google画像「いい人」より |
いい人とは"ひとのいい人"なのか? それとも "人畜無害"の人なのか?
人はよく人のことを指して「あの人はいい人ですよ」とか「あの人、いい人ねえ」などと言う。
でも、よくよく考えてみると、このいい人というのは随分あいまいで、しかも大まかな表現であるような気がする。
はたして人々の言ういい人とは、いったいどういう人を指して言っているのであろうか。
あるいは対象の人のどんな部分を指して言っているのだろうか。
もし、一部分だけを指していうのなら、ほかに悪い部分もあるのだろうから、いい人と言い切ってしまうことには問題がある。
こんなふうに考えていくと、一個人が評価するいい人というのは、決して万人に通じるいい人ではないのではないかという気がする。
話が少しややこしくなりそうだが、つまり、人々が一般的に言う「いい人」というのは決して人格が優れた立派な人ということではなく、ある一面において、評価する側にとってのいい人、という意味あいで、要はその人にとって"都合のいい人"ということなのではないだろうか。
したがって人々が気軽に言ういい人というのは、人物評価としてあまり当てにできないものではあるまいか。
極端なことを言えば、例えば"人畜無害"と評される人がいるが、これらの人も、人に害を与えないのだから、考えようによってはいい人といえるのである。
こうしたことから鑑みて、人の評価について表現するときは、良い点をできるだけ具体的に言うのが賢明なのではなかろうか。
例えば
・あの人は人間的に信頼できる。
・あの人は面倒見がいい
・あの人は思いやりがある
・あのひとは信念をもっている。
・あの人は人の陰口をたたかない
・あの人は目先のことに惑わされず、物欲だけでは動かない人
などなど、ならべればきりがないが、要するにこういうふうにである。
これらの良い要素をたくさん持っているほど、すなわち良い(立派で尊敬するに足る)人となるわけである。
したがって、上の要素の一つか二つだけをもっている人をいい人と言い切ってしまうのは問題がある。
なぜならば評価項目が10あるとすれば、その内のせいぜい二つだけがいいのであり、残り八つが悪いとすれば、"いい人率"は2割なのだから、その人は決していい人とは言えないのである。
ちなみに私は、人がある個人を指して「あの人いい人ですよ」と言うのを聞いたときは、「その人の何がいいのですか」と聞き返すことにしている。
そうした場合はたいてい相手の答えを聞いて失望するのであるが。
とにかく人の一面だけを見て、いい人と言い切るのは早計であることだけは間違いない。
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