった。

流石は超高級住宅街、この時間までほっつき歩く若者など少しも居ないのだ。


 下宿の前までやって来たとき和子が「部屋に入るまで声を出さないでね」と、古びた木戸の錠前の鍵穴にキーを差し込みながらそっと耳打ちした

事情はよく分からなかったが、進次は頷いて和子の後からなるべく足音を立てないようにしてついていった。


 正面左手に木製の囲いのついたベランダが二つあり、そのすぐ右手にドアがあって、和子が手馴れた様子でそれをあけ、進次を振り返って手招きした。


 「よかったわ。隣のベランダの窓。電気ついていないでしょう。のりちゃんどこかに行ってるみたい」

 「のりちゃんって?」

「一緒の学校のお友達。隣の部屋に居るの?」


 これまでいろいろ聞いたつもりだったが、進次にとってこのことは初耳だった。


 部屋へ入って電気をつけ、その後和子は壁際に立って聞き耳を立てるようなしぐさをしていた。

「大丈夫。やっぱりのりちゃんは留守みたい。居たらこの時間だと必ずラジオをつけているからわかるの。こうすれば微かに聞こえるんだから」

 「寝ててもつけてるの?」

 「そう。朝までずっと。つけてないと寝れないんだって」


そんなことを話した後、和子は真剣なまなざしを進次に向けて言った。 

「ねえねえ進次さん、それはそうと寒かったでしょう。わたしのためにこんなところまで来させてしまって。ごめんなさいね。コタツへ入って休んで」 


人の名前を呼ぶ前に「ねえねえ」と言うのが彼女のクセなのか、今夜だけでももう何度聞いたかな、と進次は思った。


「悪酔いのほうはもう大丈夫?」 

「大丈夫、大丈夫。もう普段と一緒だわ。でも進次さんが送ってくれて嬉しかったわ。1人で帰るなんて心細くて」

 

そう言いながら和子はコートを脱ぐと、先にコタツに入っている進次のすぐ横に入ってきた。

 「進次さん、ミカンたべるでしょう?」  

 そういうと和子は前に置いてあったミカンのカゴに手を伸ばすと一つ掴んでゆっくり皮をむき始めていた。


つづく

次回10月8日(木)