マンハッタン西97丁目 第3章「夜のセントメモリアル病院」(その8)
下宿に帰ったときには、久しぶりに口にした日本酒のせいか、少し酔っているのを感じた。そのせいか、リビングに座って雑誌のグラビアを見ていたバーマに向かってなんのはずみでか「バーマ、今日の君はとてもセクシーだよ」などとあらぬことを口走っていた。
それを聞いた彼女は、赤ら顔をしてそんなことを言う修一のことををまともに相手にせず、「あらあらサミー、どうしたっていうの今夜は?そんなに酔っちゃったりして、速くベッドへ行って休んだ方がいいわ」と笑いながら軽くいなすのであった。
それを聞いた彼女は、赤ら顔をしてそんなことを言う修一のことををまともに相手にせず、「あらあらサミー、どうしたっていうの今夜は?そんなに酔っちゃったりして、速くベッドへ行って休んだ方がいいわ」と笑いながら軽くいなすのであった。
でも彼女が言うようにそんなに酔っているのか、とバスルームに入って鏡を覗いてみた。いつもと違う赤い顔が目の前にあった。
バーマとは話がしたかったのだけど、酔っていると言われたし、また妙なことを口走ってこれ以上彼女に軽蔑されたくない。ひとまず酔いを醒まそう。そう思ってリビングには向かわず自分の部屋へ戻った。
九時を少し回っただけでまだ眠るには早すぎる。コートだけ脱ぐとドカッとソファに腰を下ろしてしばらくはボサッと窓の方を眺めていた。
疲れと酔いが入り混じった心地よいけだるさの中で、いつのまにか修一はウトウトしてしまっていた。
肘掛からガクッと右手がはずれ、ハッと気がついたとき時計はすでに十一時を過ぎていた。静寂の中で微かにシャワーの流れる音がしていた。
「バーマがシャワーを浴びている」まだ幾分すっきりしない意識の中で修一はそう確信した。そしてなぜか反射的にサッと腰が上がり足は自然とドアの方に向かっていた。それからクロゼットの横の、バスルームから一番近い位置にあたるところの硬くて冷たい壁に耳をくっつけた。
シャーシャーという音は心なしか先ほどより大きく聞こえた。
修一は壁の向こうのバーマの豊満な裸体を想像した。はち切れんばかりの豊かな両の胸、急角度にくびれたしなやかな腰、そして後方に大きく盛り上がった丸いヒップ、それらのものは次第に想像を超えて、あたかも目の前で見ているようにくっきりと瞼に浮かんできた。
そして数日前、彼女の部屋でベッドの上の下着を掴んだときの手のひらの感触を思い出しながら、汗ばんだ両の手のひらをグッと握りしめた。修一はクロゼットを前の方に動かした。そして今度はそれがあった位置の壁に耳を写した。たぶんそこのほうがシャワーに近くなるはずだ、と思ったからだ。
するとさっきより幾分音は大きくなった。
シャーシャーとお湯が流れる音の合間に時折バシャバシャという音も聞こえてくる。バーマは髪を洗っているのであろうか? 修一はバーマの本物の裸体が見たくてたまらなくなった。ふと、この壁に穴を開ければバスルームは見えるだろうか?というとんでもない考えが頭を掠めた。
壁に穴は開かないだろうか? 机のところまで歩いて、引き出しを開けて道具を探した。使えそうなものといえば先の尖ったハサミぐらいである。
それを摘み再び壁のところへ戻った。
そしてさっき耳を当てた部分にハサミの先を強く押し付けて左右にグルグル回した。壁はあんのじょう硬く、はさみの先が折れるかと思った。
それでもグルグル回しているうちに、表面から二センチぐらいなんとかは入った。
だがそれからが駄目だった。ハサミの先がガチッと鳴り、恐ろしく硬いものにぶつかった。おそらくそこからがコンクリートになっているのだろう。それから先はいくら回しても少しも中へ入らなかった。表面の壁が少しだがバラバラと音を立てて床に落ちたとき、エセルに気付かれたらまずい、と思いそこで手を止めた。
そして、この道具ではとうてい駄目だ、と思い、それを抜いてクロゼットを元の位置に戻した。ちょうどそのときバスルームのドアがバタンと閉まる音がした。
バーマがバスルームを出てしまったのだ。
そう思い、落胆して椅子に腰を下ろしたときの修一はもうすっかり酔いも醒めていた。
それから椅子の背で大きく背を伸ばしながら「あーあ、この自分はいったいなんという馬鹿なことをしているのだろう」と呟いて、つい今しがたの行動がすごく滑稽に思えてきて、なんとも絞まりのない照れ笑いを壁に向かって投げかけていた。
そして冴えない表情で「仕方ない。この上はバーマの入った後のバスルームで彼女の体臭の余韻でも嗅ぎ取ろう」などと、またしても情けないことを考えながら、修一はゆっくり椅子から立ち上がった。
(つづく)次回 7月27日(日)
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