2024年11月19日火曜日

この本がおすすめ! 書評「処女の道程」酒井順子 新潮文庫

 


酒井順子は勇気がある

酒井順子のエッセイが大好きで、これまで数十点ある作品の3分の1くらいは読んでいます。好きな理由は取り上げるテーマの選択が上手で、文章が洗練されていて、その上内容が示唆に富んでおり、学ぶ点が多いからです。


それに男性だと読んでいて気がつくはずですが、性についての話題がしばしば登場するのです。これはおそらく彼女自身が性に対する興味が強くて深いからに違いありません。


それ故に今回のような全編性問題ずくしの作品を書くことができたのではないでしょうか。


目次を見るだけでドキドキする


下にあるこの本の目次を見てみてください。おそらく普通のエッセイ集の目次のように冷静な気持ちで読めないのではないでしょうか。わたしなどは二十数項目にも及ぶ目次テーマを見終わるまでずっとドキドキし通しでした。


これだけ危うさに満ちた内容の本を、よく女性エッセイストが書いたものだと感心してしまいました。


それにしてもこれだけの内容を書き上げた酒井順子さんは勇気ある見上げた女性作家ではありませんか。


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出版社内容情報


時代と共に移り変わる「処女の価値」を追うことで、日本女性の地位、性意識のみならず、社会構造の変遷をもあぶり出す、革新的女性論


内容説明

処女と貞操。1200年の歴史から女性の地位、モラル、社会の空気の変遷までもあぶり出す刺激的な「性のクロニクル」!


もくじ


・性の解放、行き着く果ては


・平安の貞操事


・女の欲求」が見えていた頃


・「女大学」で処女は守れるか?


・肉交あって情交無き時代


・クリスチャンが愛した「純潔」


・与謝野晶子vs平塚らいてう


・貞操論争と童貞ブーム


・処女膜を超越せよ


・丸ビルに処女なし?


・貞操意識の二極化、そして「エス」


・「男の貞操」と「永遠の処女」


「する自由」と「しない自由」の消滅


・肉体コンシャスに生きる


・女の情欲への恐れと制御


・性の黒船、「ペッティング」と「オリンピック」


・フリーセックスの荒波に揉まれ


・モテてからするか、してからモテるか


・「ツッパリ」の純情、「アンアン」の多情


・処女の価値、ストップ安の時代


・そして誰もしなくなるのか



著者等紹介


酒井順子[サカイジュンコ]

1966年東京生まれ。高校時代より雑誌「オリーブ」に寄稿し、大学卒業後、広告会社勤務を経てエッセイ執筆に専念。一貫して、日本の女の生き方・考え方をテーマにし、2003年に刊行した『負け犬の遠吠え』はベストセラーとなり、講談社エッセイ賞、婦人公論文芸賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。


出典:紀伊国屋書店


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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

九曜紋

「日本女性の処女性の意味」について編年体で綴っていくとこういう形にならざるを得ないのだろう。しかし上手く纏めることに労力を費やすあまり提言力はほぼ無い。性交渉をしようとしまいと、自己決定権に基づき個人の責任において決めればよい。しかし性交渉の自由度が高まるほどリスクを負うのは女性だということに無自覚すぎるのではないか。(妊娠、最悪の場合中絶)。男性に対するルサンチマンの発散も結構だが、そんなことで女性を守れるのか?著者の初体験も未体験では恥ずかしいから急いで済ませたらしい。主体性すらもない人だと思う。

2023/09/06

チサエ

昔々、紫式部や与謝野晶子らの時代から現代までの男女(主に女性)における性意識の変遷を書いたエッセイ。長らく男性の影に隠れるように生き、純潔や貞操などを当たり前とされ、「し」ない自由も「する」自由もないに等しかった女性たち。それでもそんな時代に抗ってきたからこその今。いやこれかなりおもしろかったです。オススメ。

2023/11/23

むう

タイトルからするに(「ショジョのドーテイ」だからね)もう少しユルイ内容かと思っていたが、歴史の中で「純潔」がどのようにとらえられてきたかを、資料を基にまじめに考えていくものだった。そして、それはそれで非常に面白かった。最終章「そして誰もしなくなるのか」は、本当に現実的な問題(問題ではないという考え方もあるが)だと感じる。しかしこの本を読むとそうなっていくのが歴史の必然にように思えてくるのである。

2023/10/27

moimoi

「処女」にどのような印象を持つかは世代によって変わりそうだ。確かに2000年代に学生時代を過ごした中では、なぜか性体験をしている方が「イケてる」「偉い」という風潮があり、処女のままの友人や知り合いを下に見る人が多かった気がする。今は「処女だから何?」「処女のままでいる理由って何?」など価値付けは多岐にわたる。しかし「処女の価値付けは自分自身が行っていいんだ」と言われれば困る。個人的には社会の雰囲気に流された方が、「一般的にはそうだから」と自分の価値付けに納得ができそうな気がする。

2024/02/12

Decoy

あまりにも赤裸々で、通勤電車で読んでいてドキドキしてしまったが、ここまで面白おかしく(あるいは露悪的に)書かないと、日本人(の特に男性)のいびつな処女観・セックス観にあてられてしまうのかな…と感じた。内容も文体も好悪が分かれそうであるが、個人的には面白く読めたし、文献調査も含めて、酒井順子しか書けない本だと思った。

2023/10/17



2024年11月15日金曜日

エンタメ小説新人賞応募を考えている皆さんへ 《小説新人賞応募者に是非とも伝えたいこと・第2弾》 確実に小説家になるにはこの道しかない ! ・シリーズ Part 1~Part 5 (Part 5)

 


(Part 5)


応募作品ががすべて1回で予選通過が果たせたのは


これは決して自慢ではないのですが、私の小説新人賞応募に関しては、胸を張って人に話せる自信があります。


というのも、人生で初めて応募した1回目から連続3回予選通過を果たすことができたからです。


しかも3回の応募とも、《小説新人賞ビッグ3》ともいえる、日本を代表するメジャーな新人賞ばかりを通過できたからです。


それも一次予選通過率が10%と、競争率の厳しいものばかりですから余計に誇らしいのです。


はっきり言って、こうしたメジャーな新人賞応募において、異なる賞に連続3回の予選通過は稀にしかないことではないかと思います。


たとえ新人賞の応募歴の多い人でも、なかなか達成できないような稀なケースだけに、余計に誇れることではないかと自負しているのです。


でもなぜこうした好結果を得ることができたのでしょうか。その原因を探ってみると、次のようなことが言えると思います。


・小説執筆の機が熟していた


これは別の章でも書いたことですが、私が最初に小説執筆を目指したのは20歳代半ばのことです。


本好きな者の通例で、いつか自分も小説を書いてみたいと思っていたのですが、それを実行に移したのがその頃だったのです。


しかし、その道はすこぶる厳しく、何度挑戦しても、途中で筆を折るばかりで、小説を完成させることはできませんでした。


それで結果的に、小説を書くには知識も経験も不足していることに気づき、一時中断して、機が熟すのを待とうと、しばらくブランクを置くことにしたのです。


とはいえ、そのブランクは極めて長く、気がつくと50歳代が目の前に迫っていたのです。


そして50代に入ってすぐ、再び小説執筆にかかわったのですが、大量の本で得た知識と色々な人生経験を経てきて機が熟していたのか、今回は執筆がすこぶるスムーズに運びました。


この間約2年ぐらいで、220枚の中編小説1本、100枚前後の短編小説8本を書き終えることができたのです。小説新人賞に応募したのは、これらの中の3本の小説なのです


・気力が充実していた


スムースに運べたのは機が熟していたからだけではありません。理由として同時にあげたいのは《気力が充実していた》ことです。


そのころ私はフランチャイズ英語塾を経営していましたが事業は思いのほかうまく運んで、心配事が少なく、何事に対しても気分よくできた頃でした。


それ故に気力が充実していたのです。それに比較的時間的余裕も出てきて、小説執筆ための時間が十分とれたのです。


こうした背景が小説新人賞応募に吉と出たのではないかと思っています。


・応募戦略が功を奏した


《機が熟していた》ことと《気力が充実していた》ことが小説執筆がうまくいったことの理由ですが、でもそれだけでは3回連続で小説新人賞予選を通過することができません。


それが達成できたのは上の二つの理由にプラスして、丹念に応募戦略を練ったことも大きな要因です。


その戦略で最も大事にしたのは、落選対策です。つまり予選で落選して執筆のモチベーションが下がったときのことを考えたのです。


予選で落ちれば気落ちして次作の執筆意欲が失われるかもしれないと予想し、新人賞応募の結果発表前に3回目までの応募作品を完成させていたのです。




《まとめ》

(1)エンタメ小説の鉄則は、おもしろくて読み応えがあること

いまさら言うまでもなくエンタメ小説のエンタメは、エンターテイメント(entertainmennt)のことです。

エンターテイメントの目的は人を楽しませることにあります。したがってエンターテイメント小説は、何が何でも人(読み手)を楽しませなければいけません。

つまりおもしろさだ人をひきつけ読みごたえのあるものでないといけないのですいけないのです。


(2)確率10の1 小説新人賞の厳しい予選を突破するために


〈押さえておくべきこと〉

・応募作品点数

・予選通過数

・審査員(作家)の顔ぶれ

・応募作品はどのように審査されるのか



(3)3編の応募作品 人には言えないエピソード


実は今だから言えることなのですが、運よく3作品とも1回目の応募で厳しいと言われているメジャーな小説新人賞予選を突破できたのですが,いま抱くのは、よくもあんな原稿の状態で予選を通過できたものだ]という思いなのです。


よくもあんな原稿の状態というのは、応募原稿の誤字脱字の多さのことです。


その脱字の数はというと、並外れて数で、1編400文字原稿用紙100枚の中で、なんと50か所((3編平均)に及んでいたのです。


これは2枚に一か所は必ず誤字脱字があったことになり、度を超えた数なのです。にもかかわらず審査員はこれを見逃してくれたのです。


これでわかったのは、「作品の質が良ければ、多少のミスは見逃してくれる」と言うことです。


以前、このブログに「小説新人賞応募者に是非とも伝えたいこと伝えたいこと」という記事を載せましたが、その中で誤字脱字はそれほど気にしなくてもいい、と書きましたが、それは私自身にこうした体験があったからなのです。



             予選通過作品発表号


(第3回目応募作品)


*オール読物新人賞(文藝春秋)・1700点強の応募作品の中から

一次予選通過。応募作品タイトル「ナイトボーイの愉楽」400字原稿用紙100枚



(作品冒頭2000字)

ナイトボーイの愉楽

 

いつもなら道夫は梅田のガード下でバスを降りて、そこから職場のある中島まで歩いて行く。でもその夜は阪神百貨店の前で南へ向かう路面電車に乗ることにした。

 始業まであと十二~三分しかなく、歩いてではとうてい間に合わないと思ったからだ。


 商都大阪にもその頃ではまだトロリーバスとかチンチン電車が走っており、今と比べて高層ビルもうんと少なく、街にはまだいくばくかの、のどけさが残っていた。

 これは道夫がちょうど二十になった時の昭和三十七年頃の話である。


 電車は時々ギイギイと車輪をきしませながら夜の街を随分ゆっくりと走っているようであったが、それでも五分足らずで大江橋の停留所へ着いており、歩くより三倍位は速かった。


電車を降りて、暗いオフィス街を少し北に戻って最初の角を右に曲がると二つ目のビルに地下ガレージ用の通路があって、それを通るとNホテルの社員通用口には近道だ。


 始業まであと三分しかない。ロッカールームで制服に着替える時間を考えると、どのみち間に合わないとは思ったものの、この際たとえ一分でもと、そのガレージの斜面を小走りに下って行った。そのせいか、タイムカードに打たれて時間は九時五十九分であやうくセーフ。


でも地下二階のロッカールームで制服に着替えて職場のある一階ロビーまで上がって来た時は、十時を七分も過ぎていて、ちょうど昼間のボーイとの引継ぎを終え、まるで高校野球の試合開始前の挨拶よろしく、向かい合った二組のボーイ達が背を丸めて挨拶している時だった。


 まずいなこりゃあ 引継ぎにも間に合わなくて。今月はこれで三度目か。リーダーの森下さん怒るだろうな。 道夫はそう思ってびくびくしながら森下が向かったフロアの隅にあるクロークの方へ急いだ。


 森下はクロークの棚に向かって、その日預かったままになっている荷物をチェックしていた。

 「浜田です。すみません、また遅刻して」 道夫は森下の背後からおそるおそる切り出した」


 「浜田か。おまえ今日で何度目か分かっているのだろうな」

 「はい。確か三度目だと思いますが」

 「そうか。じゃあこれもわかっているだろうな。約束どおり明朝から一週間の新聞くばり」

 「ええ、でも一週間もですか? そりゃあちょっと」

 「この場になってつべこべ言わないの。約束なのだから」


 道夫はつい一週間前も二日連続で遅刻して、罰として三日間、朝の新聞くばりをさせられたばかりだ。そしてもし今月もう一回遅刻したら翌朝から一週間それをやらせると、この森下に言われていたのだ。


 あーあ、また一週間新聞くばりか。 想像するだけで気持ちがめいり、そう呟くと森下の背後でおおきなため息をついた。


 夜の十時から朝の八時まで勤務するナイトボーイ達にとって、早朝のこの新聞くばりほどキツイ職務はない。オフシーズンで客室がすいている時ならまだしも、今のような四月の半ばだと、三百室ほどあるこのホテルの客室は毎日ほとんどが詰まっている。


 その客室のすべてに新聞を配って歩くのだ。森下リーダーを除く八名のボーイが毎日二名づつ当番で当たっており、普通だと三~四日に一回の割でまわってくる。


 まだ半月しかたっていないというのに、遅刻の罰の分も含めて道夫は今月もう六回も当たっていたのだ。それをさらに明朝から一週間もやらねばならないのだ。

 でも仕方ないか。それを承知で遅刻したのだから。そう思いながら立ち去ろうとした時、森下が言った。

「浜田、まあそんなにくさるな。もしお前が明日からしばらく遅刻しなければ最後の二日ぐらいはまけてやってもいいから」 

 「えっ本当ですか。しませんよ絶対に。じゃ五日間でいいのですね」

 少しだけ気持ちが軽くなった思いで、さっきより明るい声で答えた。


 「まあそれでいいけど。ただしお前が明日から連続五日間一分たりとも遅刻せず出勤した時に限ってだよ。いいね。 おいそれより仕事、仕事、ほらチェックインのベルが鳴っているじゃないか」 


森下のその声に促されて、振り返ってロビー手前のフロントカウンターの方を見ると、フロント係の上村さんがボーイを呼ぶベルをせわしげに押していた。

 「あれっ、誰もいないのだな。行かなくちゃ」 いつもならチェックイン担当として、ロビーには四~五人のボーイが待機しているのに、この時はみな出はらっていて、道夫以外は誰もロビーにいなかった。

「森下さん、じゃあ僕行きます。どうもすみませんでした」


 森下に向かってピョコンと頭を下げた道夫は、フロントカウンターの方へと小走りに進んでいった。カウンターの前で待っていたのは新婚らしい若いカップルとビジネスマン風の中年白人の外国人男性だった。上村さんは先客カップルの方のルームキーを道夫に渡した。


 「お待たせしました。お部屋の方へご案内いたします」 そう言ってそのカップルに向かって深々とお辞儀をした後、両手に荷物を持ちエレベーターへと向かっていった。

 背後に二人を従えて歩きながら思った。 しめしめ、最初のチェックインの客が新婚カップルとは、今日はついているぞ。この二人だとチップも千円は下ることはないだろう。

 頭の中に過去のデータを思い浮かべながら、そんな皮算用してほくそ笑んだ。


 こうした都市ホテルの客の中で、日本人の新婚カップルほで気前のいい人種はない。旅慣れたビジネスマンだと五百円までがいいとこのチェックインのチップだが、新婚客だと、部屋に荷物を持って案内するだけのこの簡単な仕事に、千円や二千円はざらに奮発してくれるのだ。それどころか、先月などは三千円というのが三回もあった。




このシリーズ今後の掲載予定

12月5日 シリーズ(Part1~Part5)全16000文字 一挙掲載


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2024年11月13日水曜日

《日記ブログ》とはいえ多くの人に読んでもらいたい ・私のブログ テーマ設定&作成プロセス


プロセスを踏まないと良いコンテンツはつくれない

私のブログ「生涯現役日記」は、いわゆる稼がないブログで、ジャンルとしては趣味ブログに入ります。

でもいかに利益の出ないブログとはいえ、力を抜いて気楽に書くわけにはいきません。たとえ趣味ブログとはいえ人に読んでもらわないとつまらないからです。

そうなのです。ブログは人に読んでもらってこそ価値があるのです。もし誰にも読んでもらえなければ、書く意味も、続ける意味もなく、早晩更新の意欲を失ってしまうでしょう。

要するに更新のためのモチベーションがなくなるのです。そうなってしまうのはやりがいが生まれないからです。

これを避けるためには、何としても人に読んでもらえる良いコンテンツを創らなければなりません。

良いコンテンツとは読者が 面白く読めて、その上ためになるもの です。おもしろくてためになるコンテンツをつくるためには入念な準備が必要になります。

日記ブログだといっても日常の出来事を綴るわけではありません。見ず知らずの庶民の日常の出来事など誰も興味がなく、そんな日記を読もうと思う人はいないでしょう。

したがっておもしろくてためになる記事を書くには、テーマを広く社会に求めなくてはなりません。

それには取材が必要になります。この取材活動こそが、人に読んでもらう記事づくりのための最も大事な活動になのです。

以下私15年間続いている私のブログ「生涯現役!!日記」における、コンテンツづくりのプロセスについて書いていきます。

 

(1)取材(読書と街の散策)

ブログにはネタが必要なことは言うまでもありません。そのネタも読者にとって魅力的で、かつ新鮮なものに限ります。でも長く続けていれば、ネタはおいそれとは見つかりません。

15年の間に2000件以上のコンテンツを載せてきましたが、良いテーマだと思っても、調べてみると、過去にすでに取り上げたことがある(バッティング)するものであることが珍しくないのです。

そうならないためには取材活動が欠かせないのです。私の場合の取材は読書(主に紙の本)と近隣都市での街の散策です。

では便利なネット検索はどうかというと、ネタ探しにはほとんど使いません。なぜなら似通った情報が多くコンテンツの独自性が失われる恐れがあるからです。

読書や街の散策などだと、対象が多岐に及ぶだけでなく、本人の個性が反映されますから、バッティングすることが少なく、独自性を保ったネタを見つけることができるのです。

これに加え自分が過去に経験(学習も含む)してきたこともテーマにしますが、これにも本人の個性が現われますから、テーマとしての独自性は保たれます。

 

(2)テーマとタイトルの決定

読書や街の散策などで得た知識や情報の中からブログのコンテンツに適したテーマを見つけます。とはいえ見つけたものがすべてテーマになるわけではなく、見直してみればどこにでもあるような平凡な事柄でしかないことが珍しくないのです。

良いテーマはオリジナル性や斬新さを保ちながら、人の心を掴むキャッチ―なものでなければなりません。そうした事柄はそれほど多くあるわけではないのです。 

 

(3)Wordでコンテンツ作成

コンテンツの下書きはWordで行います。書き方はなるべくベタ書き風に行います。それにあまり深く考え込まず、スラスラ書くことに努めます。

行間隔や体裁などを整えながら熟考して書いていると時間がかかるだけでなくペースに乗れないからです。それは推敲の段階でやることにして、この段階ではスピードを重視することにしています。

 

(4)グーグルドキュメントへ移動して推敲

Wordによる下書きが終われば、今度はそれをgoogleドキュメントに移します。

なぜこうするかといえば、ドキュメントは誤った文字や文章を修正してくれるだけでなく、読みやすいフォントのAriaiに変更してくれるからです。別のフォントがダメと言うことはないのですが、なぜだかAriaiに愛着を感じているのです。

 

(5)bloggerへ出稿

書き終わったコンテンツをすぐブログへ出稿するのではありません。なぜなら良いと思って採用したコンテンツも日を変えて読み返してみると


最初の思いとは裏腹に、ありふれたつまらないことのように感じて、果たしてこれを載せてもいいものかと、迷いが生じてくるからです。


そんなときはいったん出稿を保留にして、後日あらためて見直してみることにしています。



2024年11月9日土曜日

ポルトガル人観光客の日本人に対するクリティカルな意見に共感


日本人はスマホにばかり熱中していて、目の前の人には無関心

ネットに載る外国人観光客の日本に対する感想となると、たいてい日本を称賛することばかりだ。

つまり「日本食は何を食べてもおいしい」とか「日本人は優しくて親切」などいうように褒めることばかり載っているので、聞く側はいささか食傷気味になってくる。

そうした中で最近のYahooニュースに ポルトガル人が「悲しい気持ちになりましたと思った、日本でよく見る光景 という記事が載っていました。

上で述べたように、日本に対する海外観光客の感想といえば、日本の食とか文化についてやたら称賛する、どちらかといえば軽いものが多いのですが

このポルトガル人が指摘することは、いわば日本人の弱点と思われることを鋭く突いているだけに、読んで心に響きました。



YahooNews  10/29(火) 6:10配信             Hint-Pot                           


    日本で「食べたものはすべておいしかったが


 ポルトガルから、2週間の滞在予定で日本へやってきたロドリゴさんたち3人組。東京や箱根、河口湖、京都、奈良、大阪をめぐる予定です。  訪日は初めてという3人。日本行きを決めたのは、アニメや日本の文化に興味があったことが理由です。日本食が好きで、すでにさまざまな料理を食べたそう。「食べたものはすべておいしかった!」というほど、日本食に満足している様子でした。  日本を楽しんでいるロドリゴさんたちですが、日本人の振る舞いには、少しカルチャーショックを覚えたといいます。

スマホ操作に夢中になっている人が多い

「日本人はみんなスマートフォンに夢中だったり、イヤホンをつけていたりして、目を合わせたり、人を見たりしようとしないですよね……。

目の前に人がいるのにどうしてなんでしょう?」  目を伏せながら、残念そうな表情を浮かべたロドリゴさん。

盗難など防犯の面から、国や地域によっては自主的に控えるところもあるでしょう。

しかし、治安の良い日本では、電車などの公共交通機関、レストランやカフェといった飲食店など、街のあらゆる場所にスマホ操作に夢中になっている人がいます。 

「ポルトガルではそんなことはありません。そこにいる人たちや対面している人たちが最優先で、目の前の人と話します。

悲しい気持ちになりました。

 現地の人たちとの交流も、旅行の醍醐味のひとつです。その土地でしかできないこと、出会えない人たちとの交流を大切にしたかったロドリゴさんたち。残りの滞在では、日本でしかできない体験ができると良いですね。