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「雑誌リベーラ、甥が編集長。そんなことも言ったのですか。いやまったくの作り話ですよ。東京に甥なんていません。ただ父は若い頃から雑誌の編集の仕事に憧れてはいたようですけど
『編集長になりたい』ずっとそんな夢をもっていたようですから今度の病気の再発で、夢を現実と見まちがえているのかもしれません。
いもしない甥とかに託して、いやとんだお恥ずかしいことで」
「それとロンドンかパリに留学された・・・」
僕はそう言いかけたが、事情がわかった今、そこまで聞く必要もないと思い、次のセリフは喉もとでおさえた。
「よくわかりました。知らなかったこととはいえ、どうもすみませんでした。今後お会いしたとしても一切おつき合いは致しませんからご安心ください」
僕は職場の周囲の者が気にしてジロジロ見初めているのに気がつき、そう言って電話を切ろうと思っていた。
「たいへんぶしつけなお電話申し訳ありませんでした。快く承諾いただきありがとうございました。また機会がありましたら、一度お会いした上でお話しします。父のその後のことも」
相手は最後に少し遠慮しがちにそう言って電話を切った。
「今野くん、今の長電話いったい何だったんだ?お客さんでもないんだろう」
奥の席でさっきから僕をにらんでいた課長の岸田が少し皮肉めいた口調で聞いた。
「ええちょっと。実は紳士の甥が雑誌の編集長でして、でもそれがその・・・」
僕にはすべて事情がわかったとはいえ、相手には何のことだかさっぱりわからないような、そんなトンチンカンな返事を返していた。
秋が去り、歩道のイチョウの木は丸はだかになり、また冷たい北風が吹く冬がやってきた。
あと一週間もすると僕のデパートでも一年で最もかき入れ時の歳末商戦が華々しくスタートする。
その前の十二月一週目の公休日、僕は十時過ぎに起きて、机の前でぼんやりしながらインスタントコーヒーをすすっていた。
ふとすぐ横に立てかけてある国語辞典が目に入り、何気なく手を伸ばしてそれをつかむと、目的もなしにパラパラと指で滑らすようにしてページを見ていた。
斜め上の部分に〈そう〉と見出しのついたところでページが止まり、また何げなくその中の一語に目をやってみた。
]〈そううつ病〉そこにはそう書かれてあり、僕はハッとして今度はぐっと身を乗り出すと、一気にそれを読んでみた。
躁鬱病(そううつ病)
内因性精神病のひとつ。気分が興奮状態を示す
そう病と逆に憂うつ状態であるうつ病を交互に繰り返すが、それぞれが単独であらわれる場合もある。発病は十五~二十五歳の間に多く、遺伝条件に支配される。
〈躁期の特徴〉
大言壮語。睡眠時間減少、行動活発、浪 費(買物多し)
〈鬱期の特徴〉
食欲減退、厭世感増進、自殺願望
辞書から目を離したとき、僕はふっと息をつき、久しぶりにまた紳士の姿を瞼に描いた。
どうしているんだろう彼いまごろ。息子さんから電話のあったあとも、バス停では一度も見かけていないけど、病院へはまだ通っているのだろうか? 会わないのは診察時間が変わったせいじゃないだろうか。
あの息子さん、この病気には精神的刺激が悪いと言ってたけど、あの後も病状は変らないんだろうか。それから昼近くになるまで、僕はそんなことをポカンと考えていた。
それから十日ぐらいたった十二月にしては珍しく風もなく暖かいある日の昼下がり、電車でとなりのK市の得意先へ行った帰り道、僕が駅前広場にある噴水の前に差し掛かったときだった。
ふと前方を見ると、ベンチに座って横に置いた大きな紙袋を覗き込んでいる身なりのいい初老の男の姿が目に入った。
あっ、あの人だ。距離はまだ少しあったが、見た瞬間とっさにそう思って僕はハッとした。
これまで時折思い出して気にしながら、もう二ヶ月も会ってなくて、懐かしさからか思わずそちらの方へ駆け寄っていた。
つづく
次回7月2日(木)最終回