2021年1月1日金曜日

いいかげんにヤメたらどうなのか「させていただく」という へりくだった物言い


《させていただく症候群を考える》

 5回シリーズ一挙掲載 (全8,222文字)


 

第1回(2020213日木曜日

「させていただく」が口癖になっている人は危うい

 ランチにはうどんを食べさせていただきました

☓ 散歩中に公園のベンチに座らせていただきました

☓ 仕事帰りに居酒屋に行かせていただきました


「させていただく」をよく使うのはどんな人たち?

テレビを見ていていやに思うのは出演者の言葉遣いに違和感を感じるときです。

出演者と言っても言葉の教育をよく受けているアナウンサーにはあまりないのですが、多いのはバラエティ番組の出演者です。

彼らがよく発する「~させていただく」という表現がとても嫌いなのです。

普通に能動態で「~します」と言えばいいのに、何かにつけて「させていただく」を使うのです。


「させていただく」が口癖になっている人とは

テレビのバラエティ番組の出演者には「させていただく」が口癖になっている人が少なくないようです。

そうした人たちの心の内を考えてみると、だいたい以下のように分類できるのではないでしょうか。

・自信のない人

物事に自信がない人は言葉にもそれが出てしまいます。物事に対してきっぱり「~します」と言い切る自信がないので、つい受身形の「させていただく」になってしまうのです。

こう言っておけば自分の意志だけでなく、他の力が働いて行動したようにも取れ、責任逃れができると思うのです。

こうした人が「させていただく」を使い続けると、いつまでたっても自信はつきません。

・人におもねる人

おもねる(阿る)とは、機嫌をとってその人の気に入るようにするへつらう追従(ついしょう)する、などのことをいいます。どれも良いこととは言えません。

「させていただく」という表現にはその姿が丸見えなのです。人に対してこうおもねっておけば、自分に良い結果を招く、と考えているのです。

こうした人の姿は傍で見る心ある第三者にはとても醜く映るものです。

・下心のある人

おもねるを別の言葉で言えば「下心」です。下心は言葉の裏にある「良からぬ考え」のことです。

「させていただく」という言葉にはこの下心が感じられて仕方がありません。

・国語力が弱い人

上でアナウンサーは「させていただく」を使わない、と書きました。言葉のプロであるアナウンサーは言葉についてよく教育を受けており、正しい言葉遣いを知っているからです。

とすれば「させていただく」をよく使う人は、言葉の教育が足りない国語力の弱い人と言えるかも知れません.


「させていただく」という言葉を蔓延させたのはいったい誰だ

これはもう言うまでもありません。「させていただく」という言葉を今のように広めたのは、バラエティ番組を主としたテレビ出演者です。

バラエティ番組は今や人々に飽きられてしまっていますが、正しい言葉遣いを取り戻す意味からも、早くなくなってくれればと願っています.

「させていただく」は芸能人の営業用の言葉?なのか

実はかねてより、「させていただく」はバラエティ番組など、テレビによく出演する芸能人の営業用の言葉だと思っています。

つまり「させていただきます」と言っておけば、角が立たず謙虚に聞こえ、営業に役立つと考えているのです。要は次々と仕事を貰いたいがために、こう言っているのです。

したがって正しい言葉遣いなどは考えもせず、ひたすら営業用トークの便利な言葉として使っているだけなのです。

アナウンサーは「させていただく」は使わない

同じテレビ出演者とはいえ、アナウンサーに限っては「させていただく」を使う人を見たことがありません。

さすが言語のプロだけあって正しい言葉遣いの教育をよく受けているからに違いありません。

バラエティ番組を筆頭に最近のテレビ番組には失望を感じることが多いのですが、そんな中にあってアナウンサーの正しい言葉遣いは唯一の慰めです。

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第2回2018622日金曜日

させていただく、という表現にうんざり

 


させていただく シンドロームが蔓延したのは何故なのか

この項のタイトルにあえてシンドローム(症候群)という言葉を使ったのは、何かにつけて「させていただく」という言葉を使う人は言語感覚が麻痺しており、一種の病的状態にあると言っても良いからです。

はっきり言って「させていただく」と言う言葉を耳にする度にうっとうしく感じうんざりした気分になります。

「させていただく」という表現ををいちばんよく使うのはテレビのバラエティー番組に出てくる芸能人です。

彼(彼女)らは、相手に対して何かにつけて「させていただく」という言葉を臆面もなく発しています。

たぶん、こう言っておけば当たり障りがない、と思っているに違いありません。

つまりこう言って相手を立てたつもりになっているのです。

これこそ芸能人特有のへりくだりの姿勢(根性)そのものです。

でも当人はこれをへりくだりとは考えず、謙虚な姿勢だと思っているのです。

つまり謙虚な姿勢=相手に好感を与える、と計算した上でのことなのです。

テレビでのこうした芸能人の姿を言語センスの乏しい視聴者がマネして、次第に巷に蔓延してきたのです。.

へりくだりと謙虚は同じではない 

させていただくという表現には少なからずのヘリ下り感があります。

この表現を使う人は相手より自分を下に置こうと思っているのです。

別の言い方をすると、こうすることによって相手に優越感を抱かそうと考えているのです。

そうするのは何らかの魂胆があってのことです。つまり、こうすることによって自分が何かで得をしようと企んでいるのです。要は下心があってのことなのです。

一方謙虚の方はどうでしょうか。こちらはあくまで礼儀にかなってのことです。

つまり相手の気持ちを害さないようにするため、出しゃばらないという態度を重視して、控えめな言葉づかいや態度をとるのです。

もちろんヘリ下りのような下心がないのは言う迄もありません。

国語力がある人は「させていただく」は使わない 

上で言語感覚の麻痺とか言語センスの乏しさという表現を使いましたが、これを言い換えると国語力に問題がある、とも言えます。

つまり、「させていただきます」という表現を使う人は、国語力が未熟で劣っているのです。

それを証明するように国語力が優れていると思われるテレビ局などのアナウンサーがこうした表現を使っていることはほとんどありません。

入社に際して厳しい国語力の試験をパスした人たちだからに違いありません。

「させていただく」を使う人は言葉づかいのセンスがない

人はセンスが良い、とか、センスがある、などの言葉をよく使います。

こうした言葉がよく使われるのは概して服装などの外観に対してのことが多いようです。つまり目に見えるものに対して使われるのです。

では見えないものに対したはセンスと言うことがば通用しないのかと言えば、決してそんなことはありません。

見えないもののひとつである言葉遣いにもセンスは立派に使えます。

つまり言葉のセンスが良いとか、反対に悪いとかと言う風に使うのです。

服装のセンスが良いというのは、服装の外観が自分と周囲によくフィットしていることです。

ではセンスの良い言葉がどうかと言えば、対象とのバランスがとれた使いかたです。

その対象が人であれば重要なのは敬語の使いかたです。これが上手に使える人がセンスが良く、そうでなければセンスが悪いのです。

そのセンスの悪さを表しているのが「させていただく」と言う表現です。

なぜこの表現がセンスが悪いかは、感覚の問題ですから言葉だけでは言い表せません。言葉の感覚を磨くために必要なのは学習です。

それに最も効果的なのはたゆまぬ読書ではないでしょうか。

国語教師は「させていただく」をどう教えているのか

いつも思うのですが、今のように「させていただく」と言う表現が蔓延してきたことに対して、世の国語教師はどう考えているのでしょうか。

人に正しい言葉づかいを教えることは国語教師の大きな役目です。いったい今の国語教師はその役目を果たしているのでしょうか。

いや、それ以前にいま巷に蔓延している「させていただく」現象に対して、「おかしい」と言う問題提起を投げかけているのでしょうか。

そしてそれを是正するための努力を払っているのでしょうか。

世の国語教師に真剣に考えていただきたい問題です。

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第3回(201217日土曜日

へりくだる日本人 ・ 「させていただく」という表現が大はやり



 自信の無さの表れなのか


最近の日本人はしきりに「・・・させていただく」とか「・・・やらせていただく」というような、妙にへりくだった表現をよく使うようになっている。

ケースバイケースではあるが、時にはどうも耳になじまず、違和感を感じることも少なくない。
そして次のような疑問が湧いてくるのである。

「こうしたケースで、なぜこれほどへりくだった言葉づかいで臨まなければならないのだろうか。
いったいこれは謙遜なのか、遠慮からなのか、それとも自信の無さの表れなのか」

というふうに、こうした表現に対して、"なぜなのだろうか"と、その理由を推しはかってみるのだが、確たる答えは見つからない。

ところで、こうした表現は日本語として文法的に正しいのだろうか、それとも間違っているのだろうか。

この問題にについては、ネットには実にさまざまな意見が載っているが、ここでその一つをご紹介することにしよう。

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1)『させていただきます』

・問題提起

私は最近、表題の言葉を聞くにせよ、文章を見るにせよ、無性に腹立たしく感じる事があります。そこで、この表現について私なりに検証をし、皆さんに問題提起したいと思います。

まず、よく目にする二つの例を紹介します。

(1)明日は定休日に付き、休業させていただきます。  (デパート)
(2)明日は、休刊日に付き朝刊を休ませていただきます。(新聞)

以上の表現については、(ア)敬語の表現として適切で問題なし。(イ)敬語の表現として問題あり(ウ)どちらともいえない(つまり、わからない)と、見解は3つに分かれるでしょう。小生は(イ)の見解から論じたいと思います。(ア)の立場に立つ人は、なぜ問題なのかわからないから、そう思うのでしょう。もうひとつ最近の例文を挙げます。

当社に求職してきた応募者が履歴書に添えた文章ですが、ご丁寧に、「履歴書を送付させていただきますのでよろしく・・・・」と書かれてありました。この場合「履歴書を送付致しますので・・・・」という「する」の謙譲語の方が適切でないかと思ったりします。皆さんはどう思いますか?

(2)『させていただきます』

敬語の表現との関係表題の表現は、相手を敬う、「敬語」な訳ですが、敬語の使い方によっては、相手に失礼な表現となることもあります。かつて、「今月末をもって退職させていただきます」と退職願を示した者がいましたがあきれて何も言えませんでした。

「敬語」については、学校できちんと学ぶ機会が少ないため、どうしても乱れがちになります。

敬語を使う時、相手が(ア)年上(目上)の人(イ)同等の人(ウ)年下(目下)の人、の3ケースによって、異なってきます。また、敬語は尊敬語、丁寧語、謙譲語の3種類に分かれています。

上の退職願のケースで云えば、年下の人が年上の人に謙譲語を使うのは失礼です。

敬語の表現法を学ぶため本屋へ行って本を探してみましたが、具体的な敬語の表現例について説明した本は見つかりませんでした。『敬語総論』といったタイトルの本があれば教えてほしいものです。

日本語の乱れが激しい、という声を聞くにつけ、残念でなりません。しかし、小生はそのプロセスでさまざまな問題を提起し続けたいと考えています。

(3)『させていただきます』

文法的理解
「させて」は「する」の使役形に接続助詞「て」を付加したもの。「いただきます」は、もちろん「ます」の謙譲形です。

この二つの動詞が結びついて、複合動詞となり特別の意味を持つ言葉を形成しています。

つまり、「する」「もらう」の動詞が原形で、「する」の使役形を用いて、「もらう」の謙譲表現「いただく」を結びつけ「相手がしてほしいと望むのでしからば、自分が進んでしあげよう」という意味になった。
しかし、この本来の表現が、いつの間にか、相手が望まなくても自分勝手にしてあげよう、という表現をとるに至ったのです。

(4)『させていただきます』


・その意味
この表現は「強い意志」を表すとされています。例えば、「私が行かせていただきます」といえば、「私が行きます」という強い意志を含んだ表現。さらに大きな声で強く言えば「どんなことがあっても、誰が反対しても私は行くんだぞ」という内容になります。

最初に示した例「今月末をもって退職させていただきます」は、「どんなに会社側が反対してもオレは退職するんだ」という、強い意思を表わした事になってしまう訳です。

書いた本人は、上品な表現を使ったつもりでしょうが。問題がもう一つ含まれていますというのは、この退職願を書いた本人には退職は、雇用者が願い出て、雇用者が許可する、という基本的な考えがなく、一方の宣言で雇用契約が終る、と誤解したことです。

この場合、正しい表現としては、「今月末をもって退職させていただきたく、よろしくお願いします」が正しいと考えます。年上の人が年下の人に対し、「・・・・させていただきます」が一般的な使い方であって、その逆はまれです。

大体において、年下の人が年上の人に対し、強い意思を表すケースは、限られています。年上の人に対し、強い意思を表すことは、時に「要求、強い要望」に変わります。従ってこの表現は、年上の人が年下の人に使うのが順当と考えるべきでしょう。

この場合、年上の人=権力をもつ人、年下=権力下にある人に置き換えることができます。

(5)『させていただきます』

 
実際の使用例
銀行企業、役所、どの世界でも、その長になった人は部下に対しても、謙譲の美徳であるこの表現を用います。
銀行の、取締役会(重役会)で、頭取が、「私が議長を務めさせていただきます」とか、「この案で実施させていただきます」と言ったりするのが好例です。
頭取は、平取に比べ、権力のある人であり、その平取に「・・・・させていただきます」と表現し、謙譲語を用いて話す。
これが、同じように部長会、課長会でも同じように使われていき、一般の行員は、男性でも、女性でも、以上の例に倣って間違った通例となってきました。

担当者が融資先であるお客に、「この案件は、融資させていただきます」と間違って言ったりする訳です。
本人は、丁寧語のつもりで表現したつもりでしょうが、聞いた人は、違和感を感じる。銀行の取り引きは本来平等の立場であり、上下関係、権力関係がないにもかかわらず、この表現は権力をもつ人、目上の人が、権力のもたない人、目下の人に対して用いるものだからです。

インターネット「敬語 『させていただきます』」より一部引用

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第4回(2012125日水曜日

何かにつけて「~させていただく」という へりくだった表現ばかり使っているあなたへ


"へりくだり症候群"?が日本中に蔓延


近頃何かのスポーツで優勝した選手などのインタビューの発言を聞いていると、そのことごとくの選手が、同じようなセリフで応えている。

その同じような応えとは、例えば「ファンの皆様の応援のおかげで優勝させていただきました」とか、あるいは、「まわりの皆様とかファンの力添えで勝たせていただきました」というふうにすべてが「~させていただく」語調であり、自分の力というものがまったく出てこないのである。

例えば「厳しい練習のおかげで優勝することができました」というふうに自分の力を前面に出して応えている選手は皆無なのである。


いったい日本人はどうしてこれほどへりくだって喋るようになったのであろうか。


ここまでくるともう謙虚とか、奥ゆかしいというより、何か自分に自信がないというか、人におもねてばかりいるというか、別の言い方をすればまるで「へりくだり症候群」とでもいう病気にでもかかってしまっているのではないかとさえ思えるのである。

これは何もスポーツ選手ばかりではない。芸能人しかり、政治家しかり、とにかく誰もが「~させていただく」というような、いわば受動態でばかりで応えていて、能動態で「~します」というふうに応えることがないのである。

これは聞いてておかしい、というより、それを通り越してばかばかしいというか、情けないというか、もうどうしようもないやりきれなささえ感じてくるのである。

皆さん、もういい加減に「~させていただく」というような表現はやめようではありませんか。

例外はあるにしても、普段の会話では普通に、「~します」「~しました」でいいのではないでしょうか。

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第5回 2013114日月曜日

自信がないからへりくだってばかりいるのだろうか? ・ 何かにつけて「させていただく」とばかり言うようになった日本人(その2)

 

このところ気になって仕方ないことが一つあります。それは最近の日本人の言葉づかいに関してです。

 

このテーマについては以前もこのブログで取り上げたことがありますから、今回で2度目です。

 

昨日もテレビのバラエティ番組で男性タレントが悪びれる様子もなく、ごく普通に使っている言葉がありました。

 

それは「拝見させていただきました」というセリフです。明らかにこの人は拝見の拝の意味が分かっていないのです。


「拝見」は「見る」の謙譲語ですから、すでにこれだけですでにへりくだった表現になっているのです。


したがって、さらに「させていただく」と言うと二重敬語にあたるのです。ですからこの場合は「拝見しました」が正しい表現なのです。

 

この例ように「~させていただく」というような表現は、今ではテレビなどで一日に何度も耳にしますが、そのたびに首を傾げてしまうのです。

 

要するにいま日本人の多くの人が基本的に言葉の使い方がおかしくて、日本語としての形をなしてなかったり、TPOをわきまえない表現を非常に多く使っているのです。

 

代表的なのが上の例でも挙げた次のような言葉遣いです

 

私たちは日常生活で、「何々します」とか「何々してもいいですか」という表現を使う場面がよくありますが、その際、ストレートにそう言えばすむことを、いつも謙譲語を使って「何々させていただきます」とか「何々させていただいてもいいですか」と言っているのです。

 

それもたまにこういった表現を使う人がいるのならいいのですが、最近ではことごとくといっていいほど、非常に多くの人がこういった表現をごく普通に使っているのです。

 

これの何がおかしいかと言えば、こうした言葉を発する人は、謙譲語や敬語を使うべきところと、そうでないところの区別がついていないと思えるからです。

 

こういう話し方を、会話のシーンを見ていない第3者が聞いたときは、おそらく当事者が話している相手は、目上の人かあるいはお客様のような大事な人だと思うに違いありません。

 

でも実際はそうではないのです。こうした言葉を使う当事者は、いつでも、誰に対してもこうしたへりくだった言葉使いで臨んでいるのです。

 

だからこそ、私たちはこうした表現をいつも、いたるところで耳にすることになるのです。

 

いったいこれはどういった現象なのでしょうか。誰もこうした表現をする人が多くなったことをおかしいと思わないからなのでしょうか。それとも、おかしいと思っても相手に注意する人がいないからなのでしょうか。

 

こういった表現をよく使うのはテレビのバラエティ番組に出演する芸能関係の人が多いように思うのですが、それが国語力のあまり強くない視聴者に次第に伝染したのでしょうか。

 

しかもバラエティ番組があまりにも多くて、ひっきりなしにこういった表現を耳にするため、最初におかしいと感じた視聴者も、そのうち麻痺してしまったのでしょうか。

 

よく分かりませんが、とにかく学校の国語の先生方には敬語や謙譲語の使い方をよく指導していただきたいものです。

 

 

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