2010年7月24日土曜日
見て愕然!50年前とまったく同じ学生帽をかぶった男子高校生の姿
過日JRの電車で、沿線の球場で開催中の高校野球地方予選の応援に行く途中の高校生と思しき20人ぐらいの男女の学生たちと同乗した。
引率の教師らしき30年配の男性とともに、彼(彼女)らは皆出入り口のドア近くに立っていた。
男女半々ぐらいで、その内10名ほどの女生徒は、平凡ではあるがまず普通といっていいセーラー服姿で特に目立つ点はなかった。
だが男子生徒は違っていて、今時としては風変わりとも言えるそのいでたちに、当方としては大きな違和感を覚えざるを得なかった。
定番の黒のズボンに白のカッターシャツ、そこまではよくありがちで、まずいいとしよう。
問題は坊主頭の上に乗せた帽子である。
もうずいぶん長い間、男子高校生のこうした姿を目ににしたことが無かったせいか、見たときは、一瞬50年前の時代にタイムスリップしたのではないかと思うほどの驚きで、思わずわが目を疑いさえした。
それは、言わば突然ファンタジックな古き時代へタイムスリップしたとでも言うような妙な気持で、しばらく頭を離れなかった。
それもそのはずである。
なんと、彼らがかぶっていた学生帽は、50年前の、私が高校生の頃かぶっていたものと色もデザインもまったく同じものなのである。
日頃ちまたで男子高校生の姿を目にすることは別に珍しいことではない。
しかし、半世紀も前の、当時とまったく同じ色とデザインの超クラシックな黒い学生帽をかぶった男子高校生を目の当たりにするのは本当に珍しいことで、それ故に驚きもひとしおだったのである。
この50年と言えば高度急成長を挟んで日本が長足の進歩を遂げた時代で、世の中の多くのものが激しく変化し、急激な進歩を遂げてきている。
もちろん服装の進化もそのひとつである。
そうした中で、この男子高校生の50年前と同じ黒の学生帽は一体何を意味するのだろう。
いや、良いことの意味などは何もないに違いない。
こうした時代遅れもはなはだしい、いわば一言で「ダサい」と言える彼らのいでたちを許しているのは、単に周囲にいる親や教師などの怠慢によるものなのだろうか、もしそうでなければ、なにか彼らの大きな勘違いのせいなのであろうか。
つまり、彼らは言葉としてのノスタルジーとか古きよき物とかということに対してなにか大きな考え違いを犯していて、この学生帽の使用をそうした考え方の延長線上に置いていて、未だにこれを「いいもの」と考え違いしているのではあるまいか。
それ故に今の世になじまない時代遅れの過去の遺物であるということにまったく気がついていないのではなかろうか。
でももしそうであっとしても、ここで彼らばかりを責めるのではでなく、それに甘んじて何の抵抗も示さない、無知で従順なだけの高校生当人たちをも誠に情けない存在であると認識し、叱責してしかるべきではなかろうか。
はっきり言っておきたい。
「今や坊主頭に乗せた黒い学生帽はとてもダサくて見られたものでない」のである。
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