2010年7月12日月曜日

インターネットは「モノの価値」を奪うのか?

インターネットが人々に与える影響について、いろんなメディアなどに取り上げられてきたその「功罪」についての考察では、これまでのところ「功」の部分ばかりがやたらとり上げられてきていて、「罪に関してはあまり論じられていないような気がする。

本日はその罪の一部について、自分の身辺に生じてきていることも併せて、しばし考えてみたい。

音楽のCDコレクションが趣味の一つである私は、最近こそ増やすことにあまり熱心ではないが、現在600枚あまりのそれらのCDを、常時取り出し可能なケースに収めて所有している。

内訳はクラシックが7割、ジャズ、ポピュラーオールディーズ2割、その他1割という比率である。

これらの多くのCDだが、2年位前までは休みごとに3~4枚づつケースから取り出しては聞いて楽しんでいた。しかしここ1年以上の間、まったくと言っていいほどその習慣をなくしており、ケースの中のCD群は取り出されることが無くずっと眠ったままの状態になってしまっているのだ。

その原因は私自身が音楽を聞かなくなったからなのか?

いやそういうことはまったくない。モーツアルトファンの私は、クラシックを中心に今でも毎日と言っていいほど音楽には自ら積極的にアプローチを続けている。

では何を使って音楽に接しているのかと言えば、それは言わずと知れてインターネットでである。

パソコンに良質なスピーカーを接続して、ほとんどの音楽はこれを使って聴いているのである。

利用するサイトは「YouTube」が多いが、その他あらゆる音楽サイトを有効に利用している。

今さら言うに及ばないが、「YouTube」を使うと、簡単なキー操作一つで、クラシックはおろかジャズ、ポピュラー、歌謡曲というふうにあらゆるジャンルの良質な音楽が無料で視聴できるのである。

CDだと耳から聴くだけの音楽がネットだとすべて歌手などの映像つきで聴けるのだから、これを利用しない手はないだろう。

「YouTube」だけでなく、たとえば「Windows Media player」を使えば手持ちCDの録音が可能だし、その他にも無料で聞ける優れた音楽サイトが目白押しである。

手持ちCDの出番がほとんどなくなってしまったのはこういう訳からなのである。

つまり、インターネットがCDコレクションの出番をなくしてしまい、強いてはその価値を奪ってしまったと言えるのである。

それ故に600枚入ったCDケースは本来の目的では少しも利用されること無く、今や部屋のインテリアと化してしまっているのだ。
 
こうした現象はなにもCDに限ったことではなく、今や実に多くのモノに及んでいる。

その代表格は本好きの人たちの家の書棚に積まれた書籍ではなかろうか。

書棚の本と言えばすぐぎっしりと並べられた文学全集が目に浮かぶが、それらの全集に収められた名作と呼ばれる古い作家の作品のほとんどが今では「青空文庫」というインターネットサイトに収められており、いつでも気軽に、しかも無料で読むことができるのである。

また新しい作品についても「グーグルブックス」というサイトやその他数々の電子書籍サイトを使えば、かなりの作品の無料での読書が可能になっているのである。(有料だとその数は言うに及ばない)

こうした本の類ではこの他にも百科事典、美術全集、歴史全集、写真集などというあらゆるジャンルの書籍がネットサイトで利用が可能で、そうした物を活用すれば特に従来からのペーパー書籍を必要とすることもないのである。

もちろん今でも紙の本にはそれなりの良さがあり、インターネットがすべてそれらの価値を奪ったとは言えないが、今やこの領域も少しずつ侵食されつつあると言うのもまた事実なのではなかろうか。

またこんなこともある。

ネットオークションは今や万人が利用する一大マーケットとなっているが、ここで私自身が参加してその価格について痛感したことを述べてみる。

まず[その1]。知り合いに頼まれて参加したネットオークションでのことである。出品したアイテムは「美空ひばり歌手生活30周年記念レコード集5枚組み(解説書付)」という今から30年以上前に発売されたモノでありそれなりの価値はあるだろうと思い、希望開始価格1万円という条件で出品してみた。

こちらとしては、それなりに古い物だし、故人ではあるが、日本を代表する大歌手であった人の作品集であり、安く見積もっても2~3万円の値がつくのは容易なことだろうと皮算用していた。

しかしである。待てど暮らせど一向に値段がつく気配は無く、じりじりしながら待っていた当方の期待とは裏腹に、ついに締め切りの1週間が来ても入札はゼロであったのである。こちらが「価値あり」と見込んだモノを、見事に無価値化してくれたという一幕。

[その2]。これは直接ネットオークションに参加したのではないが、値段を見て大いに落胆したという話である。

田舎の知り合いの家を訪問したとき、床の間に大きくて立派な鹿の角が飾ってあった。

聞くと、山から出てきた鹿が畑に落としていったモノだと言う。

当方としては価値あるモノだと思って、「立派なモノですねえ,こんな立派な角、なかなか得がたいでしょうね」などと、内心ではこれだと少なくとも5万円はするだろうと思いながら、そう言って帰り、すぐにオークションで値段を調べると、なんと、似たようなものについていたた価格は3500円也で、またや大きく落胆。

[その3]。これは自分自身のことであるが、ある時フリーマーケットに珍しい手動タイプライターが出ており、しかも有名メーカー製の新品に近いもので値段はなんと2千円。

これを買わぬ手は無いと即座に購入。「これは儲けた」、と内心ホクホクで早速オークションサイトで値段を検索してみると、これがまたもや大きな期待はずれで、何台か出品されていたモノがすべて4~5千円。

まあ買値の倍はあったのだが、こちらとしては少なくとも発売当時の新品の値段の5~6万円ぐらいは軽く上回るのでは、と思っていたのだが・・・。

というふうなインターネットオークションでの価格についての失望談であり、価値についての当方の思惑がネットにより、見事に打ち消されてしまったという話なのである。

今回の投稿は少し長くなったが、総じて「物の価値を奪う」という、ネット功罪の「罪」について述べてみた。

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