2014年9月10日水曜日

T.Ohhira エンターテイメントワールド(第45回) ・ 小説 「マンハッタン西97丁目」 第6章「ヨンカーズ競馬場 」(その3)



マンハッタン西97丁目 第6章 ヨンカーズ競馬場 (その3)


 第五レースが終わったところで二人は軽食でもとろう、と席を立ち通路の奥にあるホットドッグスタンドの前にやってきた。第五レースで修一の買った二ー六の複式馬券が的中した。

 フィリオンの騎乗した馬が二着に入り、三番人気の馬と絡めたこの馬券には十二ドル五十セントの配当がついた。修一はその馬券を三枚買っていたので、配当金はしめて三十七ドル五十セント、それから四レースと第五レースで負けた二十ドルを差し引くと十七ドル五十セントのプラスであった。逆に山崎はこの日まだ一レースしか当てておらず、三十ドルあまりのマイナスであった。

 「大野さん、初めてにしては上出来ですよ。ぼくが初めてのときなんか最初の四~五レースは一度もあたらなかったのですからね」 「これも山崎さんのアドバイスのおかげですよ。ホットドッグとコーヒー、ぼくがおごります」

 二人はホットドッグをほうばり、熱いコーヒーをすすりながら次のレースについて放していた。
 「オヤッ、あの人!}山崎が前方を通り過ぎる人を目で追いながら突然小さく叫んだ 「あの人って?」修一もすぐその方へ目をやった。

 「アッ、草山さんだ!」前方十メートルほどのところを腋に新聞を挟んで、ややうつむき加減に歩いているのは確かにあの草山さんだ。

 「大野さん、ぼく行って呼んできますよ」山崎がそういって彼の歩いている方へ行こうとしたので「山崎さんちょっと待って」と、修一は慌てて彼の肩を押さえた。
 「どうしてですか?大野さん。草山さんとは昔なじみなんでしょう?」

 「ええ、それはそうなんですけど、今はちょっとまずいんです。事情があって」

修一は八百ドル貸した日の彼のことを思い出していた。あれからもう四ヶ月以上経つというのに、草山からはその後何の連絡もないのだ。確か彼は、借りたお金は三ヶ月以内に返すと言ったはずである。その期限はもうとっくに過ぎている。

でもその約束も約束だが、あの日から一度も修一に連絡がないということが解せなかった。何度かこちらから連絡を取ってみようかとも思ったのだが、なにか貸したお金の催促のように思われてもと、あえてそれもしなかったのだ。でも三ヶ月を過ぎた頃、一度だけ彼の職場へ電話してみた。でもその日あいにく彼は仕事を休んでいたのだ。

はて、家の電話番号は?と、手帳を繰ってそれを見つけ、そこへも電話してみたが、十回ぐらいベルを鳴らしたが誰も応答に出なかった。その後も何度か職場へ電話してみようとは思ったのだが、いつも実行の段階になると躊躇した。

 まあいいか、そのうち連絡があるだろう、そう思っているうちに、またたく間に四ヶ月が過ぎたのである。

 「大野さんどうかしたのですか。 深刻な顔をして、さっきからいったい何を考えているのですか?」 草山の姿を見たとたんに黙り込んだ修一を見て、山崎が怪訝そうに尋ねた。「ああ、どうもごめんなさい。ちょっと草山さんのことでね。そう言えば山崎さんも彼を知ってたのですね」 

「ええ、知ってますとも。今はもういないそうでうが、彼の勤めていた日本レストランへはよく行っていたものですからね。それに大野さんがエールトンにいることを彼に教えたのはこのぼくですからね」
 「ああ、そうでしてね。ついうっかりしていました。でも山崎さん、いま確か彼はもうそこへいない、って言いましたね。それは?」

 「大野さん知らなかったのですか。彼は先月であのレストランを辞めたそうですよ」 「えっ、辞めたのですか。あの『将軍』って店を、でも急にどうしてですか?」

 「ぼくも先週あの店へ行って聞いたばかりなので、詳しいことは知りませんが、何かプライベートなことで問題があったのではないでしょうか。 それにしても大野さんはまだあの店へ入ってなかったのですか?」 

「ええ、そのうち一度とは思っていたのですが、つい行きそびれてしまって」  修一は草山が勤め先を辞めたと聞き、約束の返済期日をオーバーしている彼への貸付金のことが気になった。

 「山崎さん、それで彼は今度はどこへ勤めているのですか?」 「ええ、ぼくもそれを店の人に聞いたのですが、誰も知らないようでした。なにしろそれまで居た家も引き払っているそうですからね」家まで引き払っていると聴いて、修一の驚きは増した。そしてその思いは、草山に関する過去の記憶と次第にオーバーラップしていき、いま彼はのっぴきならない不遇の身であるのではないか、と思えたきた。
 
ついさっき、この競馬場で彼の姿を見たことで、修一には余計そう思えた。

 「大野さん、この話しはまたにして、そろそろスタンドへ戻りましょうか」山崎はコーヒーを飲み終え、時計を見ながら修一を促した。

 観覧席に戻った後も、修一にはまだ草山のことが気になっていて、次のレースの出走表を目にした時にも、気はそぞろで集中することができなかった。

 「山崎さん、今度の六レースはぼくバスしますよ」 「そうですか。まあ新人はあまり入れ込まないで、それぐらいがいいかも知れませんね。じゃあぼくだけ行ってきます」山崎は、さも何もなかったかのように、そう言うとそそくさと席を立ち馬券売り場の方へ歩いていった。

 さっき草山を追おうとした山崎を止めなければよかったのだろうか? でもあの時はまだ彼が勤め先を辞めたことは知らなかったのだし、それに、もし彼を捕まえたにしろ、不遇にある今、どうしてお金を返せと言えようか。

 やはりそっとしていてあげて、彼からの連絡を待つしかない。修一はそんなふうに自分の気持ちを整理しながら、ぼんやりとしてスタンドの下のほうを見つめていた。

(つづく)次回  9月13日(土)


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