なにげなしに昔のファイルブックを繰っていると、その内の1冊からなんとも珍しいものが出てきたではないか。
それは今から半世紀、約50年前に勤務していたニューヨークの職場(スタットラーヒルトンホテル)の勤務シフト表である。
言うまでもなくホテルは24時間営業であり、それに伴ってスタッフの勤務時間もまちまちだ。
私の名前は下から4番目にあるが、O’hiraとなっていて、Oとhの間に ’(アポストロフィ)がついている。
これはアイルランド系の名前によくあるのだが、例えばO’cconarとかO’haraというような表記だが、
この表の作成者であるチーフクラークのフレディが私の名前Ohhiraの段になって、ふとO’haraという英語名があることを思い出して、それにつられて何気なしにO’hiraとしたに違いない。
まあこの方がOhhiraよりかっこよく見えて良いのだが。
勤務は「夕方5時~深夜1時」の遅出シフトが多かった
それはさておき、肝心の勤務期間を目を通して見ると、この週は遅番の勤務になっていて夕方5時から深夜1時までのシフトに入っている。
フロントオフィスは朝8時から、午後2時から、それにこの午後5時からの3つのシフトに分かれているのだ。
3つのシフトのうち、私には5時~1時にラストのシフトが当たることが多かったが、これは同僚のプェルトルコ人カマチョとともに、夜だけ行われるルームインスペクタ―タいう役割があったからだ。
ルームインスペクタ―の職務はその日チックアウト予定の客がすべて出発し終えたと目される夜になってから、夕方まで荷物が残っていると客室係がマークした部屋のシートを手にして荷物の有無を確認するため一部屋ずつチェックして歩くのだ。
そして荷物がなければV(vacant),逆にまだ荷物が残っている場合はO(occupaid)とシートに記していくのだ。
単調で簡単な仕事だが、なにしろ部屋数が2200というマンモスホテルだけに、これをすべてチェックするするのにゆうに2時間以上かかり、足が疲れることこの上ない激務と言っていいほどのハードワークだった。
そのため帰りの時間には疲れていたせいで寄り道などせず、いつも34丁目の地下鉄駅ペンステーション目指して急いでいた。
そこからアップタウンに向かうIRT系の地下鉄に乗って下宿のあるWest97丁目まで帰るのだ。
フロントオフィス17名のスタッフの名前が並んでいる
しかし懐かしい表である。これには全部で17名の名前が並んでいるが、上から順に目を通してみると忘れていて読み方さえ分からなくなっているのが半分ぐらいある。
でも読める名前は今でもその姿を思い浮かべることができる。
それらをカタカナ書きで上げてみると、ヨノシー、ヘレイラ、ネルソン、カマチョ、ショーン、ウッド、マクスード、ウィルソンなど8名である。
中でもよく覚えているのは太字にした5名で今でも容姿をはっきり思い浮かべることができる。
ヒルトンの5名の職場スタッフのことは今でもよく覚えている
ネルソンはアルバイトできていた黒人の学生だったが、この彼には1度ずいぶん驚かされたことがあった。
それは忘れもしない8月半ばのことだった。
同じ昼間のシフトについていたある日、ネルソンが突然「今日は何の日か知ってるか?」と聞くのだ。
突然のことだったし、質問の意味は分かったものの、なんのことかわからず、しどろもどろの当方に対して、ネルソンは言った。「Youの国Japanの終戦記念日じゃないか」。
それを聞いたときは驚くと同時にすっかり感心してしまっていた。
彼には悪いが、常日頃は「たかが黒人のアルバイト学生」と軽く思っていたのだ。だが、こちらが意識もしていなかった8月15日を日本の終戦記念日として、しっかり意識して覚えていたのだ。
その日依頼、彼に対しては尊敬のまなざしを向けるようになっていた。
カマチョは前の項でも触れたがフロントフィスでルームインスペクタ―という同じ職務に携わっていた20代半ばの同僚である。
彼については以前他のブログ記事にも取り上げているので今回は人物紹介についてはは省略するが
一言だけ言っておくと、無類の女好きで、一緒にいるときは女性の話題をあげることがが多かったが、好人物で憎めないところがあった。
そんな彼も仕事は熱心で、新人の当方を懇切丁寧に指導してくれた。
フレディ(ショーン)は30台半ばの白人男性で当時フントオフィスのチーフを務めていた。なかなかの物知りで職場一番のインテリといってもいい。
彼が教えてくれた日本の「正ちゃん印」のような、縦に4本の線を引き終りに横1本で閉じる数の数え方は今でも忘れていない。
マクスードはフロントオフィス一番の年配者で当時の年齢は60歳近くだったのではないだろうか。
職場ではいつも「シット!」「シット!」(くそッという意味)と口走りながら苦みばしった表情で立っていた。
でも新人だった当方に対して、「国の家族は元気か?」などと、いろいろ気遣ってくれた。
ウッドは黒人でフレディと同年配で同じくチーフを務めていた男性。
職場で最も背が高く、おそらく190センチぐらいあったのではないだろうか。
寡黙で人当たりはそれほど良くはなかったこともあってか、個人的に親しく話すことはほとんどなかった。
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