2014年7月23日水曜日

T.Ohhira エンターテイメントワールド(第25回) ・ 小説 「マンハッタン西97丁目」 第3章・夜のセントメモリアル病院(その7)



マンハッタン西97丁目 第3章「夜のセントメモリアル病院」(その7) 

 日本クラブを出ると、修一は五番街のほうへ向かった歩いていた。

 前々から機会があれば一度訪ねてみよう、と思っていた森川がマネージャーをしている日本レストラン「杉」へ行ってみることにしたのだ。

 はっきり言って、午前中の日本クラブで聞いた「寿司」とか「天ぷら」とかの和食の名前はすごく刺激的であり、突然行く気になったのも、完全にそれに触発されてのことだった。ニューヨークに来て、それまでに日本レストランへは三度行ったことがあった。

 そのいずれもがブロードウェイの百十四丁目にある「サト」という店である。この店はさすがに「黒人居住地区ハーレム」にもそれほど遠くないアップタウンにあるだけに、お世辞にも高級とは言えず、日本で言えばさしずめ大衆食堂とでも呼ばれるような、まったく飾り気のない実質本位の店であった。

 それだけに値段も安く、ちょっと場所のいい他の店だと十ドル近くする修一の好きな「天どん」が、この店だ五ドル五十セントですむのである。そこでは過去三回すべてその「天どん」を注文したが、上に乗せたエビの天ぷらがびっくりするくらい大きく、味も日本で食べる物と比べて遜色ないと、行く度に修一は大満足であった。

 あえて難を言えば、日本だとドンブリの蓋の上に載せられて付いてくるあの「たくあん」が無いことだろうか。

 そのことを店主に聞いてみると「こちらではあの臭いがどうもねえ、だからと言ってピクルスでは様にならないし」と、少し恐縮した表情で言っていた。
 
 日本レストラン「杉」は五番街に面した瀟洒なビルの一階にあった。

 入口には明朝の漢字で店の名を書いた大きな赤い提灯が二つ吊り下げられており、オフィスビルの多い周りのシンプルで冷たい風景の中でそれはひときわ暖かな東洋ムードを醸し出していた。中へ入るとき、突然やってきて森川に悪いかな、と一瞬思ったが、客としてきたのだからそれはないだろう、と思い直して応対に出てきたウェイトレスに連絡を頼んだ。

 中へ入ると中央に円形の寿司カウンターがあり、その周辺をゆったりとしたスペースのテーブル席が囲んでいる。床には鮮やかな色の分厚いじゅうたんが敷いてあり、その上の何ヶ所かには、まるで平安絵巻を思わせるようなあでやかな図柄の屏風が立ててあった。

 内部を一見した修一は、この店はかなりの高級店である、と思い、次にきっと料理の値段も高いだろうな、と思った。

 いつも行く百十四丁目の「サト」には悪いが、同じ日本レストランでもまさに天と地の開きである。
 奥の方から森川が急ぎ足でやってきた。

 長身をビシッとした黒のスーツで包み、髪の毛はきっちり七三に分け、りりしさの中にもにこやかな表情を作って修一のほうへ近づいてきた。その姿はいかにもこの高級な店のマネージャーにふさわしく見えた。

 彼は大きな声で「大野さん、ようこそ」と言いながら満面に笑みを浮かべて右手を差し出した。修一は「この前はどうも」と言い、会釈しながらその手を握った。

 山崎のアパートで会った五人の中で、なぜかこの森川には特別な親近感を感じていた。

 なぜだろう? その理由について考えてみたのだが、彼の明るい人柄もさることながら、レストランのマネージャーという仕事が同じサービス業としてのホテルマンという修一の仕事の似通った点が多く、そうした職業上の類似点が親近感を持たせるのではないか、と以前から思っていた。

 「大野さん、今日は良い魚がたくさん入っていますから」と、森川は修一を寿司カウンターの方へ誘った。修一に依存はなかった。日本を離れて二ヶ月、この間寿司は一度も口にしていなかった。

 百十四丁目の「サト」には刺身はあっても寿司はなかったのだ。カウンターの中にはハッピ姿で、キリリとねじり鉢巻をした板前さんが四人いた。彼らはカウンターの丸い円の中で、きっちり四等分した位置に一人づつ立っていた。五時を少し回っただけで、夕食にはやや早く、客はまだまばらであった。

 「大野さん、今はまだこういう状態ですが、もう一時間もするとこの六0もあるカウンター席が満員になるのですよ。その客も七割は白人で、日本人を含めて東洋人のお客は二~三割です」 七割が白人客であると聞いて、やはり今の日本食ブームは本物であり、しかも相当強く根を下ろしてきているのだ、と修一は思った。

 一緒にカウンター席に座った森川は、「何でも好きなものをどんどん注文してください」と言った。そして「大野さん、こういう条件はどうですか?今日のお寿司は全部ぼくのおごりにして、いつかこの次の大野さんのホテルエールトンのレストランでフランス料理をごちそうになる。いかがですか、このアイデアは?

 修一はこの男の考えはスマートだと思った。本当は交換条件など出さずに「今日はすべて僕のおごりだ」と言いたかった似違いない。でもそれでは修一のプライドを損ねる。そう思ったうえでのとっさの判断であり、フランス料理は単なる口実であろう。修一にはそんなふうに思えた。

 「ではお言葉に甘えて」修一がそう言うと、森川はなぜか以前にも増して喜んだ。
 そして板前に指示して、トロだとかウニだとかの値段の高そうなものばかりを握らせて出させた。
 森川から指示を受けたときの板前の態度はすごくうやうやしかった。ハキハキとした素直な返事はいかにも上司を立てているというふうであり、そんなところにもなんとなくこの店での彼の力が伺えた。

 目の前で寿司を握っている板前は去年京都から来たのだと言った。来る前にどこで調べたのか、この店宛に長い文面の手紙をつけた履歴書送ってきたのだという。その手紙には「今は京都のすし屋で働いているが、ニューヨークに行って修行し、将来はそちらで自分の店を持ちたい。経験はまだ三年しかないけれど熱意だけは誰にも負けないつもりなのでぜひそちらで雇ってほしい」そういう内容の手紙だったという。
 
 森川はこれまでにたくさんの日本人を雇ってきたが、それらの多くはみな現地採用で、来る前にこうしてわざわざ日本から手紙を出してきた者は他にいなかった。

 手紙の文面にはしっかりとした目的意識と人間としての信頼性がにじみ出ていた。

 そのとき別段人に困っていたわけではなかったのだが、森川は採用する旨の手紙を送ったのだという。その半年後に彼は喜び勇んでやってきたのだ。

 年齢は二四歳。高校を出てしばらくは家業の織物屋を手伝っていたが、どうも性に合わず、二十歳で板前修業に入ったのだそうだ。できたら三十までに小さくてもいいからここニューヨークで店を持ちたいのだ、と彼は力強く修一に語った。

 彼の髪の毛は食べ物商売に携わるのにふさわしく短くカットされており、キリリと巻いたねじり鉢巻が清潔感を盛り上げ、昼間日本クラブであった五人の長髪の若者に比べて格段の相違があるように見え、意識の差というのは大きいものだ、と修一に思わせた。

 次々と出された寿司と、久しぶりに口にした熱かんの日本酒とで修一がすっかりいい気持ちになった頃、森川が言ってたように、にわかに店は混みはじめてきた。ついさっきまで空いていた隣の席にも、いつの間に来たのか中年の上品な白人紳士が座っていた。

 カウンターをグルッと見渡して見てももう空いている席はボツボツとしかなかった。そうなるとマネージャーとしての森川もゆっくり座って要られなくなったのか、修一に「ちょっと失礼します。ゆっくりしていてくださいね」と言うと席を立って、反対側のカウンター席に陣取った常連らしいお客たちに挨拶して回っていた。

 それが一段落してまた横に戻ってきた森川に修一は言った。
 「森川さん、お店もだいぶ立て込んできたようだし、今日はこれでおいとまします。おいしいお寿司を本当にありがとうございました」。

 森川は少しびっくりした表情で「オヤッ大野さん、もう帰るのですか?もっとお話したいなあ。立て込んでいるのもここ一時間あまりだろうし、僕は時々立つかもしれませんが、ビールでも飲みながらもうしばらく居てくれませんか」。

 森川はそう言って修一を引きとめようとした。でも修一は突然やってきた手前、大野の仕事の邪魔になりたくなかった。

「僕もまだまだ森川さんとお話したいのですが、この続きは近々エールトンのレストランででも」

修一はそう言ってなおも名残惜しそうにする森川に丁寧に挨拶して店を出た。                                          
 外へ出て地下鉄の方へ向かって歩いていきながら、修一は「それにしてもあのトロはうまかった」と、いかにも満足そうな表情で独り言を呟いていた。

(つづく)次回  7月26日(土)


2014年5月 第1回~第2回
2014年6月 第3回~第15回 
2014年7月 第16回~


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

0 件のコメント: