書評「人生の救い」車谷長吉 朝日文庫
車谷長吉はわが町 姫路市出身の作家で、直木賞受賞の「赤目四十八瀧心中未遂」をはじめ、数々の名作を世に出しているが、惜しくも69歳で亡くなった。
慶応大学文学部卒という文学者としては申し分のない毛並みだが、若い頃から放浪癖のある破天荒な性格で、居場所や職業を転々としたせいで作品が世に認められるまでにはかなり月日を要した。
とは言え、認められた後は直木賞を筆頭に、芸術選奨文部大臣新人賞、三島由紀夫賞、平林たい子文学賞など数々の文学賞を受賞している。
そんな彼は一時朝日新聞土曜版の「人生相談」回答者を務めたが。その回答内容がユニークで評判になり、後に朝日文庫としてまとめられ「人生の救い」というタイトルで出版された。
ここではその本の中から、名回答ひとつをご紹介する。
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「人生の救い」車谷長吉 朝日文庫より
教え子の女生徒が恋しいんです (相談者)男性高校教師 40代
40代の高校教師。英語を教えて25年になります。自分で言うのも何ですが、学校内で評価され、それなりの管理的立場にもつき、生徒にも人気があります。妻と子供2人に恵まれ、まずまずの人生だと思っています。
でも、5年に1度ぐらい、自分でもコントロールできなくなるほど没入してしまう女子生徒が出現するんです。
今がそうなんです。相手は17歳の高校2年生で、授業中に自然に振る舞おうとすればするほど、その子の顔をちらちら見てしまいます。
その子には下心を見透かされているようでもあり、私を見る表情が色っぽくてびっくりしたりもします。
もちろん、自制心はあるし、家庭も大事なので、自分が何か具体的なな行動に出ることはないという自信はありますが、自宅でもその子のことばかり考え、落ち着きません。
数年前には当時好きだった生徒が、卒業後に他県で水商売をしているといううわさを聞き、ネットで店を探しましたが、結局店は見つかりませんでした。見つけていたら、きっと会いに行っていたでしょう。
教育者としてダメだと思いますが、情動を抑えきれません。どうしたらいいでしょうか。
(回答) 恐れずに、仕事も家庭も失ってみたら
私は学校を出ると、東京日本橋の広告代理店に勤めました。が、この会社は安月給だったので、どんなに切り詰めても、1日2食しか飯が喰えませんでした。
北海道・東北への出張を命じられると、旅費の半分は親から送ってもらえと言われました。仕方がないので、高利貸から金を借りて行っていました。生まれてはじめて貧乏を経験しました。2年半で辞めました。
次に勤めたのは総会屋の会社でした。金を大企業から脅し取るのです。高給でしたが、2年半で辞めました。30代の8年間は月給2万円で、料理場の下働きをしていました。この間に人の嫁はんに次々に誘われ、姦通事件を3遍起こし、人生とは何か、金とは何か、ということがよくよく分かりました。
人は普通、自分が人間に生まれたことを取り返しのつかない不幸だとは思うてません。しかし私は不幸なことだと考えています。あなたに場合、まだ人生が始まっていないのです。
世の多くの人は、自分の生はこの世に誕生したときに始まった、と考えていますが、実はそうではありません。生が破綻したときに、はじめて人生が始まるのです。従って破綻なく一生を終える人は、せっかく人間に生まれてきながら、人生の本当の味わいを知らずに終わってしまいます。気の毒なことです。
あなたは自分の生が破綻することを恐れていらっしゃるのです。破綻して、職業も名誉も家庭も失ったとき、はじめて人間とは何かと言うことが見えるのです。あなたは高校に教師だそうですが、好きになった女生徒と出来てしまえば、それでよいのです。そうすると、はじめて人間の生とは何かということが見え、この世の本当の姿が見えるのです。
せっかく人間に生まれてきながら、人間とは何かということを知らずに、生が終わってしまうのは実に味気ないことです。そういう人間が世の9割です。
私はいま作家としてこの世を生きていますが、人間とは何か、ということが少し分かり掛けたのは、31歳で無一物になったときです。
世の中はみな私のことを阿呆だとあざ笑いました。でも、阿呆ほど気の楽なことはなく、人間とは何か、ということもよく見えるようになりました。
阿呆になることが一番よいのです。あなたは小利口な人です。
出典・人生の救い 車谷長吉 朝日文庫
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出版社内容情報
新聞連載時より話題沸騰! 〝最後の文士〟にして〝私小説家の鬼〟たる著者が、投稿による身の上相談に答える。妻子ある教師の「教え子の女子高生が恋しい」、主婦の「義父母を看取るのが苦しい」……この問いに著者が突きつける凄絶苛烈な回答とは?
「人生の救い」内容説明
新聞連載時より話題沸騰!“最後の文士”にして“反時代的毒虫”たる著者が、老若男女からの投稿による身の上相談に答える。妻子ある教師の「教え子の女子高生が恋しい」、主婦の「義父母を看取るのが苦しい」…これら切実な問いに著者が突きつける回答とは。
目次
・運、不運で人生が決まるの?(大学4年生22歳)
・車谷先生でも夫婦仲がいいのに(会社員男性50代)
・教え子の女生徒が恋しいんです(男性高校教師40代)
・ケチで、みみっちい夫に幻滅(共稼ぎ主婦37歳)
・人の不幸を望んでしまいます(主婦46歳)
・義父母の同じ自慢話にうんざり(主婦30代)
・40年連れ添った妻の浮気で(無職男性66歳)
・憎しみを癒やしたいのです(主婦40代)
・健康な人に嫉妬してしまいます(女性30代)〔ほか〕
著者等紹介
車谷長吉[クルマタニチョウキツ]
1945年兵庫県生まれ。作家。慶応義塾大学文学部独文科卒業。広告代理店、総会屋下働き、下足番、料理人などを経て作家になる。93年『鹽壷の匙』で芸術選奨文部大臣新人賞、三島由紀夫賞、97年『漂流物』で平林たい子文学賞、98年『赤目四十八瀧心中未遂』で直木賞、2001年「武蔵丸」で川端康成文学賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
出典・紀伊國屋書店
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