マンハッタン西97丁目 第6章 「ヨンカーズ競馬場」 (その5)
バーマの帰国の日は六月の最初の土曜日と決まった。
修一はその日まで切々たる哀感を胸に秘めながら、結局思ったことは何ひとつ言えなかった。その日はマンハッタンには珍しく、朝から濃い霧が立ち込めており、空はどんよりと曇っていた。灰色の雲と白い霧の中で、いつもなら天を突くようにそびえ立っている摩天楼も、この日はボヤッと霞んで見えるだけだった。
前の晩、空港まで送っていくと言う修一に、バーマは別れが悲しくなるからバスターミナルまででいい、と言った。
いよいよその朝が来て、彼女はエセルに長々と別れの挨拶をすると、修一を伴いコロンバス通りまで歩いて行き、そこでタクシーに乗った。走り出してしばらく二人は無言だった。
わずか数十分後に迫った別れが二人の気持ちをこの上なく重苦しくしていたのか、ポートオーソリティ・バスターミナルに着く二十分間の間に交わした言葉はわずか二言、三言でしかなかった。
昨夜バーマは「サミー、今度休暇をとってカナダのわたしの家へ遊びに来てね」と言った。それを聞いた修一は「ぼくもこのままキミと別れ別れになってしまうのはたまらないし、近いうちに是非そうするよ」と応えた。
切々たる胸の内を伝えるために修一はかろうじてそれだけのことを言っただけだった。
まだ少しも晴れることのない霧の中を、タクシーは普段より幾分スピードを落として走って行き、まもなく八番街の巨大なバスターミナルへ着いた。
ケネディ空港への直行バスは中ほどの十一番ゲートから出ていた。
二人はゲート前のベンチの腰を下ろすと黙ってじっと目と目を見つめあった。
そして別れのキスをと思ったが、修一は人目をはばかってそうすることができなかった。その代わりにそっと右手を出してバーマの手を握り「元気でねバーマ、近いうちに休暇を取って是非キミのところへ遊びに行くから」
「サミーも元気でね、着いたら手紙書くわ。カナダへはきっと来てね」
名残惜しそうにそういいながら、まもなくバーマはバスの方へ向かって歩いて行った。
座席から窓越しに修一を見ていたバーマの目は、この上なく憂いに満ちていて、今にも涙が落ちてくるかに見えた。
バスが発車したとき、修一はバーマに向かって大きく手を振った。そしてストリートを曲がってその姿が見えなくなっても、長い間ポカンとしてその場所へ立ち尽くしていた。
(第6章 おわり)
次回 9月17日(水)
2014年5月 第1回~第2回
2014年6月 第3回~第15回
2014年7月 第16回~27回
2014年8月 第28回~41回
2014年9月 第42回~