マンハッタン西97丁目 第2章「予期せぬ下宿人」(その7)
その翌日、渡瀬は仕事が終わるや否や写真屋へと急いだ。店には昨日のおじさんとは別の人がいたのでホッとした。引換券とお金を渡して待望の写真を受け取った彼は、足速に近くの公園のほうへと歩いていった。そこのベンチにでも座って写真を見るつもりだったのだ。
袋から手荒く写真の束を取り出した彼は、上のほうにある風景写真などはどうでもいいと、どんどんめくっていき、例の五~六枚の写真が出てくるのを待った。
ところがである。上の十二~三枚の風景写真をめくり終えたところで写真は途切れ、出てきたのは彼の左の手の平だった。
「そんな馬鹿な!」思わず渡瀬は周囲の人が驚いて振り向くほどの大声で叫んだ。そしてすぐ今度は現像されたフィルムを見た。両手でそれを上のほうへかざして覗いて見ると、なんと一から五までのナンバーが打たれた部分は何も写っておらず真っ白になっているだけではないか。例の写真は写っていなかったのだ。何がなんだか分からなくなった彼は、しばらくベンチにへたれ込んで考えていた。そして少したってハタと気がついた。写すときキャップを取り外していなかったのだ!
あの夜ことのほか慌てて動転していた彼は、カメラは取り出したものの、写す前にキャップを外すのを忘れていたのだ。
「いかに僕のカメラが高性能を誇っていても、これでは写りっこありませんよ。まったくまの抜けた締まらない話で」
そう結んだ渡瀬の薇にいり細にいった話を聞いた皆は大いに沸いた。
最後に渡瀬がもう一言「恥ずかしい思いをしながら写真屋に現像を頼んだのが馬鹿みたいでしたよ」とつけ加えるので、そこでまた皆が大笑いした。
彼のこの面白い話につられてか、今度はその日のホスト、山崎が話し出した。
「滅多にそんなことはしないのですけど」と、やけにこの言葉を強調して、次のような体験談を語り始めた。
山崎がニューヨークへ来て半年ぐらい経った頃の話である。
「その頃の僕にはまだ何でも見てやろうという好奇心がすごく旺盛だったんですよ。それである夜、何事も経験とばかり、タイムズスクエアーの近くでストリートガールを拾い一夜を共にしたんですよ」
またしても女の話だと、みな興味津々という顔つきで話に聞き入っていた。
「その女はフランス人とスペイン人の混血だと言ってましたから、本当だとすれば、ランクで言えば「中の上」といったところで値段もそこそこでした。
僕はその女に連れられ場末のホテルに入りました。そしてまず驚いたのは、部屋に入るなり下着一枚だけになったその女は、隅にある囲みのない洗面台にお尻をのせて、片手で蛇口から水をすくってあの部分を洗っているんですよ。ニコニコしながら少しも悪びれた様子もなくその動作を続けている彼女のその姿を見て、僕は 『ハハーン、誰かと一戦交えた後だな』と思いましたが、不思議とその行為に対して嫌な気はしませんでした。
それから僕はやるべきことを無事終えてソファでタバコを吸ってたんです。 すると大変な早業で服を着終えた女が、『わたしにも一本ちょうだい』と言って近づいてきて、今度は僕の名前と国籍を聞くんですよ。
『ジャパンのヤマサキだよ』と僕が教えてやると、その女は突然『Youはイマイという日本人を知っているだろう』と断定的な口調で聞くんです。
『イマイって誰?そんな人僕は知らないよ』と答えると、女は『そんなはずはない。わたし先週そのイマイという男とここへ来たのよ。そのとき彼は日本人だと言っていたわ。だからYouも日本人だしその人を知ってるはずよ』と、こうなんですよ。
正直言ってこの言い草には僕も驚きました。あまりにもバカバカしいのでまともに応える気がしなかったくらいです。だってそうでしょう。このニューヨークだけでも三万人以上の日本人が住んでいるというのに、どうして彼女の先週の相手であるイマイという男を僕が知っているんですか。この女の頭は確かなんだろうか? 僕はそんなふうに思ってそのことを順序だてて説明してやる気にもなれず『知らなくてすまない』と適当に返事しておきましたよ」
山崎はここまで一気にしゃべった。修一はこの話を聞き終えて「ふーん、これまなかなか含蓄のある話ではないか」と思った。
来てから三時間ほど過ぎていただろうか。その日のバーティもそろそろおひらきになろうかと言う頃になって、この日の出席者の中でいちばん若い帝京銀行の栗田がこんな話をした。それは彼が二週間の休暇をとり、シカゴ方面へヒッチハイクの旅をしたときの話である。
旅に出て五日目のその日も栗田はいつものように太いマジックインキで行き先を書いた画用紙を両手で掲げ、走って来る車のほうへ向かって立っていた。
いつもならたいてい立ち始めて三十分以内に何らかの車が止まって、彼をピップアップしてくれるのに、この日に限って一時間以上待っても車は一台も止まってくれない。
次の町まではまだ二~三十キロはあるというのにそろそろ日暮れが近づいていた。その辺りに人家と思しきものはまったく無く、暗くなったらまず無理だから、もし日暮れまでに車が止まらなかったら、今夜はその辺で野宿するしかない、と考えながら、栗田はふとちょっとしたアイデアを思いついた。
そしてリックサックから新しい大きな紙とマジックペンを取り出すと、その紙に英語で「SONY」「PANASONIC」「TOYOTA」「HONDA」と有名日本メーカーのブランド名ばかり大きく書き、一番下にJAPANと入れた。
書き終えると彼はその紙を両手一杯に広げて、さっきよりさらに高く掲げた。
するとどうだろう。それからものの五分も立たないうちに、栗田の前には大型のフォードガピタリと止まった、と言うのだ。
修一はこの話を聞いたとき、ふと九七丁目のカフェの主人チャーリーに最初に会ったとき、中国人に間違えられたことを思い出していた。つまりこの話は、ヒッチハイクにおいても日本人だと相手にはっきり認識させなければ、中国人とか韓国人を含めた単なるアジア人として捉えられて、相手にインパクトを与えられず、それだけ車を止めてくれる確率も低くなると言うのだ。
ところがいまや飛ぶ鳥を落とす勢いでアメリカ市場に進出している日本商品の名前を目の当たりにすると、日本という国、あるいは日本人というものが急にクローズアップされてくる。車がすぐに止まったのは、そんな心理的なインパクトを相手に与えたからであろうと、栗田は若いのに似合わず、まるで評論家のようなことを言って話を結んだ。
若干二五歳にして金融のメッカニューヨークに派遣されるような銀行マンの言うことはさすがにたいしたものだ。と修一はいたく感心した。
(つづく)次回 7月6日(日)
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