言うまでもなく野村監督は我が国の球史に残る押しも押されぬ名監督です。それだけに少し惜しい、というような気持ちで書いた私のブログが2018年12月12日の「ちょっと ざんねん!な野村元監督」です。
もうかなり前のことですから書いたことは忘れていたのですが、昨日の朝日新聞に脚本家の橋田壽賀子さんが、同じようなことを書いていらっしゃるので、ふと思い出したのです。
ここでは橋田さんの記事、その下に私のブログをご紹介します。
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ノムさんのサッチー愛、橋田壽賀子さん「理解できない」
朝日新聞電子版 2020年2月23日
「ええ。私は大阪の南海電車沿線で育ちましたので、プロ野球は南海ファン。野村克也さんは憧れの人でした。監督としても名声を高められたので、一度お会いしたいと思っていました。お互い伴侶を亡くした者が話し合うという企画をNHKからいただき、喜んで出かけたのでした。ご夫婦の行きつけだった東京のお寿司(すし)屋さんでした」
――どんな印象でしたか。 「番組で流れた通りでしたね。対談にならなかったのです。だって野村さんはほとんど何も話さず、こちらが何を言っても、ただ『独りになって寂しいです』と言うばかりでしたから。私の目も見ずしょんぼりしていました。励ましても反応が薄いし、しょぼくれて情けない姿に心底、がっかりしました」
「1回目にあまり話さなかったので、私に申し訳ないと思われたからでしょうか。ほんの少しだけ前向きになられたように感じました。海に沈む夕日をずっと眺めていたのが印象的でした」
――野村さんにはお子さん、お孫さんという家族もいらっしゃいますね。
「ええ、ご子息の克則さんのお宅が隣にあって、お孫さんもいる。本当の『独りきり』とは全然違いますよ。でも、『一日中独りぼっちだ』とこぼすのです。家族というより夫婦が全てで、野村さんから沙知代さんをマイナスすると、ゼロになってしまうんだとわかりました」
――ホームドラマを描かれてきた橋田さんから見て、野村さんがそこまで「沙知代さんが全て」だったのはどうしてでしょう?
出典:朝日新聞電子版
出典:朝日新聞電子版
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2018年12月12日水曜日
ちょっと ざんねん!な、野村元監督
野村元監督は球史に残る名監督だが
野村克也元監督といえばプロ野球でいくつもの球団を渡り歩き、チームを何度も優勝に導いた名監督です。
その名監督も今年で83歳を迎えられています。最近話題になったのは何と言っても長年連れ添ってきた愛妻の沙知代さんを亡くされたことです。
野村沙知代さんといえばサッチーとも呼ばれ、歯に衣を着せないなユニーク毒舌で多くの人に愛された方です。
野村元監督は日本一の愛妻家か
世に愛妻家と呼ばれる人は少なくありません。でも何をもって愛妻家と決めるか、と問われてすぐに返事をすることは簡単ではありません。
そうした中でこの方は間違いなく愛妻家だと断定できるのが野村元監督なのですが・・・
鼻につく、とはまさにこのこと
お二人には高齢になって妻に先立たれたという共通点があります。
タイトルに惹かれてはじめは興味津々で読んでいたのですが、読み進めていくうちに次第に野村元監督の談話が鼻につくようになり、途中で読むのをやめようか、とも思いました。
でも今後こうした対談にあまりお目にかかることのないだろう、と思い直して、何とか最後まで読み通しました。
最後まで読んだ理由はそれだけでなく、ある目的がありました。それは読んでいる途中である事柄をカウントする目的が生まれたからです。
でも鼻についた、のはいったい何だったのでしょうか?
サッチー、サッチーと
雑誌対談で亡き妻の愛称を34回も口にしていた
こんなことについて数を数えるとは、よほど暇人のすることだ、と笑われそうですがカウントしたのははいったい何でしょう。
それはこの対談中に野村元監督の口から出た亡き妻の愛称、サッチーです。
さて、このわずか6ページ余りの対談でいったい野村元監督は何回ぐらいサッチーを口に出したと思いますか?
5回、10回、それとも20回でしょうか。残念ながらすべてはずれで正解は34回です。
それほど長くないこの対談の中で野村元監督はサッチー、サッチーと亡き妻の愛称をなんと34回も口にしたです。
これだと談話という談話にほとんどサッチーが出てくるほどなのです。いかに愛妻家だとはいえ、ここまでくるとちょっと異常で、読む人が食傷気味になるのは仕方ないことでしょう。
たぶん本人は気づいてはいないことなのでしょうが、球史に残る名監督と呼ばれている人だけに、少しざんねんなことに思えました。
出典:「生涯現役!!日記」
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