お母さん、今日は今年最後の日12月31日大晦日です。
テレビなどでは各地で降った雪情報が次々に伝えられている寒い年末です。
貴女が亡くなってからはや五日目になります。
お葬式は12月29日に岡山市内の「典礼会館」で無事終了しました。
お母さんが生前から希望していたように、ほとんど「家族葬」に近い形の親族が中心にした落ち着いた雰囲気の葬儀でした。
親族は10月に行われた白寿の会に出席したメンバーが2〜3名を除いてほぼ全員が参加しました。
多くの孫たちも含めて、身内とは言えこれだけの人が集まってくれたのもひとえにお母さんの人徳の故だと思います。
喪主は柄にもなくこの僕が勤めたのですが、初めての経験でしたがお母さんが遠くから見守っていてくれていたのでしょうか、これという失敗もなく無事役目を果たすことが出来ました。
式が終わったその日はきょうだい皆が「優子さん」の家に一泊して翌日30日の朝方姫路へ戻ってきました。
その岡山から姫路への帰途においてのことですが、そのとき経験したとても不思議な出来事ことについて是非ともお母さんに報告しておきたいことがあります。
それは電車の車窓から見た景色についてのことです。
僕が乗ったのは午前9時9分発の相生行きの普通電車でした。
岡山を出たとき外は冷たい冬の雨が降っていました。
その雨は高島駅を過ぎた頃には白い雪に変わっていました。
僕としては今年始めてみる雪でした。
でも岡山で雨を見ていたせいか、「この雪もにわか雪ですぐ止むことだろう」と思っていました。
ところが東へ進むにつれてその降りかたは次第に激しくなり、大きなボタン雪も交じった白い塊がどんどんと空から落ちてきて、電車が「和気駅」に着いた頃にはホームにはすでに3〜4センチも積もっているではないですか。
そして駅のホームの向こう側に広がる家々の屋根や田畑など辺り一帯の景色は白一色に変わっていました。
空は深い鉛色に曇っていて、辺りを白一色に変えてなお絶え間なく降り続いており、刻一刻と積もっていく雪景色は、車窓から眺めているとなんとも幻想的な趣を持っていて、まるで何か不思議な夢でも見ているようなファンタジックな思いを僕に与えてくれました。
そしてそのあと僕はふと思いました
「アッそうだ、お母さんの名前は『雪野』だったのだ。ひょとしてこの雪は天国へ行ったあの人が降らしたものではないだろうか」と。
まさに「雪の野原」を連想させる「雪野」という名前を今一度僕に訴える為のお母さんの企みではないのだろうか。
そうでなければこの地域で滅多に目にすることのないようなこうした白一色の景色など今ここで臨むことなどできなかったのではないのではないのだろうか。
きっとそうだ。お母さんが自分の名前の「雪野」にちなんだ見事な雪景色を僕に与えてくれたのだ。
そんな不思議な思いにふけりながら、厭きることなくその後も降り続ける雪をずっと眺めていました。
雪は終着駅のひとつ前の「有年駅」ぐらいまで止むことなく降り続いていました。
でも相生駅に着くとそれはピタッと止まって、外の景色も少しも白くはありませんでした。
でもそれまで30分間ぐらいだったでしょうか、この地域で滅多に目にすることがない見事な白一色の雪景色を僕は堪能したのでした。
いまはもう天国へ行ってしまった「雪野」という名のお母さん。
思いがけないすばらしい雪景色を与えてくれてありがとう。
僕は今後冬がくる度にこの日のとても幻想的だった雪景色を想い出すことでしょう。
お母さんどうぞ安らかにお眠りください。
僕はこれからずっと天国に行った貴女を見守っていきますからどうかご安心ください。
また近いうちにお手紙します。
庸夫より
0 件のコメント:
コメントを投稿