”風化させてはならない”という言葉をよく聞く。
いくぶん教訓めいてはいるが、もっともらしい言葉ではある。
でも一般の会話ではあまり聞かない。聞くのはたいていテレビなどのマスコミ関係者によって発せられたものだ。
この言葉が発せられるのは、たいていは過去に起った事件や事故のことが話題にされるときである。
もちろん最近起ったことだと、大事件や大事故であるほど、まだ風化などしていないだろうから、それらに対してはこの言葉は使われない。
よく使われるのは10年前以上のかなり前に起ったことに対してである。
例えば、「阪神大震災を風化させてはならない」とか、「北朝鮮の拉致事件を風化させてはいけない」というふうにだ。
しかし、なぜあらためてそんな教訓めいたことを言わなければならないのだろう。
人は言われなくても忘れてはならないことを忘れたりはしない。大切なことは誰だって覚えている。
でもつらいこととか、悲しいことはできるだけ忘れてしまいたい。でなければ生きていくのがつらくなるからだ。
大事件や大事故がそれにあたる。特に悲惨な出来事は余計に早く忘れたい。いつまで嫌な思い出を抱えていたくはない。
それなのになぜあえて忘れさせないように、「風化させてはならない」などというのだろうか。
風化とは自然現象からきた言葉である。つまり長年の間に雨風にさらされて自然に消えてなくなることをいうのである。
これは自然の摂理であって、当然のことである。とすれば人間の心の中にあるものも、年月がたてば自然になくなる。これもまた当然のことではないだろうか。
それに対して「風化させてはならない」とストップをかけるのはなぜなのか。
多分、こういったことを口に出す人は事件や事故の利害関係者なのではないだろうか。
つまりテレビ局のように、その事件や事故のことをいつまでも番組や話題のネタにしたいからなのではないだろうか。
この言葉を耳にするたびにそう思えて仕方がない。
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