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「面白いか否か」「読まれるかどうか」「売れるか、売れな
いか」
(その1)
編 む 女
「くそっ、あのカップルめ、うまくしけ込んだもんだ」
前方わずか4~5メートル先を歩いていたすごく身なりのいい中年の男女が、スッとラブホテルの入り口の高い植木の陰に隠れた時、亮介はさも羨ましそうにつぶやいて舌打ちした。
「あーあ、こちらがこんなに苦労しているというのに、まったくいい気なもんだ」と、今度はずいぶん勝手な愚痴をこぼしながら、なおも辺りに目を凝らして歩き続けた。
亮介は、これで三日間、この夜の街を歩き続けていた。
はじめの日こそ、あの女め、見てろ、その内に必ず見つけ出してやるから、と意気込んでいたものの、さすがに三日目ともなると、最初の決意もいささかぐらつき始めていた。 時計は既に十一時をさしており、辺りの人影も数えるほどまばらになっていた。 この夜だけでも、もう三時間近くも、この街のあちこちを歩きまわっていたのだ。
少し疲れたし、どこかで少し休んで、それからまた始めようか、それとも今夜はこれで止めようか。 亮介は迷いながら一ブロック東へ折れて、すぐ側を流れている淀川の土手へ出た。 道路から三メートルほど階段を上がって、人気のないコンクリートの堤防に立つと、川面から吹くひんやりとした夜風が汗ばんだ両の頬を心地よくなでた。
「山岸恵美」といったな、あの女。城南デパートに勤めていると言ってたけど、あんなこと、どうせ嘘っぱちだろう。でも待てよ、それにしてはあの女デパートのことについて、いろいろ詳しく話していた。とすると、今はもういないとしても、以前に勤めたことがあるのかもしれない。それとも、そこに知り合いがいるとか。ものは試し、無駄かもしれないけど、一度行ってみようか。そうだ、そうしてみよう。なにしろあの悔しさを晴らすためだ。これきしのことで諦めるわけにはいかないのだ。
川風に吹かれて、少しだけ気を取り戻した亮介は、辺りの鮮やかなネオンサインを川面に映してゆったりと流れる淀川に背を向けると、また大通りの方へと歩いて行った。
それにしてもあの女、いい女だったなあ。少なくともあの朝までは。
駅に向かって歩きながら、またあの夜のことを思い出していた。
とびきり美人とは言えないが、あれほど男好きのする顔の女も珍しい。それに、やや甘え口調のしっとりとしたあの声、しかもああいう場所では珍しいあの行動。あれだと、自分に限らず男だったら誰だって信じ込むに違いない。
すでに十一時をまわっているというのに、北の繁華街から川ひとつ隔てただけの、この十三の盛り場には人影は多く、まだかなりの賑わいを見せている。それもそうだろう。六月の終わりと言えば、官公庁や大手企業ではすでに夏のボーナスが支給されていて、みな懐が暖かいのだ。 「ボーナスか、あーあ、あの三十八万円があったらなあ」
大通りを右折して阪急電車の駅が目の前に見えてきた所で、亮介はそうつぶやくと、また大きなため息をついた。
一週間前のあの日の夜も、亮介はこの十三の街へ来ていた。貰ったばかりの三十八万円のボーナスを背広のポケットに入れて。
でも、五時過ぎに職場を出て、環状線の駅に向かう時は、そうなることは露ほども予想していなかった。
今日は梅田の行きつけのビアホールで一杯やったら、そのままアパートへ帰ろう。 歩きながら、はっきりそう考えていたのだ。それがいったいどうしたはずみで、この十三の街へ来てしまったのだろう。堺の自分のアパートとはまるで反対方向だというのに。
そうだ、あの人が悪いんだ。あの内田さんが。
亮介は六時前にそのビアホールに着いて、いつものようにカウンター席に座って、揚げたてのソーセージを肴に生ビールのジョッキを傾けていた。その店のチーフ早見さんが側に来て、「ボーナス多かったですか?」と聞き、「まあね」と、亮介が答えた。
三日前にこの店に来た時、客が少なかったこともあって、この早見さんとは一時間位も喋っていた。 「大企業はいいですねえ。六月にボーナスが貰えて。僕のとこなんか二ヶ月も遅い八月ですからねえ。おまけに額も少ないし、それに比べりゃあ橋口さんのところはいいですねよ。大手資本系列のホテルだし。さぞたくさん貰えたんでしょうねえ」
早見さんはそんなふうに言って、ちょっと首をかしげて、拗ねるような表情を見せていた。
実際のところ、亮介もこの日貰ったボーナスの額にはかなりの満足感を抱いていた。前々から、夏のボーナスの支給額は二.五か月分だと聞いていたので、十五万五千円の給料だと、税引きの手取りは三十二~三万てところか、そんなふうに皮算用していた。それだけに、実際に受け取った三十八万六千円という金額は以外であり、また、うれしくもあった。 このところの仕事ぶりを認めてくれたのかな。
そう思って、普段は口やかましいだけの、課長の南に、この日ばかりは感謝した。
亮介は今年二十四歳。 堂島川に沿った北区中島のSホテルの営業マンになって二年ちょっとたつ。 彼にとって、今回のボーナスは入社以来四度目のものだった。
この調子だと冬は四十万は軽く越えるな、よし、仕事の方これからも手を緩めずにがんばろう。ジョッキを傾けながらそんなふうに考えていた時だった。
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