マンハッタン西97丁目 第3章「夜のセントメモリアル病院」(その1)
次の週から修一の勤務は再び午後四時出勤の遅出のシフトに戻った。
その前の二週間の早出勤務の期間は修一にいろいろな収穫を与えてくれた。
まずエールトンのフロントオフィスの昼間の業務の流れを覚えたこと。山崎のアパートでのパーティに出席してこちらでの日本人の知己を増やしたこと。
それになによりも嬉しいのは、二日とあけずバーマと顔を合わせて話してせいか、このところすっかり二人の仲が打ち解けてきたことである。初めの頃はリビングルームでしか話さなかった彼女だったが、近頃では自分から修一の部屋へやってきて長いときは一時間以上もあれこれと喋っていくようになっていた。
バーマはいつも朝九時に家を出る。彼女の通う商業美術の学校はアップタウンのコロンビア大学の近くにあり、同じ地下鉄でも修一の職場とは逆方向であった。
三時過ぎに学校での授業を終え、帰りは地下鉄には乗らずいつも歩いて帰ってくる。百十六丁目からこの下宿までは普通に歩けば優に三0分以上はかかる。
今は少し寒いけど、健康によくてしかもお金の節約になる、と彼女はこの方法をすごく気に入っている様子であった。でも、これから雪が降ってそれが凍結でもしたら歩くのに大変だろうと、そんなバーマのことを修一は気遣っていた。
最初の二~三日こそ外で食事をしていた彼女は、来てから一週間もしないうちにはもう自炊に切り替えていた。
そこはやはり女性である。エセルから修一の前の日本人下宿人がビールを冷やすだけに使っていたというまだどこも悪くない冷蔵庫を借りて、それに買い込んだ食料を詰め込んで、エセルの使った後のキチンで食事を作っていた。バーマの生活はいつも規則正しくかつシンプルなものであった。
多分、自分がまだ奨学金を貰っている学生であるということをはっきりわきまえていたのであろう。もちろん夜遊びなどもすることはなく、その生活態度はすこぶるまじめで堅実なものであった。下宿に居る時の彼女は修一と話しているとき以外は、いつも画用紙に向かってポスターのイラスト作成に取り組んでいた。
そうしたときの彼女はなぜか部屋のドアを半開きにしていることが多く、修一が入り口のドアの方へ向かうとき、机の前でやや前かがみになった彼女の後姿が目に入ることがよくあった。そんな彼女を目にしたときの修一は、そっとそこへ入っていき、彼女を後ろからグッと抱きしめたい、という強い衝動に駆られていた。
クリスマスが間もない十二月の半ばともなるとエールトンホテルの宿泊客も日を追って減ってきた。この季節はどこのホテルでもそうだが、ビジネス客を主体とするエールトンでは特に落ち込みが激しい。
その日も遅出の勤務についた修一は予約客リストを見ながら、今日も暇だと思った。ザッと目を通してもピーク時の三割ぐらいしかリストは埋まっていなかったのだ。 この日のチーフクラーク・フレディが始業前のミーティングで六人のルームクラークを前にして「今日は暇だから通常二0分のコーヒーブレイクを倍の四0分にする」と言ったので皆歓声をあげて喜んだ。
修一を除き、この日遅出勤務に就いていた残り五名のクラークは、皆それぞれ昼間学校に通っていたり、もうひとつ別の仕事を持っていたりして、ここエールトンの仕事一本やりではなかった。
それゆえに彼らは概して身体が疲れており、休み時間が長いことは大歓迎なのである。でも別に身体も疲れておらず、この頃になって仕事に面白みを感じ始めていた修一にとってはそんなことはどうでもよかった。
そうは思っても、せっかく部下に気を遣ってくれているフレディの手前、皆と一緒に嬉しそうな顔をせざるを得なかった。
(つづく)次回 7月12日(土)
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