マンハッタン西97丁目 第3章「夜のセントメモリアル病院」(その4)
その日は珍しく正午を少し回ってからチャーリーの店へ行った。
外は曇っていて寒かった。歩道の雪はかき集められている所と積もったままの所が半々だった。
それでもさすがにチャーリーの店のある大通りともなると軒並みにきれいにかき集められていた。ところどころに大きな雪の山ができており、その中の一つにはてっぺんに雪かきに使った柄の長いスコップが無造作に突っ込んである。
昼時だというのにチャーリーの店は空いていた。
「雪のせいでいつも来る年寄り連中が今日は来ないんだよ」
チャーリーは仏頂面で修一にぼやいた。そう言えばいつも座席の半分ぐらいを占領している彼らの姿が見えなかった。
「お互いに年をとっても足腰が衰えないように今から鍛えておきたいね」と、修一はチャーリーに言った。大きくうなづきながら「まったくその通りだよ」と応えた彼は続けて「この頃Youの英語はずいぶんうまくなったな」と、お世辞を言った。
日本からこのニューヨークへ来てすでに五0日弱、チャーリーの言うように来た頃に比べると、このところの修一の英語も格段に進歩していた。でもまだ微妙なニュアンスの説明を要する事柄だとかユーモアを含んだ話題とかでは戸惑うことも多く、自分自身としては内心まだまだであると思っていた。でもチャーリーに褒められてちょっぴり自信がわいてきた。
チャーリーの店へは職場に向かう身支度を整えてきていたので店を出た修一はそのまま地下鉄乗場へと向かって行った。でもまだエールトンへ行くのではなかった。
チャーリーの店で食事をしていて、なぜか急に日本の新聞が読みたくなり、食事が終わったらこの足で日本クラブまで行き、そこで新聞を読もう、と思ったのだ。
時計はまだ一時を少し回ったばかりで四時からの仕事までに時間はじゅうぶんあった。
日本クラブへ着いたのはそれから三十分後の午後二時前であった。
その日本クラブというのは、日本人の民間団体によって設立されたもので、ニューヨーク在住の日本人が親睦のための各種の行事を開いたりする場所なのである。
四階建ての建物の一階部分はいつも自由に開放されており、日本から送られてきた日刊紙数紙のほか、月遅れではあったが、月刊誌や週刊誌が数々取り揃えてあり、誰でも自由に閲覧できるのである。
この日の閲覧室にはすでの先客が五~六名あり、それらの人のほとんどが新聞を読んでいたためにラックには僅か一紙だけしか残っていなかった。
人に取られないようにと、修一は慌ててそれを掴み、空いたソファに座るや否や、目をカッと開いて貪るように紙面の活字を追っていった。
約五十日ぶりに目にした日本の新聞である。
修一は英語上達のため、アメリカ滞在中はなるべく日本語に接することを避けようと考えていた。そのため日本からは何の本も持参しなかった。
来る前は一年ぐらい日本語を読まなくたってどういうこともないだろうと思っていたのだが、その予想は見事に外れて、そのときの修一は完全に日本語の活字に飢えていた。
およそ、食べ物に飢えるとか、女性に飢えるとか、そういうことはまあ一般的であり、よくありがちなことで想像もつき易いが、こと活字に飢えるということに関しては過去にも経験がなかったし、それがいったいどういう状態であるのか想像もつかなかった。でも修一はそのとき実際にそれを体験したのだ。
そのときの修一には記事を選んで読むなどという余裕はまったくなく、その新聞に書かれているすべての記事に興味が沸いた。
日本に居るときのように面白そうな記事だけ拾い読みするということはまったくないのである。一ページずつ丹念に隅から隅まですべての記事に目を通した。
二時間あまりがアッという間に過ぎて行き、一息入れて時計を見たときはすでに三時を回っていた。それでもまだ一紙たりとも完全には読み終えておらず、できることならこのままずっと新聞を読み続けていたい、と思ったが、仕事へ行く時間が迫ってきたため、仕方なくそれをラックへ戻した。
そして次の休みの日には朝から来て続きを読もう、と考えながら外へ出て地下鉄乗場へ急いだ。
その日は昼間でもさして気温は上がらず、積もった雪はまだほとんど溶けていなかった。
(つづく)次回 7月19日(土)
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