2010年12月19日日曜日

12月の夜は明るい・日本各地で「光の祭典」大盛況・年の瀬トピックス(3)


神戸ルミナリエ

仙台「光のページェント」

日本の12月の夜はいったいどうしてこんなに明るくなってしまったのだろう。

このところ「地球温暖化防止」のために盛んに叫ばれ続けてている「省エネ運動」にまるで逆行するように、

大量のエネルギーを消費する「光の無駄遣い」とも思えるこうした「光の祭典」と称するショーがなぜ全国いたるところで開催されなけれはいけないのだろうか。

そもそもこうした「光の祭典」の発端はいったい何であったのであろうか。

考えられるところでは、12月は「クリスマスシーズン」でそれを彩るための最大の「デコレーション」である「クリスマスツリー」に次第に派手な電飾を施したものが多くなってきた。

それに年末商戦のための商店の飾り付けも派手になり、商店街などもいろいろ工夫を凝らした「電気による装飾」を取り付けるようになってきた。

そうしたアイデアが次第に発展していき街そのものを電飾で彩る発想が出てきた。

まあこうしたことが第一の理由だと思うが、それに輪をかけたのが震災の後で開催されるようになった神戸の「ルミナリエ」である。

震災で「意気消沈した市民を励ます」目的で開催された大規模な光の祭典だが、外国の技術を取り入れたせいか、これまでの日本には例を見ないような見事な「光の芸術」であったのだ。

これには市民に限らず多くの人々が目を見張ったものだ。

これが現在の日本各地で「ワンサワンサ」と繰り広げられている光の祭典の大きな「火付け役」になったのは間違いない。

規模の大小に関わらずいまこうした「光の祭典」を催している都市は実に全国で数十ヶ所にも及んでいるそうである。

代表的なものといえば、神戸ルミナリエを除いては、仙台の「光のページェント」 東京丸の内の「光の祭典」 大阪中島の「光の祭典」などがあるようだ。

まさに「猿まね日本」ここにありという感すらする。

本来の意味でクリスマスを祝う欧米の国々でのこうした伝統は古くからあるようだが、そうでない日本でのこうしたフィーバー振りはやや場違いの感はしないだろうか。

それはそうとして、この無駄とも思える電気の大量消費につながる「光の祭典」は、昨今の「地球温暖化防止」のための「省エネ運動」がようやく定着し始めた矢先のことでもあり、そうしたことにまるで水を差しているような行為であり、このところ「省エネグッズ」まで紹介してその運動を推進している「関係官庁」はいったいどう考えているのだろうか。

普通だとこうした異常とも思えるブームを少しは牽制するような動きに出てもいいと思われるのだが。

何はともあれ神戸の「ルミナリエ」のようなそれなりの意味をもった「光の祭典」はいいとしても、単に見世物として観光客を呼び込むだけの目的のこうした「ショー」はいいかげんにご免こうむりたいものだ。

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