ある日の職場からの帰途、いつものように33丁目で乗車した夜の地下鉄車内で、運悪くも、ドアのそばに立っていた巨漢の白人ゲイボーイふうの男に目をつけられた。
乗車中、わずか2メートルほどの間隔で、ずっとその男の視線から逃れることは出来なかった。
そればかりか、逃げるようにして下車した後も数ブロックに渡って追っかけられ、なんとか隙を見て暗い駐車場の隅に隠れ、やっとの思いで危機を脱出したのであった。
そんな苦い経験のあるわが身としては、ゲイの街については一家言ある。
だがその話は後日に回すことにして、本日は日米の代表的なゲイの街について、その様子を眺めてみることにしよう。
以下は日米の有名なゲイの街について書かれたネットの記事2題である。
NY「クリストファー・ストリート」とは
クリストファー・ストリートは、とても質素な通りだ。
2003年6月、プライド・パレードに参加するために、サンフランシスコを訪問したときに訪れたカストロ・ストリートのような場所をイメージしていたけれども、違っていた。何かが、全然違っていた。
レインボーグッズや同性愛に引っ掛けた文句が書かれたTシャツが売られているバラエティショップも、わりと下品だと思った。
二丁目のバラエティショップとそんなに変わらない。そう思ったとき、私は新宿二丁目と変わるものを、クリストファー・ストリートに期待していたんだ、ということが分かった。
雪の土曜日の昼過ぎ、ドロドロに解け始めた雪に滑らないように気をつけながら、クリストファ 璽好肇蝓璽 に行ってみた。
ゲイポルノを売っているアダルトショップバラエティショップ、革製品を扱うSMショップ、タトゥー・ショップだけが営業していたその通りは、なんだか時が止まっているような気がした。
時代の歩みから取り残されているような気がした。
だからって、サンフランシスコのカストロ・ストリートがそんなに素晴らしかったか?
そう質問されたら、「はい」とは言わない。
あの時、カストロが素晴らしい、と思ったのは、プライド・パレードというお祭りの時に訪問したからだと思うから。
きっとクリストファー・ストリートも、「ストーンウォール」を記念するイベントや、パレードの時期に行っていたら、あの道も全然違うものなんだろうと思う。
まず、クリストファー通りとはどこあるのだろうか。
それは、ニューヨーク・マンハッタンの南、グリニッチ・ビレッジと呼ばれる地域にある。
このビレッジの東の方は、「イースト・ビレッジ」と呼ばれますが、西の方を「ウェスト・ビレッジ」と書いた地図は滅多に見ることはない。
そう、この「ウェスト・ビレッジ」こそが、いわゆるゲイタウンなのだ。
そしてここには何と、ゲイ・ストリート(Gay Street)という名前の通りまである。
ゲイ・ストリートは昼間ほとんど人通りのない狭い通りである。
それでは、ゲイの街を歩いてみよう
ゲイが「クローゼット」から飛び出し、比較的オープンに振舞えるようになったと言われる現在、この辺り以外でもゲイが気軽に集える場が増えていると聞くが、それでも、ここは世界的に有名なゲイタウンのひとつなのだ。
こんな感じである。
夜は知らないが、昼間は至ってどこにでもあるような通りなのだ。
家族連れも多いし、昼間はゲイのカップルなどほとんど目にしない。
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新宿2丁目とは
ゲイ・タウンとしての新宿二丁目。その歴史は1960年代半ばから始まると言われる。
1958年(昭和33年)売春防止法施行により空き家となった現在の二丁目の地所を買い取り、積極的に移転を行ったのが前田光安が経営する蘭屋である。
このように新宿二丁目がゲイ・タウンとして産声を上げたのは1960年代半ば以降であるとされる。
移転先は現在の仲通り界隈ではなくラシントンパレス跡地南側新宿御苑にごく近いほんの狭小なエリアであり『バル』『ビザン』等の店と共に三丁目要町とともに新宿ゲイエリアの中核となる。
この場所は緑園街といわれ、現在も御苑大通りから東の方向に『緑園街』入口の看板を目にすることができる。
現在では、ゲイバー、売り専やゲイを対象としたショップ等、約300軒以上の店が立ち並んでいる。
ゲイバーでは入り口のドアに「会員制」等のプレートを貼り女性客の入店を断るケースが多いが、女性客やノンケ(異性愛の男性)の客も入店可能な「観光バー」と呼ばれる店や、レズビアンを対象とした店もある。
昨今、ゲイ・タウンとしての新宿二丁目には往時の勢いがなくなってきたと見る向きもある。
少子社会になった事、発展場が都内や全国各地に激増した事、そして1990年代後半からのパソコンや携帯電話などインターネットの普及により、ゲイサイト(ゲイ向けサイト)やゲイ向けの「出会い系サイト」が出現し、「普通の同性愛者」同士が気軽に直接出会えるようになった事で、わざわざゲイバーに出向く必要性が薄れてきたこと、
また、上野・浅草・渋谷・新橋・池袋など、二丁目以外の大きな繁華街や私鉄沿線の小さな駅前にもゲイバーや発展場が増え、二丁目に行かなければならない必然性がなくなってきたことも大きい。
ゲイの中には二丁目を敬遠し二丁目以外に出向く者もいる。
日本のゲイを巡る状況の変化、すなわち自分が同性愛者である事を、以前より比較的オープンに表現できるような社会になりつつあることも関係しているのかもしれない。
インターネット「NYゲイストリートと新宿2著目」より抜粋引用
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