T.Ohhira エンターテイメントワールド(第49回) ・ 小説 「マンハッタン西97丁目」第7章「草山さんの死」(その2)
マンハッタン西97丁目 第7章「草山さんの死」(その2)
手紙を読み終えた修一はがっくりと肩を落とした。そして「あーあ!」とニューヨークへ来てから初めてというほどの大きな溜息をついていた。
「バーマの奴め、いったい何たることだ。こんなに早く新しいボーイフレンドを作るなんて。ぼくと会うまでは何年も恋人なしで過ごしていたというのに。なんという変わり身の早さだろう。しかもその上でシャーシャーとこのぼくにカナダに来いとは、いったい人の気持ちをどう思っているんだ。まったくこれが嘆かずにいられるものか」修一は再び大きな溜息をつきながら呟いた。
「おいサミー、いったいどうしたというんだ。手紙を見ながら浮かぬ顔をして?」
キッチンのカウンター越しにチャーリーの屈託のない声が飛んできた。
「いや別になんでも」修一は慌てて手紙をジャケットの内ポケットに突っ込んだ。うっかり内容を話して、またこの前のジミーのように冷やかされるのはごめんだった。「ちょっと日本の友人に不幸があってね。親しくしていた人だけについ」
修一は適当にごまかしてそう言った。
「そうか、それは気の毒に。早く教会へでも行って祈ってやることだ」 「うんそうするよ」修一は内心を気づかれずによかったと、ホッとしながらチャーリーの店を出た。 歩道に幾重にも重なって落ちている黄色く染まったイチョウの葉を踏みしめながら、「あーあ、これでバーマとのこともすべて終わりか、結局通りすがりのワンサイドラブにすぎなかったのだ」と嘆いて、トボトボとアパートの方へ歩いて行った。そんな修一の肩先をかすめるように、また一枚のイチョウの葉がパサリと音をたてて路上に落ちた。
歩道のイチョウの木も葉がずいぶんまばらになり、秋もそろそろ終わりを告げ、ときおり肌を刺す冷たい風が吹き始めた頃、修一の日本への帰国の日はあと二週間後に迫っていた。
そんなある日、職場の修一のところへ突然ニューヨーク市警察から電話がかかってきた。「実は、草山という日本人について尋ねたいのだが、あなたはその人を知っていますね」低音のドスの利いた刑事らしい人の声が受話器の奥から響いた。草山と聞き、前からその身を案じていただけに、もしかして何か悪いことでも?と、一瞬不吉な予感が身をよぎった。
「ハイよく知っていますが、その草山氏がなにか?」
「実はIRTの百三十二丁目の地下鉄で日本人らしい男の飛び込み自殺があったんだ。その男の持ち物らしい手帳にあなたの名前とメモがあってね。ホテルエールトン大野修一、八百ドル、四月返済予定とね。あなた以外にも五~六名日本人の名前があったんだよ。それであなたともう一人の人に本人の確認を頼みたくて、こうして電話しているんですよ。至急一番街三十一丁目の死体安置所までご足労願えませんか」 修一は顔面からサッと血の気が引くのが分かった。「
草山さんが飛び込み自殺!本当ですか、それ。すぐ行きます。それであなたのお名前は?」 「フリードマンです。受付でそう言ってくれればすぐ分かります」
職場のチーフマックにことわり修一はユニフォームのまま外へ飛び出した。
玄関前で客待ちのタクシーに慌てて乗り込もうとしている修一を見て、横あいからドアマンのサントスが訛りのある英語で「サミー、ずいぶん慌てているようだけど、いったいどこへ行くんだ?」と尋ねた。修一はそれに「またあとで」とだけ応えると、バタンとドアを閉めた。
死体安置所へはわずか七~八分で着いた。受付で修一が」フリードマン刑事に会いたい」と言うか言わないうちに、若いポリスは「その階段を上がり、突き当りの右の部屋へ」と即座に応答した。
たぶん事前に状況を飲み込んでいたらしく、東洋人の修一が慌てて飛び込んできたとき、すでに用件を理解していたのに違いない、と修一は動転した頭の隅でチラッと思った。 ニューヨーク市警もなかなかスマートな対応ができるじゃないか。そんなふうに思って感心した。
フリードマン刑事は予想したより小柄な男だった。でも肩幅だけはガッチリとしており、たくましい腕を伸ばして修一に握手を求めた。
事故発生は、そのときから三時間ほど前の午後二時ごろだと言った。身元を示すものがなかなか見つからず、一時間ほど探してようやく期限の切れたクレジットカード数枚の入った財布と小さな手帳が線路腋に落ちていた千切れたジャケットのポケットから見つかったそうだ。
「最初はクレジットカードの会社へ身元を問い合わせようと思ったのだけど、なにぶん期限の切れたものばかりなので、そちらの方は時間がかかりそうだと思って、手帳に名前と職場が書いてあったキミの方へ先に連絡したわけなんだよ。すぐ来てくれてありがとう。早速地下の死体安置室へ同行頼むよ」
フリードマン刑事はそう言うと、エレベーターの方へ向かって歩き出した。修一も黙ってそれに続いた。
地下の死体安置室は思ったより明るかった。通路を挟んだ両側に大きな業務用冷蔵庫を思わせるような扉のたくさんついたステンレス製の安置庫がズラッと並んでいた。「轢死にしちゃあ意外にきれいな死体でね。たぶん仏さん、飛び込んだ瞬間に線路わきにはじき飛ばされたのだろうな。もっとも右足は膝から下が切断されていたけどな」そう言いながらフリードマンは鍵を開けローラーの付いた安置台のとっ手をグッと引っ張って手前に引き出した。
かぶせた布の顔の部分をはがすと、まぎれなくそこに真っ白な草山の死顔が現れた。「草山さん、どうしてこんな・・・」修一はかろうじてそれだけ口に出すと、あとはもう言葉にはならなかった。
「間違いないかね?」フリードマンが無表情で聞いた。「はい、間違いなく草山氏です」修一は動転した気持ちを抑えながら小さい声で応えた。
「かわいそうにな、この仏さん借金で相当苦しんでいたみたいだ。手帳にはキミの他に十五件近くの借入先が書いてあってね。その金額を合計すると三万ドルにもなるんだぜ。ついに首が回らなくなって、どうしようもなかったのだろう」
フリードマン刑事はそう言いながら安置台をまた中に押し込んだ。
心配していたあの草山さんと、まさかこんな形で対面しようとは、修一は夢にも思っていなかった。しかも想像するところ、自殺の原因は借金苦。修一はヨンカーズ競馬場で肩を落として歩いていた草山の姿を思い出していた。
草山さん、きっと最後まで競馬から足が洗えなかったのだ。三万ドルに近いというその借金も、きっとそのために違いない。七年前、日本を逃げ出すようにしてこのニューヨークへ渡ってきて、またここでも過去の失敗に懲りることなく同じことを繰り返していたとは、哀れだなあ、草山さんも。
修一はフリードマンの後について死体安置室を出ながら大きく溜息をついた。
二階の元の部屋へ戻って、差し出された死体身元確認書にサインした。
フリードマン刑事の「ありがとう。もう帰っていいよ」という声を聴いて外へ出たとき、晩秋の街にはすでに夕闇が迫っていた。
修一は、草山に対する憐憫の情で、たまらなく悲しい思いを胸にしながら、足どりも重く地下鉄の階段を下りて行った。
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