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その日和子は、午後最後の色彩学の授業を終え、帰りにいつも寄るスーパーで夕食のための買物をして、四時過ぎにはもう下宿に戻っていた。通っている服飾専門学校は下宿から自転車で七~八分くらいのところにあり、距離としては小さい頃通っていた小学校や中学校などと大差はなかった。
でも近すぎることは和子には不満だった。できたら、例え一駅でもいいから電車に乗って通学してみたかった。沿線には多くの女子大があって、朝、駅へ向かって颯爽と歩いている女子大生の姿を目にするときなどは、「あーあ、私も試験に通っていたらなあ」と呟いて、溜息ついたりすることも時にはあった。
だがそんなときには、すぐ後で、「仕方ないか、わたし勉強あまり好きじゃなかったのだし」と考えて、くよくよしたりはしなかった。ただ今の専門学校は高校時代に比べて宿題などもうんと少なく、ましてや受験勉強があるわけでなく、時間的にはすごく余裕があって、時としては時間を持て余し気味に感じることさえあるので、そのことを少し厄介に思っていた。
だったら、せめて夕方の二~三時間でもアルバイトに当てたら、と考え、これまでそのことを何度か母親に話したのだが、「二十歳過ぎるまで仕事はダメ」と反対され、これまでアルバイトは一度も経験したことがなかった。
和子の実家は白壁の町並みで有名な隣の県の倉敷市の玉島という町にあり、おじいさんの代からカマボコ工場を営んでおり、金持ちとは言えないまでも、まず裕福なうちに入っていて、和子に対する毎月の仕送りにしても、他の多くの友人たちに比べると随分余裕をもった金額だった。
でも和子は決して浪費家ではなく、それどころかむしろつつましく暮らしていると言ったほうがよく、余ったお金はすべて貯金に回しているため、去年の四月以来九ヶ月余りで、銀行の通帳にはもう六十万円以上貯まっていた。
毎日自転車で学校と下宿を往復するだけで、月一度か二度、隣部屋の紀子と神戸の三宮へ出て、ちょっと遊ぶ程度で、下宿代を除き、食費と少しの雑費以外にお金を使うことはほとんどなかった。
では洋服代はといえば、少なくとも二ヶ月に一度は自宅に帰っているので、その際母親と一緒に倉敷のデパートへ出向き、気に入ったものがあれば、すべて母親が買ってくれたのだ。だからたまには自分自身でパアッとお金を使って見たい気もして、進次とデートした時だって、「わたしにも払わせてください」と申し出たかったのだが、その場でも母親の口癖である「男の人は立てるものよ」と言うセリフが脳裏を掠め、つい気後れして言い出せなかったのだ。
―でもこの次のデートでは、なんとしても私が払おう― 進次との二度目のデートの後、和子はそんなことを考えていた。
それにしてもおかしいわ。二回続けて一夜を共にしたのに、なんにもなかったなんて。年頃の男と女でこんなことってあるのかしら。
進次さんが二十一でわたしが十九、悪い言葉で言えば盛りのついた年齢なのに。初めての夜は神戸のホテル。進次さんが「なにもしないから」って言い、わたしが「ほんとになにもしない?」って聞き返して、その結果泊ることにしたのだけど、ほんとう言えば、わたし微かに期待してたんだ。
ああ言ったのは一種の照れ隠しで、お互いに何もなくすむとは思っていなかったはずだわ。
でも進次さん、ホテルを出るとき一度キスをしただけで、後は何もしなかった。あれだと港での長いキスはいったい何だったのだろう。
それに私の下宿に来たときには、コタツの中で抱きしめられたときも、もう悪酔いはすっかりさめていて、キスしながら心地よさで天にも昇るような気がして、さあこれからだわ、と思って、次の展開を凄く期待してたのに
進次さんたら胸で私の乳房を強く圧迫しただけで、「悪酔いがぶり返したらダメだから」と言って、それ以上は何もせず、二人ともいつの間にか寝てしまっていたのだわ。
よく分からないけど、あんなことってあるのかしら。ひょっとして私に魅力がないからなのだろうか。
いや、そんなはずないわ。バストだって九十近くあるんだし。
つづく
次回10月22日(木)