50歳になる直前にはじめて新人賞に応募
小説新人賞に関しては様々な思い出がある。悪い思いではあまりなく、ほとんどが良い思い出である。なかでも48歳から50歳にかけての2年間のものが特に多い。
小説は30歳ごろから書いていたが、なかなか思うような作品ができず、40代半ばを過ぎた頃、やっとそれらしきものが書け始めた。
それで49歳になったとき思い切って小説新人賞に応募することにした。最初の応募先はメジャー出版社である講談社の「小説現代」にした。
新人文学賞は数はたくさんあるが、大衆小説分野でメジャーと呼ばれるものは、この小説現代と文芸春秋の「オール読物」、それに集英社の「小説すばる」ぐらいであった。
もちろん純文学を入れるともっとある。でもその頃書いていたのはいわゆるエンターティンメント系の大衆小説ばかりであったので、応募先ははじめからこの3つに決めていた。
最初からメジャーな文学賞しか狙っていなかった。そうでないと小説家デビューは難しいと思っていたからである。
さて、最初の講談社に応募するに際しては、一つの作戦を立てて臨んだ。
というのは予選を通過したときはいいのだが、もし1次予選ででも落ちたら、気落ちしてモチベーションが下がり、その後の応募に悪影響を与えると思ったからだ。
なにしろメジャーな新人賞は難関であり、予選通過者ですら応募者の15%ぐらいで、残り8割以上は落選するのだから、決して楽観はできないのである。
したがってもしはじめの応募作品が落選しても、すぐ次の作品が応募できるように1回目の応募結果が発表される前に次の作品を完成しておくようにしたのだ。
どの出版社も発表までに3ヶ月以上あるので、その準備をするにはじゅうぶん期間はあった。
最初の作品のタイトルは「編む女」で85枚の中編小説である。
それを応募し終えると、最初の作戦通り1回目の発表の1ヶ月前には2回目応募用の作品が完成し、すぐ応募した。
これも中編小説で都市ホテルを舞台にした「ナイトボーイの愉楽」という作品である。
応募先は小説現代より若干レベルが高いと言われる「オール読物」である。
これで最初の計画が終わったかといえばそうでない。ついでに3回目の応募に備えてもう1作書いておこうと思いすぐ執筆に取りかかった。
テーマは前々から考えていたものが5題ほどあったので、そのなかからニューヨークを舞台にした「マンハッタン西97丁目の青春」を選んだ。
今度は前2編と違った長編だが、経験を元にしたものであり、執筆にはそれほど苦労はなかった。
その作品を書き始めて1ヶ月ほどたったところで、1回目の応募作品の発表があった。発表の2~3日前からは、結果が気になって気もそぞろで何をするにも力が入らなかった。
メジャーな小説新人賞で連続3回予選突破
1回目の応募作の発表結果が載った「小説現代」を本屋で手にしたときは、期待と不安が交錯し、興奮したせいか体がガタガタと震えるのが分かった。
本屋で発売されたばかりの小説現代を手に手にするや否や、すぐ発表のページを探し当てると食い入るように自分の名前を探した。
多少気が動転していたせいか、文字が思うように目に入らなかった。
最初ざっと見渡した段階では自分の名前を見つけることはできなかった。応募作品は1200ぐらいあって、第1次通過作品は150ぐらいと最初に書いてあった。
これだけの通過数だと、ひょっとして自分の名前もあるのでは、と改めてはじめから食い入るように合格者名を見ていった。
そのとき初めて気がついたのだが、発表は県別になっているのだ。それに気がついてからは他のところは飛ばして、一気に兵庫県の合格者が載っている欄に目を移した。
6~7名の名前が載っていたが、その真ん中あたりに自分の名前があるではないか。
また体がブルッと震えるのが分かった。それから何度も何度も載っている名前を確認した。
念のためほっぺたをつねってみたりもした。
あったのだ自分の名前が。初めての応募で難関の新人賞の予選を通過したのだ。
それから数ヵ月たって、2回目の発表の日が来た。最初のときより少しは落ちついていたものの胸がキドキするのはそのときも同じであった。
2度目の予選通過で、ひょっとして小説家になれるかも、と思ったりした
今度のオール読物新人賞応募者は1回目の小説現代より多く1600名ぐらいいた。
これだと予選通過は厳しいかも、と半信半疑で合格者発表のページを眺めていた。
今度は県別にはなっておらずまったくのアトランダムなので見るのに時間がかかった。
それでも目を凝らして見ていくと、あったのだ。今回も名前が載っていたのだ。250名ぐらいの真ん中あたりに、ちゃんと自分の名前が載っていたのだ。
これでメジャー新人賞に2回連続して予選通過したことになる。ここへきて小説家への夢はさらに膨らんできていた。
そしてそれからしばらくしてあった3回目に応募した集英社「小説すばる」の発表の日がやってきた。
今回の応募作品は230枚の長編小説である。前回までの2作品はいずれも100枚程度の中編小説であったのだ。
やはり前回、前々回と同じように応募者は1000人を越えていた。でも1000人を少しだけ超えただけで、これまでのなかでは一番少なかった。
さすがに3回目ともなると、落ちついて名前が探せたせいか、わずか数分で結果は分かった。
200名ぐらいの合格者の中に、また自分の名前が出ていた。
これで長編の作品も認められたことになる。
今回を入れるとはじめての応募から連続3回も予選を通過したことになる。
小説家を目指すのに、これ以上の良い出だしはない。そう言ってもいいくらい、最初から順調に進んでいたのだ。
そのときはこれで小説家への道が大きく開けた、と本気で思っていた。(以下次回)